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週報01|路上の擬似家族 / 途中でやめるをやめない / 暗渠のような時間の流れ

240101ー240107

2024年が始まった。急いで対応する案件は少なく、凸工所も初週はクローズにしたので、久々に丸ごと一週間ほどのゆったりした時間が取れた。

大晦日は紅白のけん玉を見届け、風呂に入ってから近所の集まりへ。道路が拡幅されるまでの間、地主さんの許可を得てひらかれているアトリエで、近所の建物から出た廃材だけでアジトのような空間が出来上がっている。23:30ぐらいから人が増え、みんなでゆく年くる年を見ながら年を越した。長野から運ばれてきた陶芸用の窯に火が灯っていてあたたかい。ストーブでお餅が焼かれたり、こたつで初対面の人同士が麻雀をしていたり、血の繋がった家族は全然いないし何せ路上なのだけど、久々に一人でない年越しの瞬間を過ごせた。

そばを食べたり紅白の話を聞いたりしたのち、午前2時くらいに自然と片付けの流れに。みんな黙々と動いていてえらい。そのまま初詣と洒落込んだが、境内は流石に静まり返っていたので、こんな面白い場所に住まわせてくれてありがとう、今年は何かしらの形でお返ししますと願掛けした。

そんな夜を過ごしたもんだから、目覚めたら余裕で昼を越していた。ほどほどに寒い天気の中、紙の日記を買いにスカイツリーまで歩く。いくら途中で辞めるとしても, 始めることに罪はないはずだから。後日、実家に帰って部屋を漁ると、おびただしい数の「途中でやめた」日記やノートや自由帳が発掘された。何も変わっていないし、30年ほどの蓄積がそのままにされている子供部屋や実家という空間に果てしなさを感じる。「途中でやめる」こと自体をやめなければ、それはやめていないことと同義なのかもしれない。

新しいことを始めるには一番いいシーズン。こんな資格を取ろうとか、こういうプランを立てるとか。今年はちゃんと手に職系のことを身につけたい。電気工事とか食品衛生とか施工関連とか、いい場所づくりに資するものを習得したくて色々調べていた。NHKのドキュメント90minでも資格学校の特集。みんな考えることは一緒なのだな。

工房の運営や月毎の原稿数など、スプレッドシートにまとめて収支の計画を立てる。すぐ死にはしないが、余裕もこいてはいられないような。さいわい、やりたいことや打ち手はたくさんあるはずなので、慌てず騒がずコツコツと。別日に友人と、働き方とお金、場所をもつことの可能性とリスクなどについて話した。近い立場で相談できる相手がいることの嬉しさよ。

今年は自分の力だけでやりすぎないことも目指したい。まずは2023年に書いた日記を本にまとめたいので、年明けの勢いにも任せて友人に声をかけてみた。ありがたいことに快諾。凸工所で予定しているワークショップも、共催というかたちだし、いろいろな人に協力をお願いしはじめている。ちゃんと挨拶して、ちゃんとお願いする。僕は自分の内側だけを見ていて輝くタイプの人間ではないのだから。

木曜にはPodastを更新。今年の目標はこれを週に1度しっかり更新するくらいの余裕を持つことだ。年末年始の話をしたが、年始の重さがしゃべりのトーンにも表れていたように感じる。

時間をちゃんと使おうぜ!の一環で、自宅でぼちぼちスマホの電源をOFFにするようにした。誰から連絡が来るわけでもなし。その分読書する時間が増えた。自分の日記を本にするにあたって参考にしたくて、以前BONUS TRACKの月日で買った「日々是製本2020」「馬馬虎虎vol.1」「鶴/UFO/ダイソー/杖/ルンバ/体操」に加え、少しずつ読み進めていた「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」を読了。今までの時間がなんだったのかと思うくらいスラスラと読み進められたし、全部面白い。おれ、読書好きかもしれない。

1月6日は電気湯でのトークイベント「わたしと公共空間」に参加。電気湯の大久保さんと、喫茶ランドリーの田中元子さんと、コクテイル書房の狩野俊さん。誰も拒まない、ハレだけなくケも引き受ける公共性、本というメディアが持つ余白、わからない状態を楽しむこと。京島のウネウネとした暗渠や密集した建物たちは、明らかに移動のスピードを落としていて、それが出会いや会話を生み出しているのではなかろうか。時間の流れを遅くすること、気にしていきたいテーマだ。


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