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【無料公開】松本明子さん著『この道40年 あるもので工夫する松本流ケチ道生活』はじめに、序章

タレント・松本明子さんの著書『この道40年 あるもので工夫する松本流ケチ道生活』がおかげさまで好評発売中です。
たくさんの皆さまのご購読に感謝し、期間限定で「まえがき」と「プロローグ」約11ページ分を無料で公開します。
※無料公開の期間は未定です。予告なく、公開を終えることがあります。

はじめに

私は自他ともに認める芸能界きっての“ケチ”です。
「もったいない」「まだ使える」と思って楽屋にあったお弁当の輪ゴムや新幹線のおしぼり、ホテルのアメニティなど、ついつい持って帰ってしまう……。そんな姿を見られてか、いつの間にか“ケチ”のイメージがついていきました。ケチ松と呼ばれていた頃もありました(兄から)。

子どもの頃から持っていた“もったいない精神”は年を重ねるにつれてパワーアップ。使い道がないと思われるものを見ても「まだ使える」「これで節約できる」ということで頭がいっぱいになり、いろんなアイデアがあふれてくる。これが本当に面白いんですよ。

私にとって、“ケチ”とはお金を節約するのはもちろんですが、毎日を楽しくするためのものだと思っています。私が実践している“ケチ道”は、ひとつのことにアイデアをプラスすることで無限の使い道が見えてくる……そういったものです。
たとえば着なくなった服、みなさんは、どうしていますか? 捨てたり、タンスの奥にしまったままという人も多いのではないでしょうか。
私も家の隅に置かれた着古したジーンズを見て、「なんとかしたい!」といつも思っていました。そんなあるとき思いついたのは、ジーンズを再利用したバックをつくること。
すぐに、はさみを取り出し、作業を開始。まずは腰回りが一直線になるように脚部分や股下をカットして全体的に四角くなるように整え、次はミシンで裏側から縫い、両角を縫い合わせてマチをつくるとボディは完成。あとは余った布などで持ち手をつくれば、オリジナルのデニムバッグの完成です。

このバックは、使い勝手がいいし、ジーンズのポケット周りを使っているのでデザイン性もバッチリ。私のお気に入りのバッグになりました。
このバック、友人にも見せたところ好評だったんですよ。こうしたバックづくりは節約になるだけでなく、日々を楽しくする新たな提案になります。つくり方を教えてあげればコミュニケーションツールにもなりますし、工夫してつくったバッグを写真に撮って残しておけば、使わなくなったあとでもいい思い出になります。
この他にも、伝線したストッキングだって、捨てずに股上をカットして脚部分に手を入れるとあったかインナーになってしまう。意外な使い道がたくさんあるんです。
そうやって工夫するのが楽しい! もちろん生み出すまでは「うーん」と悩んだりしますが、それすら楽しい。いいアイデアが思いつけば、さらに楽しい。私にとって“ケチはエンターテインメント”なんです。

私は今ほど“ケチ”が求められている時代は、ないと思っています。価格がどんどん上がりスーパーでの買い物もひと苦労、また光熱費がシャレにならない金額になったご家庭もあると聞いています。
家計のやりくりが大変な中、「節約しなきゃ」「生活のレベルを少し下げなきゃ」とため息をついている方も多いのではないでしょうか。けれど、「あれも買っちゃダメ、これも我慢しなきゃ」という暮らしは苦しくて、嫌になってしまいます。
そんな方にこそ、この本を読んで何か節約のヒントを見つけてくださればと思っています。“ケチ道”のために、私が普段から実践していることを“ケチ活”と呼んでいますが、そこで私が見たこと、聞いたこと、考えたこと……が詰まっています。意外なものから細かなものまで含めておよそ100の節約術が載っていますので、ぜひ参考にしてください。

「ケチ道」を通じて、節約術だけではなく、人生を楽しむヒントをたくさん知っていただけるとうれしいです。ぜひ、夢と希望が詰まっている“ケチ”を楽しんでください!

プロローグ

“ケチ”という言葉を聞いて、みなさんどういう印象を抱かれますか? 「心が狭い」「セコい」……などいろいろあると思いますが、あまりいい印象を持たれていないのではないでしょうか。でも、私はちょっと違うんです。
私にとって“ケチ”とは、「美学」とか「しまつがいい」というイメージ。「再利用をして最後まで使い切る」ようなプラスの印象があります。どちらかといえば世間のイメージとは真逆です。実は私、昔から“ケチ”という言葉に対する一般的なイメージとはちょっとズレを感じていました。
私は香川県高松市で育ったのですが、祖母も母も松本家は代々“しまり屋”でした。そもそも松本家は丸亀城に仕えた家老の血筋で、それなりにお金には困らない生活をしていたのですが、ものに対しては“使い切る”“もったいない”という精神は常に持っている家庭でした。

明治生まれだった祖母はお嬢様だったこともあり身なりはきちんとしている人でした。ただ、お金を使うところはきちんと出すけれどかなりの節約家で。たとえばティッシュペーパーを使うにしても1枚ずつ剥がして使ったり、余計な買い物は絶対にしなかったりと日々の生活はかなり節約していました。ただすべてにおいて節約しているのかといえばそうではなく。子どもたちは全員東京の大学に入れるなど、教育など必要なものはケチらない、そんな祖母でした。
祖母から由緒正しい節約マインドを見せられて育った母と私は、節約家であることを気づかないくらい、“ケチ”が身について育ちました。消しゴムをひとつ買うのに、これはどれだけ必要なのかを母親にプレゼンしなければならないくらい、きっちりした家庭でした。友達の中には、ノリで買い物をする子もいましたが、そのような感覚は昔から全くなかったです。
もちろん周りからは「アッコちゃんはケチだね」と言われ続けてきたのですが、不思議とそれがイヤではなく。だからこんな“ケチ”エリートを生んでしまったのですが(笑)、逆に褒められているのではないかと思うくらいでした。
ですが子どもの頃から日常生活の中にケチがすり込まれていた私にとって、“ケチな活動”=“ケチ活”はライフワークでした。

そんな幼少時代を過ごした私はアイドルに憧れて15歳で東京に。
16歳でデビューが決まり、国立市にある事務所のアイドルの卵やデビュー間もない子たちが住む寮に入居しました。寮なのでご飯などは困らないけれど、仕事がないからお金がない。そのうえ東京郊外なので遊びもない……という、バブルまっただ中でお金の使い方がおかしくなっている世間を横目に、私はひっそりと寮で暮らしていました。19歳になり、寮がなくなることになり、お金もないのに一人暮らしをすることに。
当時は、家賃は給料の3分の1と聞いていたので、5万円台のアパートに住み、家具も家電も全部もらいもので生活をスタートしました。

この頃は、日々生きていくために「最小限のお金を使って、どのように工夫してこの状況を乗り切るのか」ということばかりを考えていた時期でもあります。生活するための知恵をたくさんつけていったというか……。ただこう書くと、「大変な時期でつらかったでしょうね」と思われがちですが、実際の私はそんなことは全くなく。「これをこうしたら、こうできた!」みたいな発見がたくさんあり、楽しくてしょうがなかった記憶があります。きっとこの頃から、“ケチ活”を支えるためのアイデアを考えるのが楽しくなっていたんです。

そんな私が32歳で結婚、夫の実家のある埼玉で同居することに。浪費しないお義母さんや夫たちとの暮らしは発見も多かったです。とくにお義母さんからはいろいろ教えてもらえたのはありがたかったです。
お義母さんの節約マインドの基本は“使い切る”なんです。ものを購入することを躊躇(ちゅうちょ)するのではなく、そのものの天命を全うさせるというか……。たとえば野菜を買うとき、もちろん安いほうがいいですが、安かろう悪かろうになるくらいなら、それなりのものを購入して皮までしっかり調理して食べきる、みたいな考えを持っていて。
私はどちらかといえば“お買い得”に目がないタイプだったので、ちょっと違うんです。私は、“お買い得”だからと野菜を買い込んだけれど冷蔵庫の隅っこでしなしなにしていた、みたいなことがあったので、お義母さんの考え方に感動しました。だってせっかく安く買ってもムダにしてたら意味がない。それは単なるセコい浪費家ですから。

そして“使い切る”ためには情報が必要なことも知りました。ロスにしないための手段をたくさん知っていないと何もできない。息子が幼稚園に行くまでの5年間、埼玉で暮らした日々は本当にいろいろ教わりました。人と話して知ることもたくさんある。本当にお義母さんはいい“ケチ活”パートナーです。

こうやっていろんな人から影響を受けながらも“ケチ活”は続いているのですが、やめられないのはやっぱり“楽しいから”につきます。
たとえば伝線してしまってもう捨てるしかないストッキングを見て、「これを使える、何かにできないか?」と考え、人からアイデアをいただき、そして何通りもの使い道を見つける……。発見したときの喜びは言葉では言い表せないほどうれしいです。
もうアドレナリンが止まらないみたいな(笑)。そしてそれを人に伝え、「すごい!」「面白い!」と言ってもらえたらたまらないです。

私は“ケチ活”をゲーム感覚でやっているところがあります。捨てるものをアイデアによってときめくものに変えていくというか。「使い道がなくなったものも、新たな使い道がないか」と追加していく、チャージ方式で使い道をプラスして楽しんでいます。どこか発明に近いんですよね。ある意味、脳トレにもなっています。

「はじめに」でもお話ししたように、私にとって“ケチ活”はお金を節約するだけでなく、日々の喜びや楽しみを得る手段になっています。
もちろん節約したい人にはいろんな考え方があると思います。ムダを省いてお金がたまっていくことを楽しいと感じる人もいるでしょうし、ムダなこと自体が嫌いでそれをしていない自分に安心する人、「得した!」と感じることが楽しい人……本当にいろいろなんですよ。でも節約をする理由なんて人それぞれ、自由でいいと思います。
私は自分の気持ちに素直に従ったほうがいいと思っています。何が自分にとってお得なのか、自分にとって節約とは何なのか、何をすると楽しいのか……を考えて節約そのものを楽しんでください。
“ケチ活”をするうえで大事なのは“自分が楽しむ”ことだと思います。

そしてもうひとつ大切なこととして、自分の考えを人に押しつけないこと。どうしても家族に「これをして」「これはムダでしょ」と言いがちですが、相手にとってそれが苦痛で節約がイヤになってしまうこともあるんですよ。そうなると意味がない。
協力もしてもらえないです。あくまでも他人に対しては「ルールを決めずに楽しむ」ほうがいいと思います。私は、洋服は2千円台と決めていたり、タンスの奥にあったジーンズでバッグをつくったり、歯磨き粉を最後の最後までひねり出したり……といろんな“ケチ活”をしていますが、“ケチ”なのは自分に対してだけ。人のためにはお金を惜しまないようにしています。大切な人への贈り物や差し入れなど、人が笑ってくれる、喜んでくれるものには奮発する、それが私のルールです。あくまでも“ケチ活”は自分の中で楽しむこと。そのほうが気持ちがラクになって楽しいと思います。
私は“ケチ活”は夢や希望が詰まっていると思います。そしてその喜びの先に、フードロスやSDGsなどがあれば本当に最高です。

今回は、私が“ケチ活”をしたことで何を感じて楽しんだのかがたくさん詰まっている本になっています。私が“ケチ活”をしてどれだけ楽しんだのか、ぜひ一緒に味わっていただけるとありがたいです。

松本明子流〝ケチ道〟のススメ

一、 ものは使い切る、簡単に捨てない
一、 買うよりもまず工夫する
一、 ゲーム感覚で楽しむ
一、 わかり合えるパートナーを見つける
一、 人にルールを押しつけない


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