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チャリンコレース

これは私が小学5年生のときの話だ。

平成10年の秋口、私はタッチャン、ダイチン、タカシの四人でチャリンコレースに興じていた。曇りがかった午後の空の下、住宅地の中を自転車で駆け抜けていく。白熱したレースは幾度と行われたが、そのいずれにおいてもビリはタカシだった。

タカシが自転車に乗れるようになったのは他の友人たちと比べて遅かった。

私たちの住んでいた地域は、小学3年生になると自転車遊びが許可された。
なので、3年生に上がるまでに親や兄弟と自転車の練習をし乗りこなせるようにするというのが慣例であった。

ただ、タカシが自転車に乗れるようになったのは小学5年生に上がった頃であり、これは友人たちの中でもかなりの後発組だ。そのくせ、一輪車はかなり上手かったので、なぜタカシが自転車に乗れないのか皆不思議がっていた。

このチャリンコレースが行われたのは、タカシが自転車に乗れるようになったばかりの頃だ。
我々はその2年も前から自転車遊びをしていたため、一日の長がある。なので、タカシはボロ負けし続けた。

大体の子どもの門限は夕方のチャイムが鳴る時間だったので、夕暮れにさしかかる頃、今日はもう帰ろうという話になった。

しかし、それに納得しない男が一人いる。

タカシだ。

毎度ビリの屈辱を味わったタカシは相当悔しかったのだろう、執拗に再戦を懇願してきた。タッチャンとダイチンはそれを断りさっさと帰ってしまった。
私はタカシの気持ちが分からなくもなかったので、あと1回を条件に勝負を受けることにした。タイマンでのチャリンコレースの始まりだ。

レースは私の優勢であった。

タカシの悔しい気持ちは分かるが、勝負で手を抜くのは相手に対する最大の侮辱だ。本気で勝ちにいった。

コース終盤、砂利道を走り抜ける頃、私は勝利を確信していた。砂利道の先に下り坂があり、更にその先の交差点を通り抜けるとゴールだ。
追い掛けてくるタカシからは凄まじい執念を感じたが、もはやこの距離差を埋める事はできない。

ただ、
実はこのレース、たった一つだけルールが設けられていた。

それは「下り坂から入る交差点では必ず左右の安全を確認すること」というものだ。
その交差点は見通しが非常に悪く、直前に減速して左右を目視しないと道路の状況がまるで分からない。これは事故者を出さないために設定された真っ当且つ健全なルールであった。

しかし、最後の最後でタカシはこのルールを破ったのだ。

交差点手前の下り坂でタカシはグングンとスピードを上げた。

その先の交差点に車が来ようが来まいがお構いなしといった様子だ。減速する気配がまるでない。まさに命懸けの走行と言っていいだろう。

ついにタカシは交差点の手前で私を抜き去った。

この男に「反則負け」という概念はないのだろうか、ルールを設定したのは一体何の為か理解していなかったのだろうか、様々な疑問が浮かぶが、私は抜かれ様に「あぶねぇよ!」と言う事しかできなかった。

タカシはこちらに見向きもせずひたすらママチャリを暴走させて行った。

そして、車に轢かれた。

自転車のハンドルがあり得ない方向に曲がっていた。

警察やら救急車が到着し、騒ぎを聞きつけた近所の住民達がゾロゾロと集まってくる。

車を運転していたのは若い兄ちゃんだった。
「あり得ないよ!こんな交差点にノンブレーキで突っ込んで来るなんてロケットマンじゃないんだからさぁ…」等と動転した様子で言っていた。私はどっちが被害者なのか分からなくなった。

タカシは幸い目立った外傷こそなかったが、念のため病院で検査を受けることになった。

救急車に運び込まれる時、ストレッチャーに乗せられたタカシは全てをやり遂げ満足しきったような笑みを浮かべていた。
私には、完全な反則行為をした挙句、車に轢かれた彼が一体何に満足しているのか全く理解できなかった。

小さく手を振り「またね〜!」などと愛嬌を振り撒きながらレスキュー隊に運ばれて行く彼の様子を見て周囲の大人達は安堵の表情を浮かべていた。
大団円、ハッピーエンド、最後に愛は勝つ、みたいな空気が周囲に充満していたが、私は何か腑に落ちないものを感じていた。

「この事故は子どものお遊びが過ぎた結果ではない。この男が意図し狡猾にルールを破った結果である」

そのような事を言いたかったのだが、当時の私にはそれを言葉にする力が備わっていなかった。

この日、先に帰ったタッチャンとダイチンは、その帰路でタカシが車に轢かれる音を聞いたらしい。

事故の音を聞いた二人は同時に「タカシじゃね!?」と目を見合わせて言い合ったが「まあいいか」とそのまま帰ってしまったそうだ。

後日、事故の当事者がやはりタカシだったと知った二人は、自分達の予想が当たったことを大層喜んでいた。
タカシもまた、その話を聞いてゲラゲラと屈託なく笑った。

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