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2020年という年を

報道番組が、年末らしく今年のニュース総括を流している。映し出された、新型コロナウイルスが流行り出した頃の彼の国の様子に、対岸の火事と見ていた初春を思い出す。

生活に影響が出たのは2月だったか。バレンタインを渡すのに躊躇した覚えはないから、たぶん中旬以降。
公園でお友達と遊ぶのに、少し後ろめたさがつきまとうようになっていった。

奇しくも閏年、1日長い如月は良くも悪くも数々の話し合いに費やされ、まずは幼稚園から、3/1以降の臨時休園が決まる。

とりあえず預かり保育は実施されることになったが、この事態で両親が規定以上の就労をしている「新2号認定」の家庭のみの利用に制限された。

禁止ではない。『自粛』。

我が家は対象家庭なので、申し訳なさは感じつつも開き直ってガンガン申し込んでいた。

…のも束の間、いざ3月に入ると状況は二転三転。プリントやらメール連絡やら、学校からも園からも自治体からも日替わりでバンバン来て、捌くのに手一杯。

特に小学生は、朝から学童に行けるのか、はたまた一旦学校に行って午後から学童なのか。参加票が毎日要るのか、一覧表を埋めていけばいいのか。混沌を極めた。

ワードアートに彩られた小学校のHPからダウンロードした参加票は、結局2回ほどしか使われることなく役目を終えた。そして我が家残った大量の裏紙。

14:30からの学童だけに行かせる意味は我が家にはなく、結局3月中旬からは夫と交代でテレワークし、休みの方が子の相手をした。

合わせて、同僚たちとそれぞれの状況を相談して社長に投げてみたりと仕事の調整もしていて、もうなんかモヤモヤモヤモヤ。

近くのママ友・遠くの旧友・画面の向こうのバーチャル親戚たちとプチ発狂しながら、とにかく来たものを打ち返すので精一杯。来週のシフトどころか明日の出勤も怪しいくらいの日々が続いた。

先生、と呼ばれる方々の混乱や負担は想像に難くない。

けれど、普段子どもたちと触れ合っているその人たちから「両親またはどちらかが在宅している場合はなるべく自宅で過ごさせてください」と言われたこと…言われることには、いまなお戸惑いと微かな憤りを感じ得ない。

子どもが居て、仕事。
できるわけがない。

子どもの年齢、性質にも大いによるとは思う。実際、数年前と比べると確実に楽になった。とはいえ、1日2日のことではないのだ。

お仕事だからね、と言って画面ロックを解除した瞬間に「ねぇ、おかーさーん!」。

父が母が家に居るのに話しかけてはいけない。
頭ではわかっていても、我が子たちには難しかった。

それならいっそ閉鎖してくれればいいのに。
直接的にコロナ対応をしてらっしゃる方々のお子さん以外はご遠慮ください、と。
それなら、職場にも交渉の余地があるのに。

あっちもこっちも『自粛』ばかりで。

昼食時間短縮のため、家にいるけどお弁当を作ったり、庭にレジャーシートを敷いたり。Switchを買って、fire stickに頼って、ドリルも何冊買っただろう。

母としてどうあるべきか、人としてどうあるべきか、問われ続けた気がする。
とにかくしんどかった。
記憶とも言えぬ印象だけが残る。

…というのは、大人の事情。
子どもたちにはどうだったかな。

急に学校が休みになった。
お友達と会えなくなった。
宿題が意外と多い。
先生よりお母さんが厳しい。
お父さんが家にいる。
お父さんと一緒にご飯が食べられる。
でもお買い物にも行けない。
公園もこっそり朝から。
幼稚園が再開されてからも
分散登園でお友達とやっぱり会えない。

どうだったかな。
聞いてみた。

「どうだった?」

…キョトン、とされた。

あーでこーで、そーだったでしょ?
説明したら、2人して「あぁ!」。

それだけかぁ。

じゃあ、まぁ、いっか。
そこまで日常になってしまったことに複雑な思いはあるけれど、卒業アルバムの巻末で知る「できごと」レベルのままで済むならば。

でも、そっかぁ。

大晦日、いいこと聞いた気分だ。


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