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「やりたいことしかやりたくない」

この、タイトルにしたわたしの性質、全くもってどうしようもない。

そんな自分に強い劣等感を持ってもきた。

このところ、「やはり自分は気分屋で迷惑なやつだなぁ」と思う事が多かったのだが、、、

Xのタイムラインで流れてきたこの「コテンラジオ」の「存在」についての言説に、気持ちが救われた。
(最近、Xのフォローをしている方が、鬱や躁鬱の当事者の方が増えているからなのか、)

自分の理解した内容としては以下である。

現行の社会では、目に見える短期的な成果が求められる故に、どういう「行為」を成したのかが問われるが、それは現社会の構造上の要求からであり、長期的に歴史的に俯瞰すれば、その「行為」が後世に良い影響があるのかどうかはわからないと。例えばニートと呼ばれる、社会的には支援が必要とされている方も、その人が「存在」して生きていること自体で99%目的は達成していて、社会に影響を与えているから、あとの1%で「力の出ること」をやったらいいと。

現状、すごく恵まれた状況に居る。

20代、30代の時と比べると、やりたいことをやっている時間は格段に増えている。
(当時はそもそもやりたいことが何なのかわかっていなかったか。)

しかし、どうしても「仕事」をしなければならない時間がある。自分は、意に沿わず、やりたくないことをやらなければならない場合、本当にとても疲れてしまう。遅刻や欠勤してしまって、仕事仲間にフォローしていただくことしばしなのである。。(休ませてもらう時はさすがに連絡はしているが)
この社会にあって、これを許容してもらっているのは、どれだけ恵まれた仕事場なのだと頭ではわかっていながら。。。

…むしろ開き直って、「やりたくない事もなんとかやれている自分はよくやっている」くらいのマインドで居てみても良いのかもしれない?と、コテンラジオを聴いて思ったりした。

でもやっぱり、現行の社会で評価される「行為」もできる努力もしていきたいとも思う。それらの「行為」に安心感を覚える自分も居るので。。。

(その努力の内容が、「古事記」の素読とかどうなんだろう?と思いつつ。。。)

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