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『来るの遅いよ』

数年前、『少し難しい人が入院するから、お願いね』と言われた方を受け持った。

受け持ちの男性はまだ若かった。食道を患っていたから声が出にくく、ご飯が食べれないので、はじめましてのご挨拶の時から、とても痩せていた。
自分の思いは話さない、寡黙な方だった。痛みが強かったので痛み止めをよく飲んでいて、その時以外は必要以上に部屋にこないで欲しいという。

若いのに、話せなくなるかもしれない。
苦しくなる可能性が高い。
苦しくなった時どうしてほしいか、聞いておかないと。そんな焦りがあった。

それに加えて、痛みを取りきれず耐える姿をみていて、頼られない辛さを感じていた。

毎日決まった時間に検温、点滴をする。
希望があるタイミングで体を拭く。
ほしい時に痛み止めをもっていく。
これだけみると普通のことだけど、会話は本当に必要なことだけしか話さない。
『痛みはどうですか』と他の看護師がきくと、同じことを何度も聞くなという。ごもっとも。痛そうにしてるんだから、痛いに決まってる。
聞きたいことをグッと堪え、静まり返った病室(個室)で沈黙に耐える時間を毎日過ごした。毎日毎日、できることを試行錯誤してはいるが、何も変わらない静かな2人の時間を過ごした。

何も変わらない日々が何より素晴らしいことだった。


そうしてる間に、日に日に痛みが強くなってきている。痩せもひどくなってきている。

『どうしよう、残された時間は確実になくなってきてる』

そう思った。

これからのことを話したいです。

そう言うと『これから自分に待っていること(=死)をどう過ごしたいは辛いから話したくない、聞きたくない』と言われた。
しばらく手を握っていたが嫌と言われなかったのでそばにいた。1時間は経ったというころ、『ごめんな、こんな辛い時間を過ごさせてしまって』と言われた。
沈黙は辛くないこと、何もできないことの方がつらい、一緒にいさせてくれてありがとうございますと伝えた。すると『辛い気持ちを君に言えば、君が辛くなるから言わないんだ』と言ってくれた。

今まで何も話さなかったのは、私が辛いだろうと思っていたからだったんだ。その辛さは、想定外だった。
彼の優しさに触れて一緒に泣いた。たくさん。手を握ったまま。


それから数日は、一緒に売店にいって、こっそり2人でバニラのアイスを食べた。『最期の晩餐。アイスやジュースを飲みたいと思うのは、自分の体が最期に近づいてきているからだと思う。最期の晩餐が君とで、まぁ満足かな』『本田翼が可愛い。あと20歳若かったら大ファンだろうな。今はもう応援する時間がない』など、今まで話してくれなかった彼の感じていることと同時に、自分の死期を悟るような言葉をきき、受け止めた。
印象的だったのは、バスの運転手をしていたこと。バスの運転手をしていたから、旅行気分で色々な観光地にいけた、それだけは転職して本当によかったことだったと話してくれた。ニコニコして聞いている私に『一人でニコニコして』と恥ずかしがっていた。素敵な優しい笑顔だなと思った。


そんなやりとりの翌日には酸素投与が必要になり、痛み止めも増えた。ぼんやりしていることも増えた。

わかりますか

と聞くと、優しい笑顔で頷く。

ぼんやりしているのに、痛みはやってくる。
神様は鬼以上の恐ろしさだと思った。

『これ以上、辛くなるか』
ぽつりと聞かれた。
私はぼんやりする彼に、理解できないだろうほど多くの情報を伝えた。どうにか、最後の意思決定を支えたかった。彼自身にこれから待ち受ける運命を、決めて欲しかった。酷なことをするな私は、と思った。

その時は返事がなかった。一言『そうか』だった。

翌日は休み。
気になって仕方なかった。

その翌日。
『昨日は大変だった』と同僚にいわれた。

1日あけてみた彼の顔は変わっていた。
痩せている顔は痩せこけていて
半開眼で眠る姿。
息を呑んだ。(息、してるよね?)

手に触れたらうっすら目を開けた。
目を開けた瞬間、苦痛な表情を浮かべる。

痛いですね

そういいながら、何回摩ったかわからない、痩せて骨うきでた彼のお腹をさする。温かい体温にホッとする。

その時、急に目を開いて私の顔をじっとみて言った。


『来るの、遅いよ』


そう一言いうとポロポロと涙を流して、

『もう、もう、頑張って生きた。生ききった。ありがとう。もう、寝かせてくれ』

私は彼が体力を振り絞って伝えてくれた意思を、想いを受け、涙をボロボロとこぼして、うっすらと開けた目でも見えるように大きく頷いた。

精一杯、生きましたね。
あとは任せてください。私が最期を見届けます。

そういうとまたあの優しい笑顔で頷いてくれた。


鎮静剤が開始になった。

最期の意思をしっかり伝えて、穏やかに、眠ったまま、その日の夜に息を引き取った。
とてもとても、穏やかな眉の下がった笑顔。大好きな笑顔。
ただ、今までとは違う、苦しみのないすっきりとした表情だった。

今でも大好きな、忘れられない患者さんです。

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