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本屋さんで本当にあった心温まる物語

2011年3月11日 14時46分

私たち、日本人にとって忘れられないあの日から
今日で10年が経ちました。

この10年間、私たちあさ出版も、書籍、人、活動を通して、
様々な3.11を見聞きし、お伝えしてきました。

その中から、
今日、みなさんにお届けしたいお話は
東北の小さな本屋さんのお話です。

本屋さんで本当にあった心温まる物語

川上徹也著

 本屋さんには、なぜか人を惹きつける不思議な魅力があります。
目的の本があるわけでもないのに、つい立ち寄ってしまう、店内にいるうちに、時間を忘れてしまうなんてことはしばしば。そんな本屋さんであった心温まるお話を集めた、川上徹也氏著 『本屋さんであった心温まるお話』より、「一冊の『ジャンプ』」というお話です。


一冊の『ジャンプ』

その『少年ジャンプ』は、100人以上の子どもたちに回し読みされました。
その『少年ジャンプ』は、暗く沈んだ子どもたちを笑顔にしました。

2011年3月11日。
日本にとって忘れることのできない、東日本大震災が起きました。

東北地方一の大都市、仙台も、大きな被害を受けました。
 街の小さな小さな本屋さんである塩川さんのお店も、大きな揺れで店内にあった本という本がすべて散乱し、ぐちゃぐちゃ状態。水道、電気などのライフラインも止まってしまいました。幸い、ライフラインは翌日に復旧しましたが、本や雑誌の流通は完全にストップ。
 交通状態も悪く、しばらく復旧する見込みもありません。
事態が事態ですから、店主の塩川さんも当分店を閉めるつもりでいました。
実際、周りの人々も食料の確保に忙しく、本屋が必要な状況ではないように思われました。

 翌日、食料を買い出しに行った塩川さんは、近所に住む顔見知りの奥さんに会いました。
「お店はいつから開けるの?」
「この調子だといつになるか……」
「そう。テレビは津波や地震の映像ばかりでしょう。子どもたちが怖がっちゃって。絵本やマンガを読ませてあげたいのよ」
その言葉に、塩川さんはハッとしました。
こんな時だからこそ、町の小さな本屋ができる役割がある。
それを教えてもらったのです。
 塩川さんは、店を開けることを決意し、すぐに後片づけと準備に取り掛かりました。
 そして、地震からわずか3日後の3月14日、店をオープンさせたのです。
再開初日から想像をはるかに超えるお客さまがやって来てくれました。
みんな活字に飢えていました。そして新しい情報を欲しがっていました。

 しかし流通が止まっているため、新しい雑誌も本も入ってきません。
復旧の見込みすら、まだ立っていない状態です。
もちろん、お客さまはそんな事情など知りません。店が開いているということは、当然新しい雑誌や本が置いてあるものだと思っています。
「申し訳ないのですが、入荷していないんですよ。いつ入ってくるかも、まだわからないんです」
 塩川さんは、来るお客さま来るお客さまに事情を説明し続けました。がっかりするお客さまの顔を見るたびに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
子どもたちの落胆ぶりを見るのは、とりわけつらいものです。
『コロコロコミック』が入荷していないことを知り、泣き出す子どももいました。
いちばん人気は『少年ジャンプ』。
 大人気マンガの「ワンピース」の続きが読みたいと、たくさんの子どもたち、大人たちがやって来ては、残念そうに帰っていきました。
 その後ろ姿に、塩川さんはやりきれない気持ちでいっぱいでした。

震災から10日後の3月21日。

 ひとりのお客さまが店を訪れました。以前から、よく買い物に来てくれていた20代後半の男性です。彼は、まっすぐレジ前にいた塩川さんのところにやって来て、「これ、僕はもう読んだので、よかったらみんなに読ませてあげてください」と、袋から何かを取り出しました。
 差し出されたのは、最新の『少年ジャンプ』。本来であれば、19日に店頭に並んでいたはずの号です。
 どうしても続きが読みたかったからと、わざわざ山形まで行って購入したとのこと。ずっと子どもたちに『ジャンプ』を読ませてあげたいと考えていた塩川さんは、ありがたく譲り受けることにしました。

10分後、店の前に手書きのポスターが貼り出されました。
そこには次のように書かれていました。
 
「少年ジャンプ3/19日発売16号15号 読めます!!1冊だけあります」

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このポスターの威力は絶大でした。
 貼り出して30分もしないうちに、数人の子どもたちがそのポスターを食い入るように見つめていました。

「『ジャンプ』、本当に置いているんですか?」
「置いているよ」
「読んでもいいの?」
「ああ、今回は特別だよ。立ち読みオッケー!」
子どもたちの歓声が上がりました。

 普段、塩川さんの店は、立ち読みを禁止していました。
本はちゃんと買って読むものだというポリシーを持っているからです。
でも、この時ばかりはそんなこと言っていられません。
『ジャンプ』を読み始めたとたん、子どもたちの目はキラキラ輝き始めました。
声を出して笑い出す子もいました。
 読み終えた子どもたちは口々に「おじさん、ありがとう!」「続きが読めてうれしかった」などと言いながら、元気にお店を飛び出していきました。
しばらくすると、別の子どもたちが店にやって来ました。
「『ジャンプ』、あるんですか?」
「ああ、あるよ」
「やったあ!」
 こうして一冊の『ジャンプ』は、次から次へとやって来る子どもたちに回し読みされ続けていったのです。
 読んでは元気になり、お店を飛び出していく子どもたちの姿に、塩川さんも少しだけほっとした気持ちになりました。
「塩川さんのお店に最新号の『少年ジャンプ』がある」という話はあっという間に広がり、翌日、お店の前には長い行列ができました。
自転車に子どもを乗せ、二時間かけて連れてきたお母さんもいました。
「余震でおびえる子どもを少しでも落ち着かせたい」という親心でした。
「ずっと震えていた子どもがようやく笑ってくれました」と、涙ながらに塩川さんにお礼を伝えてくださったお母さんもいました。
 次の日も、そしてその次の日も、店の前に長い行列ができました。
なにしろ、最新号の『少年ジャンプ』が読めるのは、仙台で塩川さんのお店だけ。
 仙台市内だけでなく、市外、時には県外からもやって来ていました。その多くが親子連れでした。
 

 1週間も経つと『ジャンプ』は、ボロボロになり、インクのかすれた所も出てきました。それでもその一冊のジャンプを求めてやって来た、多くの子どもや大人たちを幸せにし続けたのです。
 
 地震から2週間ほど経ったある日、ひとりの新聞記者が店の前を通り掛かりました。
津波の被害を受けた湾岸部の取材を終えた帰りでした。
貼り紙と並んでいる子どもたちの姿を見た記者は店に入り、塩川さんに理由を尋ねました。
 翌日、お店のことが小さな新聞記事になりました。この小さな記事は、ネットニュースにもなり、多くの反響を呼びました。

 その日から、多くの善意が塩川さんのお店に届くようになります。
お母さんに連れられ、最新号の『コロコロコミック』を持ってきてくれた小さな男の子もいました。山形の親戚から送ってもらった貴重な一冊だったにもかかわらず、「みんなに読ませてあげたい」と言ってきかなかったのだそうです。
 この『コロコロコミック』は、幼い子どもたちの心を癒し、元気をプレゼントしてくれました。数人で仲良く一緒に読む幼い子どもたちの微ほほえ笑ましい姿に、塩川さんも子どもたちを連れてきたお父さん、お母さんたちの疲れも癒されたのでした。
 それからも、『サンデー』、『マガジン』、『チャンピオン』などのマンガ雑誌の最新号がどんどん送られてきました。合わせると30冊以上。
届いた雑誌はすべて店頭に置いてみんなが読めるようにしました。
 日を追うごとに行列はなくなっていきましたが、子どもたちの笑顔はどんどん増えていき、それを見守る大人たちに元気を与えていきました。
温かな立ち読みは、宮城県で雑誌や本の流通が再開された四月上旬までずっと続いたのです。

 いつの頃からか、雑誌コーナーの横に、募金箱が設置されました。
子どもたちの仕業でした。
 タダで読むのは申し訳ないという気持ちがあったのでしょう。そして、感謝の気持ちも。1回読むと20円というルールが定められ、合計4万円あまりが集まりました。塩川さんはそのお金を、津波を受けた地域に本を届けるプロジェクトに寄付しました。
一冊の『ジャンプ』がもたらした、ささやかな奇跡でした。
 数百人の子どもたちに回し読みされ、ボロボロになった一冊のジャンプは、現在、「伝説のジャンプ」として、発行元である集英社の編集部に保存されています。
編集部員やマンガ家たちに、誇りと勇気を与えて続けているのです。


 本屋さんは様々なものと出会える場です。
1冊の本に出逢ったことで人生が変わった、なんていうお話も、よく聞きます。

本には人生を変えてしまうほどの大きな力があり
様々なピンチから抜け出す方法を教えてくれることもあります。

小さな子どもから、お年寄りまで、
いつ、どんな時でも寄り添ってくれる物語がある。

本屋さんでまた新たな物語が産まれたとしたら、こんなにうれしいことはありません。

あなたの物語に出逢いに、本屋さんに出かけてみませんか。


来週より


今は、なかなか行くことができない「ディズニーランド」へ、心温まる物語とともに、みな様をご招待したいと思います。お楽しみに♪


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