助けられよう。「まあるいえん」はここにある
※長い話なので、面倒だったら次回の記事の最後の方だけ読んでみてください(え、どういうこと!?)
朝乃でぃっしゅ!
ただ、涙が収まったというだけかもしれないけど
ツイートするだけでなく、それをnoteに持ってきて読み直せるようにしないと自分は何か終わってしまう……!
そんな危機感を抱きながら真夜中に書いた記事。
あれはまさにすの子さんの言う「地獄の釜の蓋が開いた」状態そのものです。
僕があれからどうなったかといいますと、まずNHKの発達障害特集を観るのをやめました。
……やめて良かったマジで!!
(こんな……だいぶネタっぽくはなってるけど、くらげさんに感謝してるのは本当です)
くらげさんの著書の話などのやりとりや、他のツイートを見ることによって、
「あぁ、あの番組はこちらがどうこうというのを想定していないのだな」
「じゃあいいやバリバラにでも期待しよう」
と客観的に思えるようになりました。
それでもまだ治まらない体調不良の中、朝から原付バイクを走らせ何とか外出。
地元の社会福祉協議会(社協)がやってる地域活動支援センター(地活)に助けを求めました。
その日の僕は寝不足なのと、数週間ぶりに訪れた地活だったという理由で震えてました。
パートの支援員さんたちに、助けを求めるのがとても怖くて仕方ありませんでした。
彼女たちのテンションの高さが、いつになく胸をえぐりました。
その上「朝乃ちゃん元気そうね!」と言われてしまって、笑って「いやいやそうでもないです、お腹痛いです」と返すけどもっと辛くなりました。
……いつも通り耳栓着けてるのに、他の利用者の声が妙にうるさく感じました。
自分の、変な動悸がずっと気になりました。
身体測定してみたら、最近ご飯がまともに食べられなかったせいで体重が減ってました。
朝からやたらと血圧が高くなってたし。
というか、ここに来るまで頭痛くて薬飲んでたし。
吐きそうだったし、パニック起こして泣きそうだった。
このヤバいメンタルではプログラム参加は無理だ、やっぱこのままではパニック状態になってしまうと判断し、恐る恐るパートさんに声をかけました。
そして急きょ、この状態でも頼れそうな福祉のプロに面談をお願いすることに。
というわけで午前中はその面談で話す中身のメモを書き上げました。
それが終わると、巻末資料を読んだっきり手が止まってしまっていた(ボリュームたっぷり、お腹いっぱいで疲れてたの……)『#発達系女子の明るい人生計画』を読みました。
その間ずっと、他の利用者から少しだけ離れた場所の椅子に座らせてもらってました。
座っている間も時折こんな、ミーハーと衝動性を発揮しまして。
のちにこうなりました。
急な面談でしたが、応じてくださってよかったです。
(※ちなみに「そらきさんの出てたクロ現」とはこれのこと)
今日はそんな感じの、絶望の続き。
続きであり、始まり。
さかのぼればずっと前から続いている「僕と社協さん」の、そして「僕と福祉」の話です。
(試しに、有料だけど全文読める投げ銭方式にしてみました)
男じゃないから家事手伝い?でもこの孤立はひきこもり
ええ、あの年だったんです。
すでに大学寮にいながら半年ほどひきこもりになっていた僕は、震災のあったあの日の直前、実家に帰るしかありませんでした。
半ばパニックで、声も出さずに泣きながら、車に揺られて。
あぁ、これで高校以外は全部不適応起こしたんだ、もうあの都会には住めないんだ、死ぬ他ないと。
それから東日本大震災で大変な思いをして、両親を殺さなきゃならないのだろうかと思ってしまうくらい大変揉めて、その後も仲がいいように見えながらもピリピリした環境の中で過ごしていました。
5年以上。
趣味関係は、相変わらず好きである。
でもバイトするのは怖い、ハロワ行くのも怖い。
それは「怠け者!」と人から罵倒されてもしょうがないと思っていました。
実家から通っていた病院の先生とは何だか相性が合わず、元の都会の精神科へ転院してみたけど、次第に体調が悪くなって遠出ができなくなる。
それで地元の大きい病院の主治医に色々と診てもらったら、広汎性発達障害(当時)だと。
……今更、そんな診断もらって何になるのかと思いました。
障害者だって頑張って働かなきゃ駄目なんでしょ? 無理だよ。
でも家にいたってしんどいだけだよ、分かってるけど。
働くのが大事だって分かってるけど怖い。
このままじゃ親に怒られるのは分かってるけど、分かってるけどさ。
布団の中で延々と思い詰めていた僕は希死念慮が強まってしまい、両親にボソッと
「死にたい」
と打ち明けると、
「お父さんとお母さんはみちるが大切だから、そんなことはもう言わないでくれ」
という言葉を返されました。
おかげで僕は自殺せずに済みました。
自殺をしようと行動する気力すらなくなったのです。
姉がいなければ、クロちゃんと会えなかった
さすがに父も危機感を覚えたらしく、市役所の福祉課に相談しに行ってました。
ひきこもりが一緒に暮らす施設がどこどこにある、だとかそういうヤバそうなことも父は口にしていましたが、その前に障害者手帳を取ることに。
こうやって福祉関係の人とつながれたのは、知的障害を伴う自閉症を持った姉の時の経験からなのでしょう。
姉の生活支援を担当している方が僕の就労などの相談を受けてくれることになりました。
それでまぁ、就労関係とかの福祉支援を受けるにはまず障害区分の判定が……とかわけの分からないことになり。
ある日、見知らぬ女の方が僕の家にやって来ました。
彼女がクロちゃん。
黒髪、黒縁メガネ、服だって靴だって、上から下まで真っ黒のクロちゃん。
調査を受けている最中、僕は何とか雑談っぽいコミュニケーションが取りたかったので、お気に入りの本を持って彼女に見せました。
Suicaのペンギンのムック本。
「わぁ、何これ可愛い!」
彼女のキラキラした笑顔に安堵したのは、今も覚えています。
いい大人がこんなの好きでいいのだろうか、でもこの価値観を拒まれたくないな、と思っていた僕は安心して、未来を作るお手伝いを彼女にお願いすることにしました。
「朝乃さん、うちの地活においでよ!」
「は、はい……!」
変わり者?同士の日々
緊張しながらも僕は地活に入り、いつしかクロちゃんや他の支援員、利用者から「朝乃ちゃん」と呼ばれ、可愛がられるようになりました。
緊張さえ解ければ楽しい日々。
Suicaのペンギンや、きりみちゃんやぐでたまが好きでも、誰からも馬鹿にされない居場所。
就労移行支援を受けるその日まで色々とお世話になっていました。
途中、他の正職員さんやパートさんが1年ほどで抜けて寂しいなぁなどと思いながらも。
本当はクロちゃんも地活担当から抜けたのに、何でこんな頻繁にルームに出入りしてるんだと考えながらも。
彼女は相変わらず黒い格好だし、僕をやたら可愛い可愛いって褒める。
素敵な人だ。
たまにズボンだけが茶色のチェック柄になってたりする日に「あ、今日は茶色だ!」と僕が言うと面白がってくれる。
マックの100円コーヒーのことを知ると「コーヒーが!!あんなに安くていいの!?」と驚く。
それに何より、幼少時に食べてたお菓子が「ムーンライト」だったから駄菓子の「ヨーグル」を知らなかったというとこが最高にイケてる。
僕はクロちゃんが、クロちゃんのいる地活が大好きでした。
でもとりあえずさようならをしました。
それから地活のみんなに見送られるように僕は支援を受けに行ったのですが、自分の我慢が足りなかったのと「元々が知的障害者向け施設で、相性が合わなかったから」という理由で辞めました。
就職する、という道を選んで逃げました。
その「逃げ」も一瞬で失敗しました。
しかしA型の就労事業所には行きたくないし、「あんなとこ行けない」と就労担当さんに口にしてました。
体験を受けたA型は2ヶ所とも、すし詰め状態で内職をやらされるのが辛かったからアテにできませんでした。
あれは、発達障害者にとっては地獄です。
でも……地活に出戻り……?
あぁ、そっか担当さん、就労はやめることになったから僕の担当もやめるんだ。
でも電話だけはくれるって。
(そう、2019年末に近くなっても未だに電話くれるんです)
色々と申し訳ないような気がして、僕が選んだのは別の道でした。
それでもやっぱり頭の中で……まずはどこよりもあの、大切な居場所に戻りたいと願っていました。
クロちゃんのいない地活なんて
願いながらも、何故か書類関係の作業が遅々として進まず、2018年の春の終わり。
クロちゃんは地活にいないだけじゃなくて、社協(僕のいるとこは分室)にもいない。
いるのは、オロオロするおじさんと……冗談っぽい口調ではありながらも、確実にグチグチと叱ってるパートさん。
このパートさん、一緒にサンリオキャラを好いてくれる方なので好きではありますが。
一方、相談ごとをするのは怖くて無理でした。
僕の求めないアドバイスが飛んできそうで。
でも目の前にいるのは「好きだけど怖い」彼女しかいませんから、僕はとうとう嗚咽を漏らしました。
「大丈夫大丈夫。朝乃ちゃん無理しないの。大事なお顔が台無しになっちゃうから鼻かんで」
「無理しない」ができたならとっくに、こんなとこにいないってば。
そんな気持ちを喉の奥に押し込めながら、ティッシュをもらった僕はもっと泣きました。
何とか書類の申請は終わって、他の場所に通いつつも地活の日々。
でもやっぱり違う。
何故この場にいて楽しくないのか……
やっぱあのおじさんが障害者福祉の専門外で、オロオロしてるせいか、と考えました。
だからご本人に「あなたはここで何をしてるんですか」というのを直球で言ってしまったこともありました。
申し訳ないとは感じつつも、あまりに彼の「この業界でやりたいこと」が見えませんでした。
そして彼の返事は「何だろうねぇ……」と歯切れの悪いもの。
それはどうしてだろうと思い、細かいところまで聞くと、元々の仕事は福祉と全然関係のないところだったというのもあるらしい。
こうやって迷っているのだという話を聞けただけでもいくらかマシではありましたが、やっぱり胸が苦しいものです。
ええ、当時の僕は本当の意味で分かっていなかったのです。
この苦しさの持つ意味を。
(次回の記事に続きます)
おまけ
記事タイトル「まあるいえん(でつながってる)」は、人とのつながりや愛、欲望をテーマにしたアニメ『さらざんまい』のセリフの一部。
つながりは時にその人を縛ってしまうし、本来の自分を見失わせてしまうかもしれない。
それでも手放さずに生きてゆく人たちの物語です。