イグアナ9

その日の午後の事だ。

「田中さん、ちょっと!」
上司に呼び出される。何事かと思うが、ミスをした覚えもないし、うーん。足取り重く、上司の後に続き、別の部屋へ行く。考えこんでいる私に、「田中さん、ちょっと悪いんだけど、部署異動してもらえる?」
頭の中が混乱状態に陥る。
「どういうことですか?私何かみすしましたか?」上司は首を横に振る。が、笑顔の中の瞳は真剣だった。
「ここだけの話。噂だから、信ぴょう性は無いのだが、コロナの第二波が来るらしいんだ。そこで我社は、また、マスクを大量に生産することに決まった。田中さんは、半年前のマスク作りの経験者だ。工場にバイトを数十人雇うことになってね、出来ればバイトの人達の指導をお願いしたいんだ。」
くぐもった小声で言う上司。少し腹が立って、
「そんなの私じゃなくても、他にも経験者いるじゃないですか?私が、この部署で浮いてるからですか?」つらつらと言葉が出て来て止まらない。上司は、手をヒラヒラさせるが、否定はしなかった。

「悪い話ではない思うがね。これ断ると、君に対する風当たり強くなるよ!」

長い沈黙の後。私は答える。
「分かりました。会社辞めます。」
キッパリ言うとドアを開け飛び出した。上司の声があとを追いかける。が、もう、この会社に居たくないという思いに駆られた。
そそくさと、レポート用紙に、退職願を書き封筒に入れ、上司の机にぽんと放り投げた。隣のさくらが目を丸くしている。が、それを無視し、荷物をまとめ、「突然ですが、会社辞めます。長い間ありがとうございました。」と一礼し、退職願の受理よろしくお願い致します。と、上司の方に、大声で叫び、会社を後にした。

外に出ると、冷気が、体にまとわりつく。それを押し退けるように駅に向かって歩いた。

こうして、私はあっという間に、無職になってしまった。

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今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。