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今も昔も。

昔、まだ元気に歩いていた私は、母と散歩に出かけたこの時期

道端の草むらに目をやると、ふきのとうが顔を出している。これはふきになる前にようやく春が来て、顔を出した。ふきの赤ちゃんだ。

だが、母は容赦なくそれを掘り起こす。

子供の頃は、これのどこが美味しいのか分からなかった。

ふきのとうの天ぷらは、苦味があった。ふきのとうの佃煮も、甘苦い大人の味だった。私はそれよりふきに育ったものの煮物が大好きだった。薄皮をむくのをよく手伝って足でまといになった。

それをタンサンを入れた水につけ、アクを抜く。甘がらの味は、ご飯によく合う。

今もどこかで顔を出しているであろう。

最近めっきり山菜採りをしなくなった。私も、歩くのが困難になり、車でどこかに出かける事が当たり前の状態だ。

山菜採りの代わりに父と仲良く道の駅めぐりをするようになった。時々私もさそわれ、着いていく。それ買いすぎやん、ってくらいマグロやカツオを買う。

ところで、私はカツオの刺身が食べられない。生臭い匂いが、たまらなく苦手である。娘たちはカツオの刺身をお茶漬けにする。カツオが苦手になった本来の原因は、祖母だった。祖母はカツオにあたって蕁麻疹がで、それから一口も口にしなかった。

私は超ばあちゃんっ子だったから子供の頃から今まで食べられない。

カツオのお茶漬けなど見るだけでゾッとする。それをすスルスルとすする家族には、なんとも不気味である。

お茶漬けにするのは、金時豆と決まっている。これも祖母の影響が大きい。


そんな祖母は、親が出かけると、私に牛肉の大和煮の缶詰めを食べさせた。多分料理があまり出来なかったのだろう。

それはちょっとしたご馳走のように、満面の笑みで、私に、食べさせた。


祖母は94まで生きて、最後まで意識もしっかりしたままであの世に旅立った。

スーパーで、牛肉の大和煮を見かけると歯がない口を大きく開けて、私の食べるのを嬉しそうに見ていた姿を思い出す。

今、私は病院のベッドの上で、noteを書く。夜は長い。就寝は9時、でも、真っ暗闇の中ガタゴト音がする度に目が覚める。私以外は、80以上の人生の先輩方だ。前のベッドのばあちゃんは、私のことを男子学生だと、思っている。誰かと間違えているらしい。「まるおくんやろ?」となんどもきかれた。違うというのも面倒になり、私は、「まるおくん」というばあちゃんの知り合いに、なりすます。

「まるおくん」と言えば、マルちゃんに登場する「自信過剰な学級委員長」なんだか可笑しくて笑ってしまう。

そんなこんなで半月が経った。あと少し、体力を維持するために頑張るべ‼️


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今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。