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戦争について考える〜バイコットとデ・キリコ展

今もガザで起きていることを思えば、私たちは日々戦争について考え行動しなければならないはずなのですが実際は、少なくとも私は、つい先日まで戦争のことを考えずに生活していました。
それがふと、戦争を考える機会がふたつも巡ってきたのでこれを書いています。

ひとつはタバブックスが出版している『仕事文脈vol.24』(2024年5月号)の特集記事。バイコット(買って支持すること。不買運動の逆)という言葉を恥ずかしながらこの雑誌で知りまして。異国にいても日々の購買(あるいは不買)活動で意思表示することができるのか、と。
にわか調べで下記を参考にしてみましたが、他に良い情報があれば教えていただけると助かります。

これ読むと、ヒューレットパッカードは私ノートパソコン使っているし、マクドナルドは時々つい無性に食べたくなって行っちゃうのだけれど、自粛しようかという気になる(ノートパソコン買い替えはすぐは無理ですが)。
しかしもっと言えば、それらの企業で働いている人や家族が非難されるべきでもないので、こういうとき矢面に立たされがちな店員ではなく経営陣に向けて、メッセージは発せられないといけないと思います。


ふたつめのきっかけは、念願のデ・キリコ展に行ってきたこと。
開催前から時期をチェックしていたのに、結局最終週に滑り込む形で行ってまいりました。
行きたかった理由は戦争とは関係がなくて、私ルネ・マグリットが好きなので、彼に影響を与えたデ・キリコ展にもぜひ行きたいと思って。

展示はデ・キリコの一生を追体験できるような形でとてもおもしろかったです。平日朝に行ったからマイペースに観ることができたのも良かった。

そしてこれは思いがけずだったんですけど、デ・キリコがマネカン(マネキン)をモチーフにとり始めたのが第一次大戦勃発後のことで、そう思って作品を見ると、マネカンがただの人形ではなくて顔のない人間、考えの読めない人間、不気味な人間、理性や感情をなくした人間に見えてきて。
特に身体は人間のように筋骨隆々で頭部だけがつるんとしている絵とかを見ると、違和感が強い。今、戦地で起きている非人道的行為を引き起こしている人間の様相って、このマネカンのようなのでは……と私は思ってしまいました。
(なお、もっと後、大戦が終わった後の作品にもマネカンが出てきますが、そちらにはそういった不気味さは感じなくて、柔らかさや愛おしさすら感じられるのは不思議)

デ・キリコさんの意図ではなかっただろうけど時代を超えて観た私はそういう感想を持ったし、この感想に至ったのはその直前に『仕事文脈』の反戦特集を読んでいたからだと思う。


たいていは、自分や自分の周りの生活を考えたり維持したりで精一杯なので、毎日は難しくても、少し心に余裕のある時は他者に思いを馳せることだって人間、大事なことですよね。
自分が知らないだけで、同じ地球にいて無関係なことなどないのですから。

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