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週報02|大掃除の余韻 / ペンが持てない日 / 朝から晩まで生活だけがある

240108ー240114

週の初めに、1週間の予定をScrapboxに書き出している。原稿の締め切りや取材、ワークショップや資料準備などマストなものから並び、仕込みを進めた方がいいもの、ただただ楽しい予定へと続いていく。まだ本格的に世の中が動き出していないせいか、仕事的にはほどほどで、むしろリストにない余暇の楽しみが膨大だった。ようやく冬休みだったのかもしれない。

年末年始に大掃除をしたので、それをキープしたいという気持ちが働いている。いつでも人が来ていいように、いや別にくる予定などたいしてないのだが、そういう気持ちでいれば便器も白く光るというものだ。本棚の整理が途中だったので片付ける予定だったが、棚の前を塞ぐ緩衝材の山をバラして袋に詰めて終わった。積読すら始められないくせに活字への欲求は高まっていて、本屋で初めて文芸誌の欄を漁るなどした。ジャンプと同じで連載と読み切りがあるのだな。

包丁を握る機会も増えた。キッチンはいくら掃除しても狭いのだけど、可処分所得をシミュレーションすると明らかに外食しすぎだし、いざゴボウの皮を剥いたりりんごのジャムを作ってみたりすると心が落ち着く。瓶を煮沸して、銀杏切りにしたりんご(りんごは銀杏じゃないのにね)に山盛りの砂糖を加え、鍋のサイズが違うから焼き林檎みたいになったけど、自分が手を下したものが冷蔵庫にあることの安心感がうれしい。

ものづくりへの欲求。名刺サイズのプレス機を作るワークショップに参加したり、解体される建物からトタンを分けてもらったり、営業初めの工房で忙しくしたり。工房では暇な時間に原稿仕事をすることもあったのだけど、物理的にできることは無限にあるのだからそれをした方がいい。デロンギのオイルヒーターを古い灯油ストーブと並行して使えば寒さはギリなんとかなりそうで、膨大なTrelloのカンバンを少しずつ移動させていきたい。

これも年の初めだから家計簿をつけ始めていて、なんとなくの予算を見つつ若干節約思考になっていたのだが、バッと小さな彫刻を買った。買えなくもないですよという嫌な余裕も勘繰ったが、100円差があるバナナを買うことに躊躇する自分と、1万ちょいする小さなオブジェを買いたい自分は両立していて、貨幣に変換することの感覚をバグらせたいのかもしれない。つくったもの、役割に変換しづらいものに、それでも値段をつけねばならないとしたら。自分が売る側になるかもしれないわけだしな。

紙の手帳で日記をつけ始めて2週間が経った。その日のうちに日記をつけようとしているのだが、喜びと不安で枕元にペンを転がしたままの日があった。それはそれで、翌日振り返って埋めること自体も記録なのだと思う。飲み屋の常連に「あなたはみんなに優しいけれど、カウンターを挟んでいる気がする」と言われて、心のパンツを見せることの難しさに腕を組む。よく自己開示だとか自分の弱さを見せることが大事だと言うけれど、自分の中の弱淺野自体に気づけていないような気もする。何に怯えているわけでもないのだが、凝り固まった体良く振る舞うフォーマットを崩せるといいとは思う。

休日を意図的に設けることにした。とりあえずGoogleカレンダーの毎週某曜日に勇気を持って終日休暇の予定を入れる。あとは工房が続いたときもちゃんと休む。生活とつながったことを仕事にするのだから、自分の生活がままなっている方がいい。朝起きて掃除して、ご飯を作って本を読み、お店に行って人と話し、たまに好きなものを買う。人生は生活でいっぱいだ。


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