12/12 菅田の話

菅田将暉の眉毛に憧れている。
目の上でキリッと横一文字に生えたあの眉毛に憧れている。
僕の眉毛はゴワッと太く生えている。存在感でいうと菅田の眉毛にも引けを取らない立派な眉毛であることには自信がある。
ただ、お手入れをしていないので目の上はもっぱら無法地帯である。
書いていて気づいたが、『もっぱら無法地帯』語呂がいい。

とにかく「菅田の眉毛が素敵じゃないの!」ということで最近は毎晩お風呂で無法地帯にT字の剃刀一本持って踏み込んでいる。
まるで彫刻家のように。はたまた海岸を削る波のようにじわじわと慎重に形を整えていく。
たまに手を滑らしそうになったりした時には心臓がドキドキする。
風呂でひとりバックバクである。
全剃りなんてしてしまったら、急に菅田から遠ざかってしまう。
ヤンキー漫画に出てくる坊主頭でメガネをかけた秀才サイコ系のキャラクターみたいになってしまう。それだけは避けたい。

眉毛菅田化の作業は、彫刻と同じように太い眉毛を調節していき菅田に近づけていくのだ。なかなか大変だ。集中力もいる。
もちろん眉毛に集中しているのでかなり体力を使う。
今のところ失敗はしていないが最初のお手入れが肝心で、次回以降は最初に剃った場所をなぞるだけの作業だから比較的安心である。
ただ、なぞるだけだからと油断していると『秀才サイコ』になってしまうかもしれないので要注意が必要。
やっぱり目も近いし、何かあっては困るので集中はするべき。

さて、眉毛が菅田になったら。
次は出かけるのが楽しみになる。いつもの自分とは違う。
「目の上にゴワッと存在感のある無法地帯がない俺」
「眉毛だけ菅田の俺様」
が街を歩くのだ。
お手入れしてないであろう眉毛をみては、「おぉ〜、かわいそうに」
なんてスカしたことを思いながら憐んであげる。
なんてったって僕の目の上には菅田がいる(ようなもんである)。
空間を切り裂くような横一文字。少々エラは張っていて四角い顔ではあるが、眉毛だけは菅田将暉。
電車に乗っていても、仕事でエクセルの関数を使っている時も、アホ面で蕎麦をすすっている時も眉毛は菅田将暉である。
ただ眉毛を剃っただけで、僕の人生に革命が起きたような気がした。
鏡を見ると眉毛を確認してしまうようになった。
ちなみにパソコンに向かってせっせと文章を書いている今も、僕の目の上には菅田がいる。すごく安心感がある。
もう菅田無しでは生きていけないかもしれない。
僕の顔には菅田がいる。
そう思うだけでハッピーである。

今日は人生で一番『菅田』と書いた日かもしれない。

サポートしてくれる物好きにはいつかハイボールを一杯奢ります。