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てんかん/ASD/ADHD当事者の英語学習

IELTSが大きく英語学習を変えた

こんにちは、Shinichiです。3度目のnote投稿になります。今回は、てんかんとASD/ADHDを持つ私自身の英語学習についての執筆です。一般的な試験対策とは異なる事情があることについて、シェアできたら嬉しいです。今回も三人称(彼)で執筆いたします。


TOEICとてんかん/ASD

2011年、自身の英文ブログ執筆を通して、Shinichi氏は英語学習が少しずつ楽しくなってきました。この中、まず彼が着手したのはTOEIC。少しでも学習意欲を維持する方法がないか探っていたところ、TOEIC Bridgeの存在を知り、まずこの試験で基礎を固めていました。

TOEIC BridgeはTOEIC本体に移行する前の準備試験とも呼べる試験で、集中力もあまり負荷がかからず始めることができます。この試験で少しずつ自信をつけてからTOEICへ移行、最初は200点台でスタートしていました。周囲がTOEICを勧める中、Shinichi氏はある違和感を感じていました。今でこそ言語化できますが、てんかんとASD/ADHDを持つ彼にとって、2時間テストに集中する事は定型発達に比べ膨大なエネルギーを要する作業だったのです。

まずリスニングへの集中力、一般の方より持続できる時間が短いのが課題で、ADHDの注意散漫とASDの好奇心が原因でした。良かった点は聴覚過敏で発音が区別できたことですが、鉛筆の音、会場外で緊急車両の音がした時もそれに書き消されていたので、思わぬ不可抗力で実力を発揮できなかった苦い経験があります。

次にテスト中の意識が朦朧とすることが課題でした。彼はてんかんがあり些細なストレスで緊張感が長く続くと、緩和後に電気信号によるてんかん予兆を発生させるリスクを抱えていました。2時間のテスト中の緊張感は、帰りに緊張感が緩和されるとジェットコースターの急降下のように電気信号を起こし、その日のスケジュールで対人が入れられないほどの疲労でした。

現在、各英語試験では身体に限らずメンタル疾患がある人でも受けられる合理的配慮も設定されております。とは言え、TOEICで2時間の集中力持続に困難を感じたShinichi氏が次に目をつけたのは英検でした。

https://www.iibc-global.org/toeic/priority_support.html

4技能に着目

Shinichi氏が4技能へ舵を切った当時の雑誌

2009年、ホテル勤務をスタートしたShinichi氏は、発達障害の診断で申請した障害基礎年金の遡及分で300万ほどを手にしてました。この際、生活保護との併用が重なると役所から返還を求められます。このチャンスを「千載一遇」と捉えたShinichi氏は、人生に一度の「ワーキングホリデー」も考えました。

発達障害の精神年齢は「実年齢より3割若い」と言われています。当時の精神年齢は27×0.7=18.9歳で、社会経験を始めた時期にやっと適応し始めたばかりでした。また語学力が未熟で、ワーキングホリデーで生きて帰って来れないリスクにメンタルブロックがかかっていました。

とは言え英語を学びたい気持ちは人一倍強かったので、役所の返還要求を一度押し切り、当時札幌にあったESL(English as Second Language (英語を第二言語として学ぶこと)) を学ぶベルリッツ系の学校に入学。6ヶ月ほど読み書き、会話の4技能を学んでいました。ADHDならではの大胆な行動が出た結果です。授業料を含む払った分は、後に生活保護へ返還する約束で、それ以外はすぐに返還。この事は出る杭を打たれるのが怖く長いことベールに包んで話していませんでしたが、10年経ったので時効とし、思い切って執筆を決めたものです。Shinichi氏は「今思えば英語学習の「Foot in The Door(はじめの一歩)」につながっている」と確信しており、4技能への学習を後押ししていたのでしょう。

ある日のこと。Shinichi氏は書店で「脱TOEIC」と言うタイトルの雑誌を見つけました。この雑誌では既に2012年の時点で、TOEICだけでなく当時の英語試験について「4技能をバランスよく学ぶことが大事」と書かれており、これがきっかけでTOEIC勉強を中断。4技能に舵を切りました。

日本の英検(実用技能英語検定)が、マークシートから4技能を測る試験になっていた事もあって、2013年カナダの単独旅行の翌年、英検準2級から2級まで勉強し、少ない費用の中、面接のみ対策レッスンを複数受けて2級まで階段を昇るように辿り着きました。

Shinichi氏によると「発達障害の理解度が一般の英語習得より時間がかかる事」も見込んでいたとのこと。定型発達成人で概ね3年で習得できる中級レベル、彼は2010年から10年かけて習得していたのです。

Listening

まず彼が聞き始めたのは洋楽の音楽番組。日本でなくカナダの洋楽に関心があり、音楽番組とその間のDJの英語を、移動時間に聴き始めました。ガラケーからiPhoneに切り替えた2011年。カナダのCBC Radioが聴けることを知り、日本時間の帰宅時間に現地の朝の番組が聴ける事から、朝は前日夕方の、夜は当日朝、Torontoから流れるCBC Radioを聴き続けていました。

一般的に、内容が分からなく挫折するのが聞き流しを続ける上で生じる壁です。しかし聴覚過敏だったShinichi氏は英語の発音に惚れていた時期がありました。LとRの聞き分けは早かったようですが、日本語を入れての習得はやや時間がかかっていました。

Writing

2006年に執筆を始めたブログを2009年、英文に切り替えました。また当時交際があった方と「英語の交換日記」を行なっていた事もあり日本人が苦手とするライティング、彼は既に楽しんで学ぶ方法を知っていたのです。2006年には日本語で、2015年には英語でそれぞれ1年間、毎日日記をつけていた時期がありました。「メモの魔力」で有名な前田裕二さんが提唱している4色ペンですが、彼は2006年に既にそれを使いこなし、以下のように書いていました。また10年間、英語で家計簿もつけていたのです。

⬛️・・出来事(Fact)
🟥・・感じた事(Feeling)
🟩・・学び(Learning)
🟦・・情報(Information)

Reading

Reading、彼が今も苦戦している点です。まずは学習者向けのリーダーから読み始めていました。CambrigeやOxfordのリーダーが大型書店に多く出回るようになってから、気になったストーリーを片っ端から購入して読んでいました。一度日本語で読んだストーリーから始めた事で学習意欲を維持できたものの、やはり読書中にてんかんによるBrain Fogがあり、ストーリーを全て覚えながらの読書はかなり、頭の労力を使っているようです。

Speaking

英会話の機会を求め、Shinichi氏は有料の英会話カフェから無料の英会話サロンまで、幅広く場所を問わず多くの英会話に参加していました。また、1人カラオケでも歌える歌があると、洋楽に絞って休みの日は練習していた事もあります。リエゾンと呼ばれる、一括りになっていて文字と異なる発音をする点は、独学ではこの1人カラオケも大きかったと語っています。

もとはコミュ障で人との会話が苦手だったShinichi氏ですが、ホテルに就職する前の2005年、ツアーコンダクターの夢があり障害のある方と接することをSST(Social Skill Training)としていました。自分の対人スキル向上に努めていた結果、初対面の人に物怖じしなくなり、地下鉄やJRなど旅先で海外の人を見つけては英会話した時期もあります。

今でこそインバウンドのお客様が日本を多く訪れます。彼が日常乗る路線バスでも海外のお客様を見るとすかさず「Hello, which place would you like go? 」と聞き目的地が分かると「Do you have IC card, such as Suica?」と質問し、持っている場合はそのまま、持っていない場合は「Cash is available, don't forget take a boarding ticket.」と説明し整理乗車券の取り方を英語で説明することもあるそうです。

なお、名前を授かったBritish Pubでの英会話ですが, てんかんでアルコールを飲むと眠くなりやすかった事から、カクテルやシャンディガフでなんとか凌いで話しかけていた時期がありました。来ていた方は講師や来日されている海外のお客様と思われます。しかし話したかった気持ちが勝っていたので、ASDの「Take it easy(気楽に行こう)」でメンタルを気にせずどんどん話しかけていました。

初めてのIELTS

2015年、Shinichi氏は初めてIELTS試験に挑戦しました。当初はまだ留学か移住の目標が明確でなく、まずテストの感触を確かめたいという事でGeneralで受験しています。当時のスコアはListening/Reading 3.5, Writingが4.0, Speakingが4.5と、Foot in the door(はじめの一歩)の記録としてはまずまずでした。2016年、知人に先生を紹介して頂いたShinichi氏。当時その先生がTOEFLを活用したレッスンを行っており、ミニテストに欠かさず通いながら読解力を上げていました。しかしその後、複数の英語のレッスンや英会話をADHDの好奇心で掛け持った事で負債が膨らみ、その中で停滞する日本経済から「フリーランスを目指す」という大きな舵を切ったのが2018年のことです。

WordPress駆使/コスパ重視学習

2018年にホテルを退職したShinichi氏。TOEICのBrain Fogをきっかけに、飽きの来ない4技能を測る英検準1級に挑戦したのが2019年でした。英検準1級を2度受験し不合格だったShinichi氏は、「受けるなら世界標準で」と言うASDのこだわりから、英検からIELTSに舵を切っています。Shinichi氏はよく

「IELTSを木の幹とすると、英検やTOEICはその根っこや葉っぱみたいに自然に伸びる」

Shinichi.Ito

と言う考えで英語学習を進めていたのです。

またホテルを退職してからWebデザインをハローワークの職業訓練で学んでいましたが、「日本語でなく、英語で学習したい!」と言うASDによる彼なりのこだわりがありました。その為、職業訓練で購入したHTMLやCSSのテキストとは別に、英語のテキストを独自でAmazonで買って学んでいたのです。サイトを作る面白さに目覚め、WordPressの存在を知ったShinichi氏は、フリーランスの方と交流する中で、有料ブログに記事を移行しました。

本来、WordPressのサーバーは日本企業であれば日本語対応の国内サーバーを使うのですが、ここでもShinichi氏は「(ASDによる)英語学習への情熱」を捨てませんでした。ホテル在職中に購入したMacBook Proを駆使しながら、設定は全て英語。そしてアメリカのBluehost社と契約していました。やり取りが全て英語ですが、これが彼の英語学習に火を付けました。しかし米ドルよりカナダドルが安く、かつカナダへの思いが大変強かったことで、1年後にはWeb Hosting Canadaと言う、カナダのレンタルサーバーへ移籍したのです。

1.0のIELTSスコア上昇

2020年、COVIDで世界中に制限がかかりオンラインが加速する中、Shinichi氏はX(Twitter)でも英文投稿を始めていました。Facebookでは日頃から行っていたのがさらに加速していますが「海外日本問わず、発達障害/英語/ライター/カナダに関係のあるフォロワーさんに恵まれたのが大きかった」と彼は振り返っています。

地元札幌にIDPが事務所を構えたことで、2年ぶりにIELTSを受験しました。この時、てんかんとASDを公開。主治医から診断書を提出する事で、試験の合理的配慮がいただける事を知った彼は、早速主治医にもIELTSの事を伝え、診断書を書いて頂きました。

これが彼のスコアに良い影響をもたらし、2年ぶりのAcademicでの受験は
Listening 4.5, Reading/Speakingが5.0, Writingが5.5と1.0のスコア上昇をしていました。 

継続は力なり

この間、ブログ記事を書くアルバイトを経験したShinichi氏。Web記事として企業が求める記事と、自らの英語学習の記事作成が乖離していたこともあり、仕事としての記事作成はペースが遅く、記事も内容が薄い事を痛感していました。しかし「月2本英文記事を書く」と言う彼の信念は粘り強く、WordPressにブログ記事がストックされていきました。IELTS対策のレッスンも多く出始める中、少ない資金で出来る英語力向上で、Shinichi氏がたどり着いたのが以下の3つでした。

  1. WordPressでIELTSのライティング学習を兼ねた英文ブログを月2本書く

  2. PCやスマホ設定を全て英語にする

  3. 海外と英文メールでやり取りする

彼は忠実にこれらの考えを守り、2022年にはKindle, 2023年にはPaperbackで念願の洋書デビューまで果たしたのです。

おわりに

Shinichi氏は、今もIELTS学習と並行した「英文記事作成」を続けています。彼は英語学習を、自動車免許に例えて話すことがあります。


「TOEICが路上教習なら、英検のUpper Class (準1級, 1級)は仮免許、IELTSは国際免許である」

Shinichi.Ito

実際はてんかんで運転できませんが、彼なりのユニークな解釈でしょう。今後も生涯学習として、彼の英語の旅は続きます。

お読み頂きありがとうございます!今後も、ASD/ADHDの特性でIELTSやWordPressを駆使し、可能性を探っていこうと思います!


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