適応障害になった話


厳密には「適応障害になって通院を続けている自分の話」です。症状が無くなったわけではなく、快方に向かっているとは思いますが、もしかしたら波の高いところにいてこれから落ちるかもしれないです。
でも一旦まとめておこうと思える状態ではあるので、ここに至る過程を書いてみました。
特に誰かへのメッセージやアドバイスはありません。徹頭徹尾自分語りです。

①転職


新卒半年後から今(社会人4年目)までずっと一人暮らしです。
前職では、仕事はちゃんとやっているのに評価されない不満が日々溜まり、持株が暴落して大損こいたのを機に辞めました。IT系で、業績不振がネットニュースにちらっと載るくらいのところでした。今はどうだかわかりませんが、会社はやっているはずです。
転職活動をして、次が決まってから辞めました。父が個人経営の転職エージェントだったのでそのへんは得かもしれませんが、普通に試験と面接を受けて普通に入ったので、くだけて話せるエージェントがいたから良かったな、程度でした。
給与は月収でちょっと落ちるかな?くらい。かなり業績のいい大企業でボーナスが多いので、年収ではだいたい同じ。後から基本給が上がりボーナスが下がりました。(これは社保らへんを考えるといい事だと思います)

転職自体は、成功でもあり失敗でもあると言えます。転職したせいで適応障害になりましたが、前職のままでもいつか爆発していただろうし、ギリギリ普通に働けるまで回復できる環境にいられたのも会社のおかげです。寄らば大樹の陰。
新しい仕事は結構大変でした。作業自体は単純ですがとにかくパターンと量が多く、製品のことを覚えるよりも担当者に聞く方がいいし、邪険にされても効率のためにそうするのがベターとのこと。お客様がお急ぎなので。
この時点で私にはちょっと合わなかったです。まず「人に聞く」ハードルが高い。文章でも直接でも同じです。聞くは一時の恥!と、極力失礼のないように聞こうとすると、「時間をかけすぎ」という評価。相手にものを尋ねる時は、自分でできる限り調べてから聞くのが普通だと思っていましたが、それでは全然間に合わないのだそうです。1年経っても他の人の2/3くらいの効率でした。(それでも中途にしては健闘した方らしいです……)
また、直接先輩に聞いても話が噛み合わない。たとえば「穴を掘る」という作業を命じられたら、私は「どれくらい掘ればいいの?深さと大きさは?掘ったあとの土はどこに置くの?そもそも何のために掘るの?」という疑問が死ぬほど沸いてくるタイプです。
先輩にそういった質問をすると、なんでそんなこと聞くんだろう?という顔をされます。顔をされるだけで、優しく教えてはくれるのですが、一番聞きたい「目的」がわからない。Twitterで見たうまい喩えでは「人を埋めたいならそう言ってくれればこっちで判断できる」とありましたが、まさにそれです。
先輩方(というよりその職務につくほとんど全ての人)は、「掘れって言われたから適当に掘っとくか」で大体求められた通りの穴を掘れる人達のようでした。私はそれができないから、逐一目的を教えてもらわないといけないけれど、先輩方は「適当でいいじゃん」となる。そりゃ噛み合わない。
後から人事に聞いてわかりましたが、私みたいなタイプは辞めるか休むか異動になるかするため、適応できた人しか残らないようです。自然選択説……?確かに前の会社ではそこそこデカい顔をしていたのでさながら恐竜。氷河期で死ななくて重畳です。

②休職


父や友人に愚痴りつつも仕事を一年続けていたら、だんだん会社に行きたくなくなって、体調不良で突然休むことが増えました。
今まで、いわゆる「お勉強」はまあまあで、大学まではトントン拍子だったので、「なぜ仕事で苦しんでいるのか」という疑問が私にも父にもありました。
振り返ってみると、昔から自分で目標を立てたことがなく、親や先生に言われた職業を目指して、言われた学校を受験するような、なんにもない人間でした。覚えている自発的な夢は5歳頃の「ゴミ屋さん(=ゴミ収集車の人)」です。親に笑われてやめました。中学3年で適当にライン工とか書いたら怒られました(ライン工が大変じゃないという意味ではないです)。一応親に勧められた職種はありましたが、二次面接あたりで「なんにもなさ」を看破されるので、どうにか滑り込んだ企業に入っただけでした。転職もそうです。なんにもないのだから、仕事へのモチベーションも、なりたい自分のビジョンもない。だから仕事がうまくいかない時に支えてくれるものがない。
父は「休むのには原因があるだろう、原因を取り除けば行けるようになるはずだ、なんなら自分が会社に言えばいいのか」という感じ。
違うんだよ、でもどう違うかはわからない、なんとなく周りと話すのが嫌なんだ、でもいじめられてるわけじゃない。
これは「わかる人にしかわからない」感覚だと思います。学校で違うカーストのグループにポンと投げ込まれた感じ、と言えば伝わるでしょうか?
父は「わからない方」の人でした。わかってくれようとはしていたみたいです。
「絶対に仕事に出なきゃいけない日」があったので、その日を必死にやり過ごした後また休みました。父に電話で「なんでこんなになってるのに心配してくれないんだ、病院連れていってくれたっていいじゃん」と泣き叫んで、近所のメンタルクリニックの予約と付き添いをやってもらいました。
お前のことなんだからお前でやれよ、という話なんですが、そんな判断ができるような状態じゃなかったんですね。たぶん。
そして父は心配してないわけじゃなく、適した対応が全くわからなかっただけのようです。私は人に何かを頼むのが絶望的に下手なので、そこも全く噛み合わない。ここは10年くらい平行線です。
メンタルクリニックに行くまでも着いてからも、お医者さんの問診中もずっと泣きじゃくっていて、適応障害と診断されました。主な症状は動悸・不眠・頭痛です。
診断書をもらって人事に提出し、休職を勧められたのでそうすることにしました。とりあえず3ヶ月。「半年の方がいいんじゃない?」と言われましたが、3ヶ月で復帰するつもりでした。
最初の1ヶ月は「普通の人は今働いているのに、私は何をやってるんだ?」という焦燥感で、休むどころか摩耗しました。残りの2ヶ月は友達と会ったりなんだり、あんまり覚えていません。休職期間をもう3ヶ月延長しました。
この間、傷病手当金がもらえますが、当然普通に働くよりは少なくなります。家賃で半分消え、薬代も結構かかります。食費は元々少なく、気晴らしに何かを買ったり友人と遊びに行ったりして残高が目減りするのを見て、またストレスが溜まっての繰り返しです。
鬱ならお金を使わないかもしれせんが、適応障害はその場を離れれば一応遊んだりはできる病気だそうで。お金のことばかり気にしていて、精神状態が良くなる道理はないですね。
父の提案で転職活動をしてみたりもしましたが、3社目の面接直前に新宿駅で座り込んで、泣きながらエージェントである父に行けない旨の連絡をして怒鳴られ、一旦やめにしました。

③復職


5ヶ月過ぎたあたりで貯金残高が底をつきかけ、身の振り方を決めなければいけなくなりました。
実家(父宅)に帰ることは即ち精神状態の悪化に繋がるのでそもそも無理でした。どれだけ心配してくれようと、性格が正反対の人間と暮らすのは地獄です。
母宅からは夜逃げ同然で飛び出て絶縁状態なのでこれもナシです。こちらは私そっくり(というか私が母そっくり)で、更にパンチを強めたような人間なので、同じような精神の狂い方で、もっとひどい状態でした。3日に1度は八つ当たり、残りの2日は仕事の愚痴です。
病んでいようと一人暮らしの方がずっとマシなので、復職することにしました。
他部署への異動はなし、一旦もとの部署で簡単な仕事から始めて徐々に慣らしていこうということになり、上司にも毎週面談してもらいました。ちょうどコロナが猛威をふるいはじめた頃で、在宅勤務になりました。
復職後、半年経っても全く良くならないどころか、不眠が悪化しました。
今考えてみれば、仕事も人も大体同じなんだからそりゃそうだろ!という話なんですが、自分から環境を変えようと働きかけるのは随分難しいもので、思いついても実行には至りませんでした。少しでも今より悪くなる可能性があると、動くエネルギーが出ないんです。お医者さんには鬱一歩手前と言われました。

④異動


ちょうど不眠がひどくなった頃に部署異動の辞令が出たのは、本当に天の助けだったと思います。
異動の10日前に上司から話を聞き(これはかなり優しい対応で、普通は3日前に言われます)、今と全く違う職務内容に不安を感じつつ、期待もしていました。サラッと聞いた限りでは自分向きの仕事のような気がしたからです。
ですが、どんな仕事でも環境の変化はストレスになるもので、例に漏れず今回もそうでした。
新しい上司や同僚の方と会い、症状についても軽く話しました。辛い時は休んでいいしすぐに頼っていいと言っていただき、少し気は楽になりましたが、そもそも有給がほとんどないので休むに休めません。
「今度こそうまくやらなければいけない」というプレッシャーで、いっとき薬が増えました。
そんな中、周囲の方とzoomやチャットで話すうちに、「自分の疑問や考えをすぐわかってもらえる」ことに気づきました。仕事内容も自分に適していました。Excelの関数をいじりまわしたり、サイトの編集をしたり。
これは明らかに部署と人に恵まれたと言えます。仕事内容がまるきり変わったことで、そこにいる人達のタイプも変わり、自分を「適応させる」労力を最小限に留められました。
また、同じような症状で休職経験のある方が仕事を教えてくれたことも幸いでした。「すみません、○○しなければいけないですね」と私が言う度、「いけなくないよ、謝ることないよ、適当でいいんだよ」と軌道修正していただきました。

⑤現在


まだまだわからないことだらけで、薬もたくさん飲んでいますが、以前のように始業時刻に呼吸が苦しくなったりすることはほとんどなくなりました。動悸が少しあります。睡眠はまだまだ不安定ですが、在宅の影響もあると思うので、ゆっくり治していこうと思います。
コロナ禍が小康状態の時にはライブに行ったり、友人と遊んだりもしました。これはとても良かったです。友人と直接話すのは、特に気が休まりました。
絵を描くのが好きだったのですが、ここ半年くらいほぼ描けていません。これが症状のひとつかはわかりませんが、5年くらい続けていた趣味なので、また描けるようになったら嬉しいです。
新しい趣味として、通話しながらゲームしたり、たまに配信をしたりするようになりました。これも楽しいです。
あと通販で服をバカ買いしています。買いすぎを見かねた友人により、今は購入時の審査と使用金額の記録が行われています。なぜ無償でそんなことをやってくれるのかわかりません。マジなんで?なんにしてもありがたい話です。おかげで貯金口座の残高も増えつつあります。
全てが完全に元通りになるかはわかりませんが、また絵や漫画を描けるようになったり、薬がなくても動悸がしなくなったら寛解かと思います。在宅勤務はむしろ歓迎なので、遠方の友人とも遊べるくらいに疫病が落ち着いたらいいなあ。
そんなかんじです。

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