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書を捨てよ、”庭”をつくろう。”庭“で、はぐくむ3つの能力

庭=上品というイメージの払拭

2008年に92歳で亡くなるまで、田舎でスローライフを実践したアメリカの絵本作家・ターシャ・テューダー。

私は、ある夜偶然『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』という映画に出会った。
それは今までの、庭やガーデニングに持っていたイメージをくつがえされる体験だった。

映画の中で、ターシャは、光をいっぱいに浴びた大きなピンク色の花を背に、アザミ色のスカーフを巻いた姿で現れる。
そして「自分が思う通りに生きてきたの、他の人に何を言われても聞き流してね」と、まるでロックミュージシャンのようなことを言う。
つぎには、インタビュー中に突然「私の赤ちゃんをみる?」と、エプロンと服の間からヒヨコを取り出す。
カメラがまわる中、庭を歩き回ると、「草取りに終わりはないけど、へこたれないわ」と言って腰をかがめ、だた黙々と庭の雑草を抜く……。
古着の着心地の良さそうなワンピースに、ターシャの目はキラキラしていた。

これが庭をもつことなのか、と衝撃を受けた。何故ならそれは私の、庭に対するちょっと”ダサい”イメージとは180度違っていたからだ。

鉢植えが好きだとか、ベランダで水をまくとか言うと、どうも過度に優しい上品な人間だと思われやすいのである。(略)だがどんなに冷たい人間も凶暴な輩も等しく植物を育てる。いい加減で自己中心的な人間も、まめで思いやりに溢れた人間もやはり等しく咲いた花に目を細める(『ボタニカルライフ』p,10いとうせいこう)

私の中にも庭やガーデニングに対して、上品で、ほんかわした優しいイメージがあった。紅茶とクッキーのイメージと、貴族とローズのイメージ。どちらかというと少し苦手だった。

しかし、どうだろう。ターシャのたたずまいは、己の道を突き進む武士で、気ままを楽しむ芸術家で、仕事に妥協しない職人だった。
ときには手伝いに来た人に、「そこの石を踏まないで!」とビシっと言う。

実際、自分でもベランダガーデニングをやってみると、腰をかがませて重い土や鉢を運び、ただ無心に土をいじり、我が家の西日にやられた植物を養生するべく遮光カーテンを導入したり、水のやり方が大丈夫かどうか確認したり、とにかくやらなければいけないことは結構いっぱいある。
とはいえ、やらなきゃやらなきゃと意気込んで、水をあげすぎるとたちまち根腐れして死んでしまう。
庭づくりは、なんとなくの雰囲気と弱々しいメンタルでやれるほど、生半可なものじゃない。
しかも、ターシャの庭の広さは東京ドーム20個分の広さだ。4つ程度の鉢植えで四苦八苦している私とはくらべものにもならない。

わたしは、ここの何もかもに満足しています。
家にも庭にも、動物達にも天気にも、バーモンドのすべてに。
(『思う通りに歩めばいいのよ』p,8)

そして、映画や書籍の中で、ターシャがきっぱりと「満足している」と言ったことにも感銘を覚えた。何故なら、”自分の意志やポリシーの元に、やりたいことをやり、満足する”ことができる人はなかなかいないから。

私もターシャみたいに生きてみたい、私も植物を育てたい、そう思うと同時に、この姿ってもしかすると、私たちが”人生という庭”をつくるときにも必要なものなのではないか……?と考えた。
そして、私の一人きりの、ターシャの庭研究がはじまった。

プランニング力

庭をどういう風にしたいか、わたしには、はっきりしたイメージがあります。
(『思う通りに歩めばいいのよ』p,104)

ターシャの庭は、写真や映像からわかるように、のびのびとした自然を生かしたつくりになっている。道はさまざまにいりくみ、それぞれの場所にいろんな種類の草花が植えられている。一見それは、自然の”あるがまま”のようだが、そこにはターシャのしっかりとした計画と、こうしたいという構想がある。

もちろんターシャの草地は入念に計画して草花を植えたもので、自然のままに見えるのも計算のうちだ。
(『ターシャ・テューダーのガーデン 』P,97トーヴァ・マーティン著、相原真理子訳)

私たちは、”あるがまま”ということを、いいことだと考えるフシがある。それ自体は決して悪いことじゃないし、私たちの中にある大切な価値観だ。
しかし、”あるがまま”を盾にめんどくさいことから逃げようとするのは自覚するべきだ。

だって、そのままにしておくだけでは、草花は育たない、自分自身は成長しない。行き当たりばったりでは、放っておくだけでは、”いい方”にたまたま進むなんてことはない。

それは運があるとかついてないとかじゃなくて、”いい方”の具体的な像が見えていないことに原因がある。
ターシャの庭は、あるがままにみえるようで、そこには、あるがままの理想を叶える計画がある。努力がある。
ターシャが、「ここは地上の楽園」だと言い切るほどの庭を持つことができたのは、彼女が計算をし、先のことを見通してきたからこそだ。

しかし、そんな目標なんてないよ、先のことなんて全然わからないよという人もいるかもしれない。

それに対して、ターシャはきっとこう答えるだろう。
「それであなたは何が欲しいの?」と。

欲望センサー(欲望の対象をはあくすること)

突然だけれど、私たちは自分が何を食べたいかを自覚しているだろうか。

例えば、私は嫌な人とコミュニケーションとらなくちゃいけないときや、苦手な細かい作業を延々としているとき、何が食べたいかわからなくなる。
そんなときは、付随して、たいてい他の自分がしたいことも見失っている。それで嫌だなぁと思うこと、例えば人の悪口を言うのが嫌いなのに、みんなに合わせてつい軽口を叩いてしまう。

種苗園に行くと、店員が声をかけてくるけど、アドバイスはいらないわ。
何が欲しいか、わかって買いに行ってるのですから。何が欲しくないかもね。
(『思う通りに歩めばいいのよ』p,104)

ターシャのこの言葉のように、自分の欲望は自分にしかわからない、そしてそれを大事にしてあげられるのも自分しかいない。
だが、私たちはしばしば“食べたいものがわからない”ように、自分の欲望を見失うことがある。

だから園芸屋でも是非「さて、私は自分の庭に何を植えたいの?」と聞いてみてほしい。
まずは“この色が綺麗”、“この形がかわいいな”、“これが好き”でいいのだ。
バラに惹かれる自分の趣向にびっくりするかもしれないし、サボテンや多肉植物といった新しい植物との出会いもあるかもしれない。

一番ダメなのは、一つもピンとこないのに買ってしまうこと。
これは、“何が欲しいかわかって買いに行く”ターシャの庭づくりに反する。

そういうときは何も買わないでお店を出る。焦らなくても、いつか欲しいと思える植物に出会える。それまで、お店に何回か通ってみよう。園芸屋さんは周期的に植物を変えている。

そして欲しい植物が決まったら、ここで慌てて買わないように…。
“あるがまま”という言葉に甘えないように。
きちんと世話をできなければ植物は枯れてしまう。

まず鉢にたいてい付いている育て方のラベルを見る、園芸屋さんに育て方を聞いてみる(一見ハードル高いけど結構気さくに答えてくれる)、ネットで調べてみる。
するといくつか考えることが生まれてくる。
・ビニールの鉢は植え替えが必要だから、準備をしなくちゃいけない
・家に置く場所をつくらなきゃ、ベランダは綺麗かな
・その植物は自分の住んでいる環境で生かしてあげられるものだろうか。素人でも育てられるだろうか。環境の改善や勉強が必要かもしれない

こうして、欲しいものがみつかったらおのずと、プランニングをすることになる。

とはいえ、まず大事なのは、心の第一声「欲しい!」をつかむことだろう。

彼女が好きなタチアオイやパンジーにしても、どの品種でもいいわけではない。タチアオイは一重咲きのもの、パンジーは薄紫色のでないといけない。
(『ターシャ・テューダーのガーデン 』P,27)

ターシャがあの念願の大きな庭を手に入れ、自分の思うとおりに草花で埋め尽くすことができたのは、「私はこれが好き!」「私はこれが欲しい!」という欲望を常に自覚していたからだ。

そうやって“庭”づくりから始めて、欲望センサーを鍛えると、他のこともとてもクリアになってくる。今日は何をしたいか、とか、何をしたくないか、とか、何を素敵だなと思って、何が欲しくて、何が嫌で、何がいらないかとか。
そして理想に近づくためにいったい何ができるだろうと、プランニングをすることができる。

私たちはまず、自分の欲望の対象を知るべきなのである。

ねばり強さ

映画の中で、ターシャは絵を描く仕事につくまでに、たくさんの出版社にかよったと発言していた。その中で、やっと1つの出版社がターシャを選んでくれたのだという。「忍耐強く、諦めないことよ」とターシャは笑っていたが、その微笑みの中にはきっとたくさんの積み重ねがあったに違いない。

本当はバーモンド州に住みたいと、昔から思っていました。思ったことは必ず実行しようとする私のこと、とうとう夢を実現させました。三十年かかりましたけどね。
(『思う通りに歩めばいいのよ』p,47 )

ターシャは幼い頃から、実業家の父と肖像画家の母の元で華やかな世界の中にいた。しかし、社交パーティーなどは全然楽しくなかったようで、ガーデニングや農業に心をとらわれていたようだ。
それで、若くして田舎暮らしを始め、絵を描いてお金を稼ぎ、結婚し、牛を育てミルクやバターをつくり、4人の子供を育て……今でいうスーパーキャリアウーマンだった。
そしてついに、ターシャは、57歳の時に絵本で成功した資金を元に、大きな庭を求め、自然の多いバーモンド州に移住する。しかし、この庭が完成するまでには、ターシャの並並ならぬ努力があった。ターシャは何度か映画の中で「patient(忍耐)」という言葉を多用している。

この庭の基礎づくりでは整備前の花壇や畑にする前に耕し直し(強酸性土壌、湿地)、近所の農家から家畜の糞尿を大量に購入して堆肥を作り、それを混ぜ込むなどの準備がなされています。20年先を想像してつくられ、実際に12年は辛抱が必要だったそうです
(『工夫とアイデアでのりきるがんばらないガーデニング』p,65、井上忠佳)
ある種が欲しいと思ったら、ターシャはそれを手に入れるためにあらゆる努力をする。
(『ターシャ・テューダーのガーデン 』P,29)

"庭'づくりを始めたばかりのころは予期せぬことに何度も遭遇することになる。

たとえば、光が苦手な種類を直射日光のあたる場所に置いてしまい、枯らしてしまった鉢植えをみて、欲望センサーが上手く発動しないときもあるだろう。

ベランダのサイズに見合わないガーデンラックを買ってしまい、理想の “庭”にたどりつけないのではないかとプランニングそのものをやめてしまいたくなることもあるかもしれない。

しかし、ターシャにならう私たちは、ちょっとやそっとで諦めないこと、ねばり強さを求められる。

諦めてしまいそうになったときは、ターシャが念願の土地に行くまでに30年かかり、そこから東京ドーム20個分の庭をつくったことを思い出そう。

そうして、自分の欲望を知り、プランニングをたて、忍耐を続けたときに初めて、私たちはターシャの言うところの、”心の充足”を得られるのではないだろうか。

「わたしにとって、人生でいちばん大切なことは、心の充足です」
(『今がいちばんいい時よ』p,151)

書を捨てよ、”庭”をつくろう

こんな風にターシャの庭について調べていくと、”庭”を持つことは、プランニング力を養われ、欲望センサーをきたえられ、ねばり強さを学ばされ、結果心の充足を得るという、いいことづくめではないか。

私はマンション住まいだから、本当の意味での庭を持つことはできないけれど、ベランダガーデニングの活動をし始めて、この3つがどれだけ大切なことか身をもってわかった。
そして、私の弱点は、プランニング力だということも判明した。
庭がごちゃごちゃしているのである。全体としてどこを目指しているのかわからない。欲望は強く、一つ一つの愛着はあるのだが、統制が取れていない。

そう考えると、はて自分の人生のプランニング力を見直す必要があるのでは、と思うのだ。“やりたい!”あるいは“今すぐお金が欲しい!”という気持ちだけでなんとなく仕事をしてはいないか?

私には自分の時間をなるべく自由に使って仕事をしたい、という欲望ある。それでは、それに見合った生活を私はしているだろうか?あるいはそこになるべく近づくための努力をしているだろうか?
ライター講座に通い始めたのも、そう思ったのがきっかけだった。だけど自覚できたのは、ターシャの庭に興味を持ち、ベランダガーデニングを始めて、記事を書いたからだ。

だからどうか、あらゆる人たちにおすすめしたい。
自分の”庭”を持つことを、ベランダガーデニングを始めることを。
3000円お財布にいれて、街に繰り出せば、軍資金として十分なのだ。
植物の苗は300円から買えるし、鉢だってどんなにオシャレなのを買っても高くて700円だし、そして鉢底石と土を買って、100円均一でシャベルとジョーロを買ってくれば十分なのだから。

”庭”づくりで、自分のプランニング力・欲望センサー・粘り強さ、を鍛錬され、一体何が足りないのかを気づかせてもらえて、何より植物を愛でるという新たな趣味を手に入れられるだから、安いものではないか。
ちなみに、ハーブを育てれば、料理に使ったり、ハーブティーを作ったりできるから合理的な人にはオススメである。

さて、私も苗を買いに行こう。その前に、ちゃんとプランニングしてから。

一生は短いんですもの。
やりたくないことに時間を費やすなんて、もったいないわ。
(『思う通りに歩めばいいのよ』p,57)

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