私になるまで23
当時、私は市の障害福祉課からヘルパーさんを週2回利用するようになった。自分でやれば時間がかかる「そうじ、洗濯、ご飯の下ごしらえ」をサポートしてもらう。
これで少し生活は楽になった。しかしあの時ヘルパーに「浅野さんならこのくらい出来るんじゃない?」その些細な一言が胸に突き刺さる。そう!出来るよ。ちょっとだけ無理すれば。心の中で囁く。その時は、まだ首の状態が酷い訳でもないし。外出は1人で出来る。だから、気持ち的には気が引けていた。それにヘルパーさんが来る時間に家に帰っていなければならなくて、それもまた大変だった…あと数ヶ月後に体調をくずし、仕事は辞めることになる。少しのサポートのはずが、全面的なサポートになる手前だった。
仕事を辞めた私は、収入源が障害年金だけになり途方に暮れる。
仕方ない。国の制度を使おう。と市の生活福祉課に乗り込む。その頃は、「障害者の自立」が注目された頃だった。だから、ケースワーカーは親切に申請の方法を教えてくれた。だがしかし一つだけ壁があった。収入はなくなったから家族に連絡が行くことになる。そうなると、きっとうちの親は家に連れて帰ろうとするだろう。案の定、うちの親は連絡を受け、驚いた様子だったが、「まだこちらでやりたいことがある。」と切なる気持ちで訴えて、ケースワーカーに「家にはもうお金がありません!大学まで行かせてやったので。」と言ってもらった。物分りのいい親で感謝している。
それで生活保護費と障害年金で一人暮らしを続行出来た。
今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。