エリーゼのために
朝も早から、拙いベートーヴェンが鳴り響く。
7歳娘のたどたどしい指遣いが目に浮かび、慌しく支度をしながらつい身体に力が入ってしまう。
長女とピアノ
最近の長女はピアノに夢中だ。
学童でお友達に教えてもらったらしい、『紅蓮華』と『エリーゼのために』を繰り返し弾いている。
習ってはいないが、気が向いた時にポロンと弾ける環境があると案外弾けるようになるものだなぁと感心している。
何より本人が楽しそうでいい。
夫とピアノ
子ども部屋に置かせてもらっている電子ピアノは私から夫へのいつかのクリスマスプレゼント。
夫は子どもの頃習っただけと言うが、同じく子どもの頃習っただけの私よりも上手い。
休日の朝は、夫のピアノをBGMに家事をしたりのんびりしたりしている。ジブリ音楽の生演奏、休日の朝の演出として贅沢すぎる。平日深夜に酒を飲みながら弾いたりもしてるようだ。
ピアノを贈ったことをとても喜んで楽しんでくれているけれど、こちらこそありがとうである。ピアノを弾く夫の背中に毎度萌え殺されそうになっているのは内緒。
ともあれ、娘たちがピアノを楽しんでいるのはこんな夫の影響が大きい。
私とピアノ
私が通っていたのは、基礎をきっちり積み重ねていくタイプのピアノ教室で、正直面白くはなかった。全然練習しないまま週一回のレッスンに行くこともあった。
たまに好きな曲に当たると頑張るが、頑張ると早く合格して次の曲に進んでしまうのがジレンマだった。
ただ、ありがちだが、先生は兄姉の同級生のママ。強く怒られることも、母から強く辞めろと言われることもなく小6まで通った。
大きなお宅で、ごくごくたまに入れてもらえる子ども部屋に憧れた。あとレッスン前の待ち時間に、うちにはない本を読むのが楽しみだった。
だめじゃん。
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そんな中で、自分の好きな曲を弾いていい、と気づくまでに随分時間がかかった。
決められたことをこなしたり続けたりすることを美徳として生きてきた。故に、抜け出すのがどうも苦手だ。
そこの決定に好き嫌いの感情を持ち込むべきではない、とすら思っている。効率的にやる方法ばかりを熱心に追究し、やらないと言う選択肢は蔑ろにする。
これは今も抱える悪癖だ。
平社員適正は抜群だが。
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ピアノが少し楽しくなったきっかけは、たぶん5年生のときにやった市の合唱コンクールの伴奏。
曲は、ユーミンの『瞳をとじて』だった。
ああ、決められた曲以外も弾いていいんだ。
歌手の曲を弾いてもいいんだ。
教えられなくてももう弾けるんだ。
曲が選べたわけじゃないし、伴奏も担任に指名されたからだけど、それは置いておいて。
本番中に真っ白になって数秒伴奏を止めてしまい、でも何事もなかったように続きを弾き続けたという心臓に悪い思い出もあるが、それも置いておいて。
ともかく、そうして初めて自分で選んで買った楽譜が、実は『エリーゼのために』だったのだ。
家族とピアノ
そんな思い入れのある曲を長女が弾いている。
夫も懐かしがって弾いてみせる。
私も何十年か振りに弾いてみる。
次女5歳もなんとなく弾き始めた。
びっくりするほど覚えてないし指は動かないけど、負けてられない。
誰が1番先に弾けるようになるか、家族で競走中だ。
今日も朝から『エリーゼのために』が流れている。
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