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金魚と夜空

これは私が6歳の頃の話だ。
なので、平成6年の冬の話になる。

当時はよく金魚を見かけた気がする。
大体どの家庭に行っても金魚鉢が一つくらいはあって、そこで金魚が飼われていた、ような気がする。
「気がする」というのは記憶がおぼろげなこともあるが、その当時私が見ていた世間一般というのはかなり狭い範囲なので、それが全体の風潮なのかどうか断言できないからだ。

私の家も例に漏れず金魚を飼っていた。

茶の間のサイドボードの上に水槽が置かれ、その中を数匹の金魚がとても悠々とは言えない様子で泳ぎ回っていた。水槽は父親がいつも座る位置から丁度よく見える場所に設置されていたので、もしかしたら酒でも飲みながら水槽を眺めるのが、父のささやかな嗜みだったのかも知れない。

私はその水槽があまり好きでなかった。
水槽に緑色の藻が貼ると生理的に嫌悪感を覚えた。ほのかな生臭さも気持ち悪かった。なにより金魚の出立ちが好きでなかった。表情を持たない魚類に対してそこはかとない恐怖を感じていたのだ。それは今もあまり変わらない。

ある日の夜、金魚が水槽の中でぷかぷかと死んでいた。

さほど珍しい事ではなかったけれど、酔っ払っていた父は「お墓を作ろう」と私を誘い出し、死んだ金魚を掬って庭に出た。

私はせっせと穴を掘り、そこに金魚を埋め、庭木の枝で墓標のような物を作った。
父は手が汚れるのを嫌ってか、作業には参加しなかった。健気な息子が墓を拵える姿を見てニヤニヤしていたのだと思う。

あの日は、綺麗な夜であった。

気まぐれに金魚の墓作りをする父子の背景に佇むには勿体のないような星空が広がっていた。土が冷たかった。金魚は生きてても死んでてても同じ顔をしているなと思った。真水のような冬の風が頬を撫でた。

「死んだらどこに行くの?」

私は父に尋ねた。
昨日まで仲間と泳ぎ回っていた金魚が今は一匹だけになり、土の中で眠っていることを不憫に思ったのだと思う。

「お星様になるんだよ」

父はそう言った。

ああ、そうか。こんなに沢山の仲間がいるなら、死んでも寂しくないな。と、私は満天の星空を見上げて思った。

父は偏屈であったので、綺麗事が大嫌いだった。
おおよそ、子どもに夢を持たせるような事を言ったのは後にも先にもこれっきりだ。

父があの夜、何故普段言わないような言葉を私に言ったのかは分からない。ただ、あの言葉は子供騙しのまやかしでなく、父の本心だったと思う。父はきっと、命が死で潰えてしまうのを本心では認めていなかったのだ。

それから十数年後、父もまた星になった。

私が今だに星空を見上げては父の面影を探してしまうのは、(おそらくもう父は忘れてしまっているだろうが)そんな父の気まぐれな言葉があったからだ。

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