[使う人が悪なら悪] 道具の利用は利用者のモラル

こちらの記事において
私は確かに次のように書きました

AIに関しては
別にどっちでもいいのです。
使おうが使うまいが、嫌がろうが受け入れようが
私の知ったことではありません。

私の立場は
AI使ってでも使って無くても一次創作原理主義
AI使ってでも使って無くても二次創作は滅ぶべし

終始一貫しています。

こんな事書いておいて何なんですが
新しい技術を
【より良く上手く正しく使えば】
新しい一次創作の地平を開くことも出来る

…可能性があるかも知れない

そんな期待がないではありません。

何を持って上手下手とするかは置いておいて
例えばマンガを書こうとするならば
絵が上手い下手ということにコンプレックスを持ち
作品の執筆を戸惑う方はいらっしゃいます。

書きたい作品と自分の画風が合わない。

その方の心のなかには
熟成した物語が 世界が創られていて
好感の持てるキャラクターと
ワクワクするような冒険が待っているかも知れません。

それらが埋もれてしまっているなら
勿体無いことです。

今まで絵の描けない漫画を志す方は
漫画原作さんとして
作画作家さんとの出会いによって
日の目を見ることが出来る場合がありましたが。

それが必ずしも
【原作者の心の中の物語世界の全て】を
マンガという作品に現して
この世に解き放てることの出来る環境ではありませんでした。

もちろん
作画作家さんによって
より素晴らしい天啓を得ることの出来る場合もあります
それによって更に大きく作品が膨らむことが
磨かれることがあります

しかし、全てのケースにおいて
必ずしもそうなるとは限りません。

世の中には成功例だけが目に付き
失敗例は十把一絡げです

AIを用いた作画補助は
この部分に新しい可能性を照らす気がします。

原画は自分で塗りはAIを何ていうことも可能です。

要は使い方です
要は使い方なんです。

使い古された例で申し訳ありませんが

料理に使う包丁は
殺人の道具にすることも出来る。

でも
だからといって
「包丁は殺人の道具だ!使うな!」…と言っては
料理をすることは出来ません。

いま、AIへの論争で起きているのは
私はこの論点の飛躍だと思っています。

「包丁は殺人の道具だ!使うな!」とは言わないのに
「AIは著作権違反の道具だ!使うな!」とは言うのです

AIが学習過程において様々な作品を接収していると言うなら
包丁だって調理の過程で牛や豚、魚の命を奪うでしょう

なんだかおかしい
話が極端だ

そういう所に気がついてほしいです。

そういう所に気がつけずに
【AIに私の作品が勝手に学習すされた!模倣作品が作られた!】
【過激なAI作家が無法に稼いでいる】

そんな目先の話ばかりに目が言って
じゃぁ、
【人間二次創作作家様様様に勝手に私の作品のエログロパロを造られた】
【過激な人間二次創作作家様様様が税務署もびっくりするほど荒稼ぎしてる】

そういう所がどこか遠い世界に感じているのです

何度も言います
AIが!人間が!ではありません

一次創作か
それを利用し蹂躙し凌辱する二次創作か

です。

アナタは車が人を轢き殺すことが出来るから
車社会を否定しますか?

車は悪しき道具ですか?

道具に善悪などありません

しかし
包丁も車も
明確な意図で殺人兵器へと変貌します

窓ガラスですら
割ってしまえばナイフと化します

要は使う人間次第なのです

だからと言って
二次創作に何ら正当性はありません

二次創作にだって
何らか原作に寄与することはある!

本当に?
本気でそんな事があると思っていますか?

『一応そうとも取れるよね💧』
原作者の温情溢れる好意的な解釈を
功績と大々的に誇りますか?

近寄ることすら怯えている
一次創作作家の沈黙を
沈黙は肯定!原作者は喜んでいる!

本当に?
本気でそんな事があると思っていますか?

こういうところなのです
二次創作文化の下劣なところは。

自分の都合の良いように行う勝手な解釈
凌辱、蹂躙、簒奪、搾取、軽視、嘲笑行為への
一方的で独善的なな正当化

そういう方々の本性が
この一文に凝縮されていると言えるでしょう

『同人界がお前の作品を育ててやっていたんだ 恩を仇で返しやがって』

問題を履き違えてはいけないのです。

AIではなく道具ではなく
手描きではなく人間ではなく

問われるべきは
【使う人間の資質と善性】なのです

二次創作にはそれがないのです。


クリエイティブに憧れて
でも技術が伴わず道を閉ざした過去があられる方は

AIでもなんでも
再び『アナタに寄る、アナタにしか出来ない、アナタだけの』創作を
取り戻してみませんか?

AIの利用を恥じることはないと思っています

例えば多くの漫画作品が
手塚先生の
藤子両先生の
横山先生の
赤塚先生の
石ノ森先生の
松本先生の
富野先生の
宮崎先生の
鳥山先生の
…列挙しきれないほど沢山の
偉大なる諸先生方の

多くの先人が積み上げた作品を礎に

けれど、けっして二次創作ではない
新しい命を吹き込んだ世界が
創造されています。

それらは『学習』されて
カオスの中に投じられ
新しい【創作】を生み出してきました。

高級料理店で料理を買ってきて
調味料ぶっかけて味変したものを

【俺様の料理だ】といって憚らないのとは訳が違います

アナタの中の世界
アナタの中のキャラクター
アナタの中の冒険
アナタの中の物語

場合によっては
それが恋愛でも
性愛でも

たとえ変態描写であっても

異常に発達させた乳房から男性器を生やそうとも

アナタがアナタの作品で
それを為すなら

何ら恥じることはありません。

それは【表現】です。

しかしそれを他人の作品でしようとするから
下劣なのです。

寄生行為なのです。

ぜひ
崇高なる一次創作をもっと展開し

恥ずべき二次創作を肩身が狭いところへ追いやり
またその行為そのものに意味がないという状況に追いやり

二次創作=唾棄すべき異常なもの
作品に非ず

そういう風潮を構築できればと思います。

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