置かれた状態で咲いていこう!🌸
先日 能登の友のところに向かう際、ゴスペルの「主の祈り」を歌いながら行きました。そこに浮かんできたのが讃美歌「ナルドの壺」です。(391番)中学校時代、教会に通っていた時にこの讃美歌を知り、なぜか惹かれ名前を憶えていたのでした。
検索し、YOUTUBEにあったので歌いながら行きました。
今朝、その歌詞と意味を調べてみました。
歌詞はこのようになります。
そして意味、この歌は聖書のお話を詩にしているのですが、「愛の示し方」を表わしていると思います。
この詩を読んで、「ささげまつる わが愛」「怖ずるものにへいわを、なげくものにのぞみを」の部分ですが、今 自分が意識していることでもあり、これを中学の時に聞いて心に残っているということは、中学のころから示されていたのかと驚いております。
この歌が浮かんだのは、天から私の心のチェックを入れらたんですね。
そんなことを考えていた朝でしたが、そこに「今の自分に納得していく」とい言葉が出てきました。
昔は人と比べることが多々ありました。なりたい姿にそうなれない自分をみて、前に進んでいるように見える方を意識していることがありました。
今年に入り、そんな思考癖を整えてきました。出ては来ても穏やかにいられる自分が生まれていました。
先ほどの言葉がでてきた後「その方たちは、今までのいろんなこと(その人だけでなく前世やご先祖)の基、今の状態がある。」と思い、私は私の課題がある。それをしていくこと。何かになろうとしないで、その自分で進んでいくこと」とそんなことを思ったのでした。
私はとうていなれない何かになろうとしていたのかもしれません。
だから、辛くなるし、責めることになる。
なんか心が軽くなった朝でした。
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