理性はエンジン、感情はガソリン 〜言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン

タイトルのセンスが悪くて申し訳ないです…

今日発令の「緊急事態宣言」、我が街のある愛知県は何故か外された。最近だって警察学校でのクラスター感染があったばかりだというのに。
そして、息子達がそれぞれ住む千葉県と兵庫県にも対象として指定された。各々一人で暮らす二人は、昨日家族LINEで不安を漏らしていた。何かあったらLINEのビデオ通話をかけておいで、としか言ってあげられなかったけど。

4月に入ってから、何処に行っても不安の声しか聞いたことがない。
これまで楽観視していたツケが回ってきた事は、私達それぞれが自覚しなくてはならないのかもだけど。
自分のSNSの過去投稿を見返していたら、私は2月の時点で「先行きが見えない」と書いていた。でもそれは甘く見ていたということが、今になって身に沁みて来ている。
2020年がやってきた時はきっと楽しい事がたくさんやってくるんだろうなと思ってたあの頃も、そしてこれからの未来も、どちらも思いやれない程に何も見えないだなんて。

状況は刻一刻と移ろい変わりゆく。
時系列的なその時々の事情や状況は、今とは全然違っているし、今日大丈夫だった事は明日は真反対に自滅行為となる事が多い、現在進行形なのが一段と速い流れで加速している。スピード感に押し流されて自分の居場所や立ち位置さえも分からなくなってしまっているかのようだ。それはリアルソーシャルでもインターネット上のソーシャルネットワーキングサービスの中でも変わらなくなってきている。いや、寧ろ今のほうがとてつもなく、過酷だ。

「自己責任」という言葉が横行する。
私が若い頃には、そんな言葉で片付けられることは無かった。寧ろそれはどちらかというと「挽回」の名の下に少しでもチャンスが与えられたし、少なくとも救いの手を差し伸べたり助け合ったりしていたように思う。しかし今時は自己責任という言葉にさらに尾鰭背鰭(おひれせひれ)が付き、まるで処刑宣告の為の「最も正当な事由」のような扱われ方をしている気がする。
「それは違うんじゃないか」という滅多刺しレベルで叩いてるのはあまりにも感情的過ぎる。個性の尊重や表現の自由を叫びつつ言論弾圧をしているかのようだ。自分(達)の意見に逆らうものは容赦なく叩きのめす、小さな独裁者の集まりのようだ、それらの集合体が得体の知れない怪物となっている。
自分の不安を他人になすりつけて滅多刺しにする、そんな事で胸の中の蟠りを梳いている。自分の罪を自覚してないことほど、愚かで滑稽な事はないのだ。

…ということをSNSの全体公開で言ったら、ネットリンチされる世の中なんだ、もう既に。SNSで垣間見えるのはそんな争いばかり、人間の業を見るような思い。

逆らう人や弱い立場に転じた人を叩きのめしたらところで、今の状況は変わるのか。群衆さんよ。

心頭滅却することを学び覚えようじゃないか。私も含め。


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