[無職転生]どこまでも行ける気がした あの時の僕はどこだ
現在、第2期第2クール放送中のアニメ「無職転生~異世界行ったら本気出す~」。
近年人気になりつつある所謂「転生モノ」で、34歳・童貞・無職の引きこもりニート男が異世界に転生して新たな人生を送るというストーリー。
物語序盤の印象は、まさに転生前の主人公と似た層に人気な(失礼)スケベアニメといった所で、特に心を打たれることはなかった。
しかしどこか続きが気になってしまう物語で、アニメ第1期が放送されていた2021年に、アニメに先行してなろう原作を読み進めていた。
ー気づけば大泣きしていた。読破する頃には、こんな素晴らしい作品に出会えた自分の人生を誇りに思っていた。
今回は、そんな本作への想いを綴ってみようと思う。少なからずの層がアニメ勢なのを理解しているので、ネタバレは避けている。
本気で生きていなかった高校2年
このアニメ第1期が放送されていた頃(2021/1)の私は、当時高校2年から3年に上がるタイミングだった。
皆さんご存知、この頃はまだまだコロナ禍の煽りを受けているといった所で、まともな学生生活を送れていなかった。
私は当時部活動で部長を担っていたけれど、大会や遠征が無くなったり、受験が頭によぎったりしてあまり部活動に本気で向き合えていなかった。
更に学業にも苦戦していて、模試で散々酷い結果が出ているのにも関わらず、まともに勉強する気が起きていなかった。
ーそして、何より人生を暗く見積もっていた自分がいた。
典型的な「日本オワコン」「今の社会はダメだね」と心の中で文句を言いつつ、また、将来を不安視していながら、大して行動しないダメダメ高校生。どうしてこうなってしまったかと言うと、まぁ確実にコロナ禍の精神的影響はあったのだが、原因は何であれ人生を「本気で」生きていなかった。
そんな中、本作に出会った。
本当にたまたまだった。何となくアマプラで出てきて、ちょっと気になるから見てみるか、という感じ。まさかこれが天啓だったとは…。
人生の捉え方が180°変わった
本作に触れてから、私は人生の捉え方が180°変わった。
本作で主人公は、全力で今を生きる努力を続けている。勿論、時に絶望に打ちひしがれ、また時に自惚れる日もあるのだが、一貫して目の前の人生の手を抜かない姿勢を見せている。
全力で取り組んでいる間は気づかないものだが、過去積上げたものが後半大きな意味を持ってくる。人との繋がり、知識、能力…それらが自分を助けてくれる。
ーきっと、私たちの人生もそうなのだろう。
この物語には妙に説得力があった。
それからというもの、私は今できることを最大限やろうと思うようになった。将来が不安だとか、過去ダメだったからだとか、ハッキリ言ってどうでも良い。
久しぶりに参考書を開いた。
久しぶりに初めて部長になった時の、「やってやる」という感情を呼び起こした。
久しぶりに本棚から本を取り出した。
筋トレや食事管理をやり始めた。
正直、全ての努力になにか勝算があった訳ではない。無駄死にする可能性だってあった。でも…ただただ主人公みたいに"本気で"生きてみたかった。
それから半年ほど経って、部活動も引退の時期を迎え、引退試合を行うことになった(残念ながら、コロナ禍で正式な大会は中止になってしまった)。
試合直前、チームメンバーを率いて佇んでいる自分を、"もうひとりの自分"が遠くで見つめていた。
自分で言うのもあれだが、その背中は誇らしかった。ルーデウスにも引けを取らなかったと思う。
実は中学時代、部活で最底辺の実力を誇っており、半分お荷物扱いされていた惨めな過去があった。毎日が辛かった。この時、そんな過去の自分も同時に思い返していた。
ー大丈夫、未来は私が何とかしてやったよ。
その後、勉強も励み第1志望に合格して、大学生活を満喫したのだがー本物語で「ターニングポイント」と題して人生の方向性がガラッと変わってしまうように、私も大きなターニングポイントを経験し、一時期は生きる気力を失ったこともあった。
…それでも、私は必ずこの人生に戻ってきた。どんなに絶望に打ちひしがれても、どんなターニングポイントに見舞われても、この世で生き続けている限り、本気で生きたいと思う。そう思うようになったのは、本作に出会ったからだと確信してる。
本作では異世界に転生しているのだが、これは一種の比喩でしかなくて、実際には人はいつでも転生出来るのだと思う。私がそうしたように。
人生に行き詰まった時、過去に囚われてどうしようも無くなった時、私は今でもこの物語に戻ってくる。
そして、心から感動すると共に、また杖を手に取って立ち上がる。
いつまでも絶望に打ちひしがれていては、人生はあっという間に過ぎ去ってしまうことを、私は理解しているからー。
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