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他人の気持ちを理解しようと思ったら、自分を否定しなければならないのか

note初投稿になる。
ASD者として考えること、感じることを綴っていきたい。

今回はASD者が苦手とされる「他人の気持ちを理解すること」について書く。

私が他人の気持ちを正しく理解しようと思ったら、自分の中で浮かんでいる「この人はこう思っているんだろう」という解釈をいったん脇に投げやって、その人の言っている内容、表情そのものに意識を向けなければならない。
それは試験の終了間際に一度書いた答案を消して書き直すように、頭脳に瞬発的な負荷がかかるプロセスであり、自分の感じ方、ものの見方を常に上書きして自己否定するようなもので、決して気持ちの良いものではない。

すべてのASD者がこのように感じているわけではないだろう(他人も自分と同じマインドを持っていると無意識に思い込むことこそ、ASDの良くない習性である)。
それでも、他人の気持ちを理解するのは私にとってそれ自体多大な苦労を要することであるということをこの場で主張したい。
もちろんその苦労を軽減する方法は私の側で模索しないといけないのはわかっているが。

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