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ふりかえれ2021年

2021年は大吉を引いたことから始まった。しかも2回。これは良い年になるぞ、いや良い年にしなくてはならない。そんな意気込みで過ごした結果、人生の中でもかなり大きな転換点を迎えることになった。

10月末でそれまで勤めていた慶應義塾大学政策・メディア研究科の研究員の職を離れ、ライティングをメインとするフリーランスになった。親に連絡する時は内心ビクビクだったが、返事は拍子抜けするほどアッサリ。こういう時、末っ子を実感する。

プロマネときどき研究員

ファーストキャリアとなる大学の研究員は、「就活?なんとかなるやろ」と放置していたまま修了してしまったところ、指導教官に「研究員」として採用してもらったのが始まり。本当に感謝しかない。

大学の研究室には色々なスタイルがあるが、私が勤めた場所では、企業や自治体とがっつりタッグを組み、ゴリゴリに製品化や社会実験を行うことに重きが置かれていた。

物理特性計測のために何百もの3Dデータを製作したり、学外で行われる展示のために什器を作ったり、社会人向けの講座に講師として加わったり。自分はピュアな技術研究者には程遠いのだが、その分多くのプロジェクトに関わらり、およそ一人では知り得ない分野の企業・産業・社会課題を知ることができたのは本当に幸いなことだった。

大学教授・団体理事・スタートアップCEO・鎌倉市部長、に囲まれる私。緊張で死ぬかと思った。

最後の1年は大学と自治体、さらに2つの民間企業が共同で実施する市民参加型の3ヶ月にわたるワークショップの舵取りを担当。企画の立案や内容の調整から資材調達&ロケハン、当日の運営・司会進行、対外発表や成果の論文化まで、ほぼほぼ全ての工程に携わった。

コロナ禍というシチュエーションもあり常にドキドキだったが、多くの人に助けられながら、いわゆる「産学官民」連携の一役を担い、さらなる密な連携へのタスキをつなぐことができたと感じている。


揺籠からの脱出

ここまで穏やかな研究員ライフを歩み、次の拠点も立ち上がったというタイミングで、何故辞めるのかと聞かれたら、それは「穏やかすぎた」からかもしれない。

研究員として過ごす日々には大きな不満もなく、実り多いものだったことは間違いないが、おれはこのまま大学の中でしか働けないんじゃないか。博士課程にも進まず、アカデミックな道に体を捧げる覚悟もないのに、このまま居続けていいんだろうか。そういう不安が頭をもたげていた。実際のところ、大学の肩書を使わずにできる自己紹介が、それほど思いつかなかった。

将来のことはわからないが、学部時代から関わっていた大きなプロジェクトが終わりを迎えるタイミングで、ここしかないと思い、退職したいという意向をお伝えした。大学院への進学、休学の相談、研究員としての採用。それらと同じように、やさしく理解していただけた。

ライターとしてのこと

大学・大学院・研究所での活動行して副業的に取り組んできたのが、ライターとしての活動。なんとも非常に説明しにくいのだが、特にこの数年ではどちらも本業くらいの位置づけになっていた。

デジタルファブリケーションと取材ははちゃめちゃに相性が良くて、ものづくりという共通の言語を持っていれば、全く異なる取り組みをしている人たちに話を聞きに行ける。地域の特性を活かした施設運営だとか、そんなふうに技術を使うんだ?とか、一度の取材で必ず一つ以上のサプライズがある。

大学院まで行っても個人的なテーマを掘り下げきれず、研究者としても目立った実績を残せなかった私にとって、こうした仕事はある種の救いであった。空っぽな自分が持てなかった熱意や興味を、周りの人々が携えており、その話を聞きに行ける。それだけでは単なる自己満足かもしれないが、自分が言葉にすることで、他の人の心を動かしたり、次なるアクションが起きたりするにまで至れば、僕が活動する意味もあるというものだ。長くなりそうなので、この辺のことはまた別の機会に。

これからのこと

ライターとしての活動は楽しいし、適性があるとも思う。どんどん頑張っていきたい。退職を機に声をかけてくれる人がたくさんいて、本当に感謝しかない(何かお仕事があればいつでもお声がけください!)。

でも、せっかくこれまで経験もあるのだから、もっと広い視野でも活動をしていきたい。自分も一人の作り手・プレイヤーであることを大切にしていきたいと思う。

持ち運べる電動ピンボール的なもの。エレメカの奥深さを知った。

仕事とは全然の取り組みとして、今年の前半は FabAcademy という講座を受けていた。3Dプリンタを改造して、基板を設計して、プログラミングして、ものをつくって。「毎週3時間超のオンライン英語講義+週末ラボで制作+みっちりドキュメンテーション」×20週というなかなかタフな日々だった。

完成品は正直「卒業要件は満たしているが改善したいところだらけ」という出来栄えなのだが、インストラクター曰く「これは 1st Spiral でしかない。2nd, 3rd と回していくことが大事だし、そういうふうに思えるマインドが得られたなら1番の収穫だよ」とのこと。僕もそう思えるくらいにはなれたし、働きながら達成した自分は素直に褒めてあげたいとも思う。

12月19日のために作った、サブスクで音楽が聴ける《ジュウク・ボックス》

Fab Academy が終わってからしばらくはまた手が止まっていたのだけど、ファブラボ仙台のアドベンドカレンダー企画に呼んでもらったり、何か作ってみてほしいと相談されることも増えてきた。

バカみたいな感想だけど、やっぱり何かを作って人に見せるのは楽しい。文章にせよものにせよ、僕は誰かに構ってほしい、笑うか喜ぶかしてほしいだけなのだと思う。今後も人をポジティブな気分にするために活動していくと思うけど、その手段は決して文章を書くことだけではないとも感じている。

そのためにはもっとデザインやエンジニアリング・組織や場づくりの力も必要で、そういう仲間との仕事にも取り組んでいきたい(し、少しずつ始められているのが嬉しい)。これまでの自分を適度に誇りに思いつつ、2022年は一人では歩めなかった地表を進んでいけると嬉しい。

それではみなさん良いお年を!以下は今年書いたおすすめ記事です。

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秋葉原のディープな電子工作ショップへの取材。編集部の提案でおっかなびっくり伺ったが、秋葉原の歴史やリアル店舗事情などが奥深すぎて足の痛みも忘れて聞き込んだ。SNSでの評判も上々で、何より店主さんが喜んでくれたのが本当に嬉しかった。

あこがれのジャンプ編集部にお邪魔できただけでも最高なのに、しっかりバズって会社の知名度向上にも貢献できました。僥倖。

最寄駅からすぐ近くの商店街での取り組みに密着。コロナの影響が強く、リリースまでに足がけ1年かかってしまったが、リアルな場ゆえの可能性と難しさを近くで見ることができた。

こちらもコロナ禍でうまれた取り組み。SNSで見かけて自分からアポを取り、リアル展示会にもお邪魔した。これまた家から近い範囲での出来事であり、足を使って体験することの楽しさをヒシと感じた1年だったかも。

俺にしか需要がない記事。でもなんか書かなきゃいけない気がして、ボリュームもすごいことになってしまったが、たっぷり自己満足した。

退職してすぐの休職期間に遊びに行った名古屋の思い出。完全に個人的なものだが、方々で評判が良かったらしく私はハッピーです。2022年はもっと色々な場所に行くぞ!

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