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86 野鮎と子供達

安曇川朽木・船橋上流。
午前中、日曜朝市がある本陣裏で竿を出し、十匹ほど掛け満足し、ゆったりと昼食をとっていました。昼食後、まだ居るはずと同じポイントを狙う。しかし、柳の下にドジョウが二匹、とは行きませんでした。時間は二時、竿を担いでトボトボと下流に移動、たどり着いた船橋下。

八月、夏休み、河原は焼肉家族でにぎわい、川の流れはハシャグ少年少女で満杯です。子供たちは橋下が涼しいのか、橋桁周りに集中し、下手はガラ空きです。下手の方が広く浅く遊びやすいと思うのですが、鮎師たちに遠慮しているのだろうか。また鮎師は鮎師で子供たちに遠慮しているのかも知れない。ズーッっと下手の瀬で数人が竿出すだけです。

左岸側は葦が生え、その根方には少し大きめの黒く磨かれた石が埋まっており、絶好のポイントに見えます。竿出す人は一人も居らず、間違いなくエアポケットです。右岸側の中州では、お父さんお母さんがそれぞれの子供達にアレコレうるさく声を掛けており、野鮎達も敬遠しているだろう。浅い流芯に立ち込み左岸側を狙う。

狙いは当たり、この時期にしてはまずまずの型が掛かります。オトリ交換して放すと、直ぐに同サイズが掛かり、その後も切れ間なく掛かります。掛かる、竿を矯める、引き抜く、飛んでくる、タモを抜く、受ける。憶え立ての「居合受け」。このシーン、ビデオに撮ってもらいたい。
チラッと後ろを見る、私の期待に応え河原の大人達が手をたたいてくれます。何時から注目されていたのだろう? 気分最高!

フッと上手を見る、橋下のテトラ前が気になる。即、上手に動き、オトリを放す。深めのテトラ裾に届く、グーンと良型、竿を矯め強引に引き抜く。直ぐオトリ交換、放そうと顔をあげる、子供がゴムボートで下って来た。お父さんらしき人が気を使って叱っている。私は全く気にしませんよ、少し下手に下ってオトリを放す。対岸に届く前背びれが出るほどの浅場で掛かる。
子供たちが親の気遣いを無視し次第に下がって来ます。そのすぐ側まで上るオトリ、子供たちのハシャグ足下でも掛かる。一体どうなっているのだ、この辺りの野鮎は図太すぎる。とにかく良く掛かります。
鮎師の釣り欲、掛かるなら掛けよう、根こそぎ掛けようです。四時半までの2時間で26匹を掛けました。久々の快挙です。

そのシーズンは此処で何度かよい思いをしました。しかし、その後年々橋下流の流れは変わり、川幅は狭く深くなり、今はあのシーズンの様に浅瀬で喜々としてハシャグ子供たちの声は聞かれなくなりました。

今考えてみるに、あの時子供たちは水遊びに夢中で、足下で群れる野鮎に少しも気付いていなかったと思う。だが、流れの中の野鮎達は、毎日のように子供達のハシャグ声を耳にし、何の害悪も及ぼさない可愛い足と戯れ、親しみを感じ、遊び仲間と思い、信頼していたのかも知れません。それで子供たちの足下でも野鮎が良く掛かったのだろう。
私はあの時、野鮎の子供たちに対する信頼を、一匹引き抜くたびに壊していたのかも知れない。入れ掛りに浮かれ、そのことに考えが及びませんでした。

何時のシーズンか船橋下流があの頃と同じ川姿に戻り、再び大勢の子供たちがハシャグ声を聞きたい。そしてその側で、私も野鮎達とハシャギたい。
エッ! 懐かしくあのシーズンの野鮎達に詫びながらも、なお野鮎の子供たちに対する信頼を無視し、釣果のみを追い求めたい私が居ます。
友釣り師の罪深い業です。


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