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週報14|甦れ復習の鬼 / 振り返ることを振り返る / 濃厚な日々の始まり

240325-240331

新年度が始まった。今年は仕事の幅を頑張って広げたいので、いくつか資格の勉強を始めた。毎朝起きて1-2時間、テキストを開いて問題を解く。わからないところはYouTubeに大体解説が載っているので、時代の変化を感じる。勉強できない言い訳ができないし、学ぶのにも最適な時代とも言える。中学生前半ぐらいの、友達からテスト前にノートが引っ張りだこだった時代の淺野を、頑張って呼び戻したい。

広げる幅の一つとして、来月に本を出そうとしている。それに合わせて打ち合わせや相談、小さなトークイベントなど実施し、その文字起こしを終わらせた。メイン内容は去年のすみだ向島EXPOで書いた31日間の日記なのだが、客観から主観への変化が起きており、毎日必ずという強制力が自分の内面をこじ開けていたらしい。見聞きしたものの情報量を処理しきれなくなって、ポロリとこぼれ出たものが表現であり、僕の場合はそれが文章だったということか。中高大と周りに素晴らしい作家やアーティストがたくさんいて、それに比べて僕はとずっと思い続けているのだが、他者や環境へのリスペクトがあるんだねと言われ、なるほどと腑に落ちる。尊敬と卑屈は表裏一体なのかもしれない、手放しですごいすごいと言い続ければいいのに、自分がもしかしたら向こう側に行けるかもと思うから座りが悪いのであって、この反復横跳びを止めるために本を出そうとしている。

本の定価を考える。一般で流通している書籍の、なんとリーズナブルで価値あることか。あらゆるエンタメがある中で、新聞に顕著だが大量に刷って流通させる前提の価格設定にしか触れてこなかったから、そこを基準にすると簡単に弱気になってしまう。参照すべきは個人が作った作品などであって、その物差しを持つためには自分でお金を使うしかない。去年写真家やプロダクトデザイナー、陶芸家から個人制作の作品を購入しており、この人なら、このストーリーや体験ならと納得して買ったことが勇気をくれる。大きな社会の相場と、小規模個人の相場は全く違うものだな。

歯が痛い。歯が痛いのを情けないと思うのは、比較的コントローラブルな器官であって、悪いのはだいたい自分のせいの気がするからだろうか。思えば久々にチョコレートやスナック菓子をよく食べ、その翌日あたりから沁みる感覚がある。虫歯建設株式会社が働いている。

原稿の仕事も着々と進めている。食い扶持は今のままだと緩やかに減少に向かいそうなのだが、これは長い目で見ても同じなので、良い機会だと思って向き合いたい。事業体として考えると赤字やら仕入れやら、そういう概念にも堂々と対峙せねばならずで、貯金の使い方が下手だったとか、予算計画なんやねんとか考えることはクソほどあるのだが、会計とか会社とかの本やテキストを読んだ時の解像度が格段に上がっており、泰然とした気持ちも芽生えてきた。

生活している京島では、夜にいきなりお坊さんがDJを回す神楽が行われたり、銭湯で街の歴史やこれからを考える連続講義が始まったり、駅前のマーケットで600回記念イベントが行われたりしている。それらに顔を出し、新年度早々に濃い日々が始まったなと実感し、頭がパンクする前にアウトプットする日々がまた始まる気がした。

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