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春風ゆるりと

 いらしてくださって、ありがとうございます。
 
 今日はひさしぶりに、隅田川沿いを散歩してきました。
 当地の桜は明後日開花と予想されていますが、蕾を見るに、さらに数日はかかりそうな気配。けれど日差しにはやわらかな温みがあって、春の到来をしみじみ感じられました。
 
 このひと月ほどは、ゆるりと本を読んで過ごしておりました。

 『三国史記』の百済本紀(ワイド版東洋文庫・平凡社)は、日本書紀に記される内容とのあまりの違いに「???」と首をかしげながら読了。
 三国史記は1145年撰上で、720年成立の日本書紀から四百年ほど後のものではありますが……あらためて「日本書紀は誰が、何を目的に書いたのか」を考えさせられてしまいました。
 百済人、あるいは百済に特別な縁故をもつ者によって書かれたとしか思えない日本書紀の「百済関連」の記述は、日本の歴史書というより「百済の歴史を書き残したい」という強い意志を感じます。
 そしてやはり、文献資料は記す者によって「どのようにでも書けてしまう」ものであり、「正しい歴史」として鵜呑みにはできないと痛感しています。

 『よみがえる大野 日本語=タミル語接触言語説』(田中孝顕:幻冬舎)は、タミル語(インド・ドラヴィダ諸語のもっとも古いとされる言語)から日本古代の神名・地名などを読み解こうとするもの。
 たとえばヤマト(大和)は、ヤ(太陽・日)マト(中心)で「日の中心」の意。天忍穂耳の神名につく正哉吾勝勝(マサカアカツカチ)という言葉は「頭部・中央・末端」「前中後」を意味することから、宗像三女神の「沖・中・辺」と対応し、海上交通の守護神であるオリオンの三ツ星の神格化とする……というような内容が盛りだくさん。
 著者によれば、日本古代の文献資料をタミル語で読み解いていくと、「神武東征は日神崇拝部族による蛇神崇拝部族への攻撃と征服」という姿が見えてくるようで、言葉の個々の解釈もそこに寄せているような印象はありました。
 正直、個人的には「言葉とは読みたいように読めるもの」だと思っています。吉野裕子さんの『日本人の死生観』(河出文庫)を読んだ後は、あらゆる言葉がすべて「蛇」につながっているように思えてしまったように。
 さらにはこの国は東の最果てにあり、原始の時代からこの国にやってきた各地の渡来の人々は、西域を含めさまざまな言語をたずさえていたはずで、一つの言語だけをもって解釈できるものでもないと。
 それでも「箸でホトを衝く」という箸墓伝承のもととなった言葉も、タミル語なら「体を水に沈める」と読めて、さらには箸(ハシ)という言葉そのものがタミル語では「王」という言葉に対応する……などという解釈は、想像の幅を広げてくれて、とても面白かったです。
 
 『日本とユダヤの古代史&世界史』(田中英道×茂木誠:ワニブックス)も、世にあるさまざまは「読みたいように読める」ことをしみじみ考えさせられる一冊でした。
 ユダヤ人埴輪をはじめ、内容的にはすでにさまざまな書籍などで触れてきたものばかりだったので、なおさら著者が読者を導きたい方向というものがはっきり感じられもしました。
 この国への渡来は、いまの私たちが考えるよりももっと多岐な人種と時代があったことは間違いないと思っていますが、それを裏付けるにはさらなる遺跡の発見が必要なのだろうなと。

 いろんな文献資料を読んできましたが、やっぱり一度、全国の遺跡の発掘資料をコツコツと読んで整理しなきゃダメだなと痛感しています。一つ知ると、知らないことがさらにあることに気づいて、果てしないけれど楽しくもあり。人生の残り時間でどこまで読めるかわかりませんが、がんばりたいです。

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 最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 地震にニュースにさまざま心乱れる日々ですけれど。
 どうぞみなさまも心おだやかな春を楽しめますように(´ー`)ノ

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