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龍を見た者

(2022年4月の記事の再掲です)

 いらしてくださって、ありがとうございます(´ー`)

 はるか古代、人々が日本列島にやって来た方法は、(1)大陸から歩いて、または(2)南方の島々から舟で、という二つが考えられるそうです。

 4万年ほど前、大型哺乳類を追いかけて、大陸から列島に渡ってきた人々があったと申します。当時は氷河時代で、海面がいまよりずっと低く。潮が引けば(あるいは凍結すれば)、北海道と青森を隔てるあの津軽海峡も、もっとも水深が浅いところなら、なんとか歩いて渡ることができたようです。
 
 長野県の野尻湖には、その頃の遺物とされるナウマン象やオオツノシカの化石とともに石器が発見されており、それらを使っていた人々は、もしかすると大陸から「歩いて」渡ってきた集団では、などと想像しております。

 氷河時代が終わると、列島の、とくに東日本方面は、木の実が多く採れるようになり、鮭の遡上という恵みもあって人口が増加。ナウマン象のような大型動物は姿を消しますが、樹々生い茂る森を中心に、猪や鹿、兎などの小動物を狩りつつ、山菜などを収穫する暮らしが始まります。

 ここから縄文時代が一万年以上つづいていくのですが、氷河が融けたことにより、海面は上昇。縄文海進と呼ばれる海面の最大上昇期には、現在では「海なし県」である埼玉県も海に面していたほどでした。

 海を移動する手段は、船。
 国内で確認できる「最古の船」は、縄文時代の前・中期頃にあたる7500年ほど前の「丸木舟」(千葉県市川市にて発見)ですが、人々はこれよりずっと昔、3万年も前から海を渡っていた可能性があるのだとか。

 その根拠となるのは、琉球列島の「旧石器時代」の遺跡の存在で、人が島々に到達するための手段は「船」に限られるだろう、ということのようです。また、静岡県沼津市の3万8千年前の井出丸山遺跡では、伊豆の神津島産の黒曜石が出土しており、旧石器時代人が舟で海を往復したであろうとされております。

 ときに。
 2016年にスタートした国立科学博物館(以下、科博)の『3万年前の航海 徹底再現プロジェクト』という航海実験について、当時の報道やNHKの特集番組などを通じてご存知の方もおいででしょうか。

 科博によれば、私たちの祖先が列島へやってきたルートは三つ。
(1)北海道ルート(2万5千年前)
(2)対馬ルート(3万8千年前)
(3)沖縄ルート(3万5千年前)
 この(3)に含まれる「台湾から与那国島(日本最西端)」ルートを、当時の「船」から再現し、実際に航海してみよう、というこのプロジェクト。

 3万年前の素材と技術で作れる船として、最初は草を束ねた「草束船」、次に竹いかだでチャレンジしたものの、いずれも潮に流され失敗。
 最終的には「丸木舟」で無事に海を渡り切り、2019年にプロジェクトは完結したのですが、この詳細が、『ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋』(雨宮国広・平凡社新書)に綴られております。

 著者の雨宮国広さんは、古民家や社寺修復の仕事をされていた方ですが、あるとき石斧せきふ(石製の斧)に出逢い、その道具としての可能性に魅了されます。
 先人の手仕事を復刻することに情熱を注ぎ、能登半島の真脇遺跡での「縄文住居の復元」を見事に完遂され、科博のプロジェクトの「丸木舟」づくりを依頼されることになったのでした。

 石斧といえば、その昔『はじめ人間ギャートルズ』というアニメ番組がございました。リアルタイムでは存じませんが、骨つきのマンモス肉だとか、石斧を手にマンモスを追いかけるシーンが印象深く、そうした原始的な人々(アニメの主人公たちはクロマニヨン人という設定)に、外洋を渡る船は作れないだろうと思っていたのですけれど……。

 雨宮さんとプロジェクトチームの方々は、旧石器時代の遺跡の出土品を参考に、丸木舟の製作道具を再現し、大木を切り倒し、削り、形を整えていきます。雨宮さんは、これまでに発見されていないものの、技術的には「当時もくさびという道具を使用しただろう」と推察したり、舟を安定させるための工夫や「波よけ」の仕組みなどを発見していく、その過程は、読んでいてとても興味深かったです。

 完成した丸木舟は、五人のクルーを乗せ、台湾・台東県の烏石鼻うしびの浜を出発。彼らは「陸・太陽・月・星・風・波・雲・鳥」といった自然界のあらゆるものから情報を読み取って針路を決める『古代航海術』を使い、与那国島を目指します。

 出航して間もなく、荒れ模様となった天気のもと、クルーは徹夜で舟を漕ぎつづけ、翌朝、ようやく黒潮本流を越えることができました。
 照りつける真夏の日差しと疲労を抱えつつも、互いに励まし合い、厳しい時間を耐え続け……やがて朝焼けに染まる空のもと、とうとう島の上に発生する雲を視界にとらえます。
 出発から45時間。225キロの厳しい航海を、丸木舟は一度も転覆することなく、無事に与那国島へ到着したのでした。

 この航海の場面の描写は、雨宮さんのあたたかなお人柄が滲み、胸が熱くなったのですが、もう一つ、気になることが記されていました。

 『スギメ』(杉の女神)と名付けられたこの丸木舟が、出迎える人々が待つ与那国島まで、あと1キロほどの所に来ていたときのこと。

 そこまで来ていながら、舟はなかなか近づいてこず。
 懸命に舟を漕ぐクルーの姿が、やっとしっかり見えるようになった時、それまでカメのようにゆっくり進んでいたスギメが、突然スピードをあげて目の前をあっという間に通り過ぎていったそうです。

 クルーのキャプテンの原さんは、後にこの時のことを以下のように語っておられます。

『あの時、島に近づくにしたがい、複雑に入り組む潮の流れに翻弄され、この航海の中で一番のピンチを迎えていた。なんとか乗り切らねばと全員が最後の力を振りしぼり、潮の境目に進むべき道を見出した時、スギメちゃんが龍になったかのように、スイスイッとその潮目を進んでくれたんだ。まるで龍の背中に乗っているようだったよ』

 (『ぼくは縄文大工』雨宮国広・著:平凡社新書より抜粋)

 そして雨宮さんは、「旧石器人たちも、きっと龍を見たに違いない。世界の人々の龍への愛着は、人類初の大航海を成し遂げた旧石器人達を起源とするものであるかもしれないと感じた」とのこと。

 黒潮の流れを上空から眺めると、まさしく巨大な黒龍がうねっているように見えます。また、我が家の近くを流れる隅田川には、潮が満ちるとき海水が上がってくるのですけれど、この海水の流れは、水面にうっすらと帯のように見えるのです。こうした海水、海流の在り様を、古代の人々ははっきりと目視していたはずで。
 
 龍という生き物は、架空ながらも西洋では背に翼を描かれ、東洋の龍は蛇のように長い胴をもち、翼はなくとも天をけていきます。
 この東洋の龍の姿は、海面に現れる竜巻から想像されたものでは、とも思うのです。天に届く水柱が海面を走る様子は、昇天する巨大な龍そのもの。

(ちなみに、全長7メートルにもなるマチカネワニという生物は、数十万年前に絶滅したとされていましたが、その近縁種が「有史以降も生息していた」ことがわかったと、今春、報道されていました。発掘された骨に青銅器の痕が残っていたそうで、これだけ大きなワニを目撃していたならば、当時の人々が「龍」を想像する起源になったのかも、とのことでした。……ならば、痕跡が残っていないだけで、有史間もないころの海にもネッシーのような、あるいは本当に龍の姿に似た生き物がいたかもしれぬ……とも思ったりするのですけれど^^;)
 
 出雲や沖縄では、浜に寄り来る海蛇(セグロウミヘビ)を神の使いと崇めますし、各地に龍蛇信仰もございます。 
 これら龍や海蛇を最初に崇めたのはやはり、海の民たちでありましょう。
 安曇氏、宗像氏、津守氏ら、海神を祖とうたう人々は、大海原に漕ぎ出し、潮の流れを畏れつつも、うまく潮に乗りさえすれば海面を滑るように進めることも知るがゆえに、それを崇めてきたのかもしれません。
 陸にあがった人々は、地上にある蛇にもおなじ霊性を認め、蛇を神として崇めるようになったのでは、と。
 蛇に対する信仰については、民俗学者の吉野裕子氏の『日本人の死生観』(河出文庫)という書籍が示唆に富む興味深い内容でしたので、記事をあらためてご紹介したいと思っております。

 最後に。
 この記事でご紹介した『ぼくは縄文大工』には、丸木舟の話のほかにも、現在のSDGs(持続可能な開発目標)の取り組みの参考にもなる「縄文の(エコな)暮らし」のことが描かれております。
 当時を想像するだけでなく、実際に道具を作り、黒曜石を使って獣を解体するなどの実体験から語られる縄文の生活は、さまざまな資源が枯渇しつつある現代で、私たちが忘れてしまった「大切なこと」をたくさん含んでいるように思います。

 縄文の人々は、けして無知でも野蛮でもなく。
 自然を知り、自然と共存し、自然を敬って生きた人々であり、海原に果敢に漕ぎ出した人たちでもあった──。
 読み終えて、彼らこそこの星で「正しく」生きていた人たちなのだと思い、その血を受け継ぐ私たちだからこそできる「何か」があるはず、と感じた一冊でもありました。機会がございましたら、みなさまもぜひお手にとってみてくださいまし(´ー`)

 海の民のこと、安曇族や宗像氏のことを書くつもりだったのですが、とりとめなく(まとまりもなく)長くなってしまいました^^; ついつい古代のことは熱くなってしまって。今後もこんな記事ばかりになりそうですが、ゆるりとおつきあいくださるとうれしいです<(_ _)>

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 最後までお読みくださり、ありがとうございます<(_ _)>

 藤の花の紫もゆかしいこの頃。
 みなさまにも佳き日をお過ごしになれますように(´ー`)ノ

 



 

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