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厳しさは必要なのか

こんばんは!

昨日、あるお客さんとの出会いがあって
空手の日本一の息子さんがいるとのことで
トロフィーずらり🏆

テレビの取材も来たことあるようでした

そのお客さんも女性なんですが
若い頃からテコンドーとかやってたみたいで
未だに指導者をやってるとのこと

その空手道場からこの前
天心VS武尊戦の前に出てた選手も輩出してると

かなり強豪道場なわけです

しかし

指導する上で
「やる気ないなら帰れ!」
ということを言ったりすると
今はパワハラと言われるとのことでなかなか厳しくは
できないと、、、

これ、結構ショックでしたが
深い問題なので、考えてみようと思います

まだ普通の道場なら良いんですが
強豪道場でそれはいかがなものかと

その状況で今の子供たちはどうやって強くなるのか

僕は柔道やってましたが
真冬でと窓開けた道場で薄着の柔道着なのに
汗をかいてないと
手を抜いてるとゲンコツ食らったりした状況で
毎日柔道やってました

「やる気ないなら帰れ」なんて挨拶みたいなものです

僕の通っていた道場は先生が亡くなってしまった
影響でもうなくなってしまったので
今はどうなのかとかは確認できないですが
厳しさは必要だと思っています

というのが僕の考え
というかそんなの当たり前でしょと思う人も
スポーツ頑張ってた人なら特に多いですよね

ですが、経営者としての器を大きくするためには
それだけではなく
色んな人の考えをもう少し理解を深める必要があります

なぜなら、他人は変えられない
変えられるのは自分だけ

事業は人の協力なくしてはできないので
人を自分がもう少し理解しなくては

今回の例で考えると
ミスマッチが原因かなと考えました

・教わる側の親
空手をやらせてみたかった
子どもにとって良い経験になればという気持ち
厳しさはあまり必要としない


・教える側
強豪道場なので、強くなり勝つことが前提
強くするための優先順位が高く、厳しさも必要と考える

このような気持ちの差が
パワハラという言葉を生む
そのように捉えてしまう

しかし、強くなりたい勝ちたい人にとっては
厳しさを有難い
愛の鞭として捉える

教わる側と教える側での目指す方向で一緒でないと
厳しさはパワハラになる

なので、2つの視点から厳しさについて
考えてみます

・教わる側
強さを求めないのであれば、厳しいところに
入る必要がない
その見極めが必要

強さや成長を求めているのであれば
厳しさは嫌な気持ちになったり、パワハラと感じる
こともあるかもしれないが
愛の鞭と捉える

今の時代、厳しさには教える側は誰もが
気を使うところなので
強さや成長を求めていくなら
「成長したいので厳しくしてください」
という言葉と必要かも

・教える側
強さを求めていない子には厳しさは
必要とされないことを理解する
もしくは、そもそも強さを求めていない人は
道場にいれない ミスマッチを起こさない

強さや成長を求めている人には
厳しさは必要 伝えた方がいいことは伝える
直した方がいいことは伝える

最低限のこと以上のことは求めている者にのみ
厳しく指導する
本当に強さや成長を求めているのか都度確認は必要
気持ちは変わる
押し付けではなく、自発的に

とは言っても時代が時代なので
理不尽な厳しさは通用しないことが多い

僕の場合は教える側でもありますが
教わる側でもある。両方注意していきたいです

しかし、僕ら20代は教わる側をもっと極めていかなければ
ならないと思う

自発的に厳しさを求めていかないと
誰も厳しくしてくれない時代

パワハラというワードがある現代だからこそ
厳しさを求めることが重要だと思う

だって、スポーツやっていた人は
厳しかったことによって成長できませんでした?

勉強頑張った人も
厳しかったことによって成績あがりませんでした?

僕は厳しかった柔道の先生には
感謝しかない
そこで得たことが人生の全てに繋がっている

あれ、でも厳しいだけで
感謝できない学校の先生もいるな
理不尽というか尊敬できない人はダメかもです

そうすると、尊敬できる人が
周りに多いのも恵まれているな僕は

尊敬と厳しさはセットですね


では、本日もありがとうございました!

また明日もよろしくお願いします!

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