LGBT理解増進法が施行されたので気持ちを少しだけ書いた
物事の矛盾を突き詰めれば突き詰めるほどまた矛盾にぶつかってしまう。
「~らしさ」「常識」「当たり前」
今まであった固定概念みたいなものを否定する事が多くなってきた現代。
それと同時に少数派は時に異常者として扱われたり多数派がいつも正解だと信じて疑わない、人間世界にある多数派が正義という考え方も未だ根強くある。
何かを否定する事は何かを肯定する事になる。
でもそれは同時に何かを肯定する事で何かを否定する事にもなる。
この矛盾した部分に僕はどうやって整合性をもたせれば良いのだろう?
現代は多様性を尊重する社会になってきたけど、多様性を尊重すればするほど矛盾が大きくなっているのも事実。だからといって画一性な社会になると一種の自由を奪われ半ば拘束されたような感じにもなる。
完璧な世界はそもそも存在しないと思うので、常に何処かで矛盾が生じるのは致し方が無い事なのだろう。
桃の節句や端午の節句、母の日や父の日。
男女それぞれでそれぞれを祝ったり労ったりする日がある。
ジェンダーレスの流れがある社会でも、僕はこういうものを無くしてはいけないと思っている。僕個人としては桃の節句だから女の子じゃなきゃ祝っちゃダメとか、その反対も同様でそういう感じにならないようにしてもらいたいなと思う。
多様性の中でも区別する事は必要。
でも区別のフリをして差別するのはダメ。
今日LGBT理解増進法が施行される。
でもゲイの僕でもこの法律は未だに疑問が多く残っている。
異性愛者には分かりにくいLGBT差別っていうものはあるけれど、あえて「LGBT」というカテゴリーを使用しなくても解消する術はあったのかなと思える。特定の「誰か」に優しくする・優しいふりをする事で「誰かだけ得をする」のではなく、「全ての人に恩恵のある」術っていうものも考えればあるのになというのが正直な気持ち。
新しい法律が出来ても僕は僕のまま。
ゲイである事に変わりはない。
特別になった訳じゃない。
僕はたとえどんなに自分の事が嫌いだとしてもこれが僕の人生。
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