私はもう、孤立を恐れて無理して空気を読むのをやめることにした。
今、私は
あなたにそして自分に言う
得体の知れない不安に
無理矢理な同調圧力に
閉鎖的な無言の暴力に
どうか負けないで
明るく穏やかな幸福の希求
そして安心安全の元で自由に平和に暮らす事
それらが脅かされる環境を認めない
そして
その個人の権利を圧倒的大多数の名の下に
思想を統制しようとしたり
無きものにしようと迫害したり
本来の自由の意味を純粋に求める心を罵ったり
多数決によって異論を封殺したり
果たしてそれが
一人一人の幸せに通ずるものがあるのか?
納得が出来ない事に無理して賛同するのは
決して本意では無いところの
「同調圧力」でしかないと思う
それに甘んじて屈するのは
全く以って自分の必要とするところでは無い
こんな遅くに 漸くやっと 悟った(わかった)
………
今年の私はずっと強気でいます。
進んでまでは群れませんし、多数決で確立されたものが自分の意とそぐわないのであれば孤立してもいいとさえ思っています。協調性が無いと罵られ馬鹿にされても、いちいち孤独を言い訳にしない。
これまで人の言動に振り回されたり、気弱ゆえにその場の空気に流されて同調してきたりして、それで結果的に失敗してきた私は、もうこれ以上、自分の心を折られるのは嫌なのです。もう半世紀近く生きてきてるのに、自分の心を騙し騙しで生きて死んでいくのは、もうやめにしたいのです。
少しずつでも一気呵成でも、意思を貫く努力を死ぬまでしていくのが今後の余生のテーマだと思うことにしました。
そうたいして頭が良くないので、
そんな大それた事など出来る訳ないと嗤われるでしょう…それでも。
万一の時は正当な方法で立ち向かうと決めています。