私になるまで1

私は

生まれつきのの身体障害者。

アテトーゼ型脳性まひという

出産時の何らかのミスより

運動神経がやられたらしい。

親の話では真っ白い顔の口も小さい可愛い子が産まれたと喜んだ。それもつかの間。黄疸があって顔が黄色になった。普通は自然にひくらしい。しかしなかなか引かず、慌てた産婦人科医は、医大に連れて行けという。そうして交換輸血という当時は珍しい処置がなされた。そのお陰で黄疸は引いた。

新聞記事に乗ったんやで!と親。もちろん私は記憶にございません。

そうしてもう大丈夫とうちに帰ったが同じくらいに産まれた子どもと違う。

おかしい!

病院に連れていくと、脳に障害があって立つ事も出来ないかもしれないといわれ。またまた私は記憶にございませんが、リハビリするための施設に母子入院したらしい。

そのお陰かどうか、5歳になってようやく1人歩きできるようになった。

その時の記憶はうる覚えにある。

歩ける嬉しさ、人間は二足歩行の動物だから本能的に、歩きたいと思っていたのかもしれない。

当時は父の仕事の関係で愛媛県に住んでいた。ご近所さんに私よりひとつ下の女の子が居てよく遊んだ。

幼なじみってやつだ。何十年ぶりに連絡があり、結婚式に出て欲しい。って言われとても嬉しかったのを覚えてる。

そうしているうちに小学校入学。当時は養護学校と言われる障害児が通う学校に入学した。

当時珍しい黄色いランドセルを背負って家から歩いて通う。普通は数十分で着く所、倍かかった。後ろから隠れてついてくる親。今思えば心配で仕方なかったんだろう。









今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。