祈りの醍醐味
ちゃお♬
年始に体調を崩したけれど、どうやら今年のイタリアの流行り風邪はとても強いらしく、「具合がわるい…。」という連絡が次々ととどいています。
イタリアでインフルエンザと聞くと、流行り風邪を指すのですが、個人的には菌が違うのかと思うくらい強く感じます。加えて外出禁止ということも特にないので、ものすごい早さで広まっています…。
イタリアに来たばかりの方はとくにお気をつけて!
さて、タイトルの通り、今日はお祈りのお話。
私はお寺に行けばお寺のスタイルにし違うし、教会に行けばなるべくその場のスタイルに習うようにはしているし、寝る前に、誰にというわけでもなくお祈りをすることもあります。
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通っていた大学が教養の授業で牧師さんが担当する授業が必修だったり、結婚式で聖歌隊をすることで牧師さんと話をする機会は多い方だったとは思います。
特に大学で授業をされていたH先生の醸し出す雰囲気、選ぶ言葉、家族とのかかわりかたが好きで、クラスで色々な話をするのが毎週たのしみでした。
何事も、専門である信仰ですらも、客観的にみてお話なさる先生が、なんの流れでかは忘れたけれどこんなことをおっしゃいました。
「祈るとどんないいことがあるか知っていますか?
つまり、おもいを誰かと共有することで、どんなに心が救われるか知っていますか?」
当時、それなりに問題をかかえていた私にとっては目の前が明るくなる問いかけでした。
そうか、目に見えない人に、好きな時に話せるのが祈りというシステムだ。そうやって、幾分荷を軽くすることができるのだ。
と。
よく、「相談しているうちに答えが見えてきた」と言われたりもするけれど、これは相手の肩を借りつつも一人で言語化している状態に近くて、自分で答えを出せていることも結構多いのが実際のところ。
でも、生身の人間が相手だとなかなか自分の好きなタイミングで必ずしもそういう時間を共有してもらえるとも限らない。それぞれに大切なことがあるから。
そんな時、神さまの肩を借りて、自分の思いを心の中で話してみる、そして"もしも自分の大切な人が同じように祈っていたら、なんと声をかけるか"とふと考えてみたりする。
繰り返すうち、だんだん自分が、自分の良き理解者に育ってゆく感覚を覚えることもあります。そしてそのことが根拠のない自信を与えてくれたりもする。
思えば15年、そうして時々祈ってきました。溜めることはせず、なるべく軽く祈れるように心がけながら。
今また時間が大きく流れてゆく中で思うこと色々…繰り返し小さく祈って、一日一日を大切に重ねようと思います。
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