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私の周りの名言シリーズ4:義務ではなくて、選択だから。

さてさて今日はお久しぶりの名言シリーズも更新。

もう一件は、いつものイタリア語です。


イタリアでは、ホームステイやルームシェアは珍しくありません。

特にシェアに特化した間取りの家があるわけでもなく、それでも家賃を補填するためにベッドルームを1つ与える、という形をとる人もたくさんいます。

自分の意見も言うときもあるけれど、相手に干渉しすぎない・期待しすぎない・結構空気を読む・多少のことはまぁいいかと受け入れる我慢強さのある人が多いイタリアだからできることなのかもしれないなぁと思います。

さて、そんな中、1年ほど友人と暮らしていたことがあります。

日本語を勉強したいというイタリア人で、私より日本の文化に詳しかったりして、また彼女の知りたいことを日本語で調べてイタリア語で伝えたりとたくさん話すことがあったし、私が助けてもらうこともたくさんあって、本当に持ちつ持たれつだったし、とにかく家にいる間はほとんど共有スペースに一緒にいました。

かといって私の本番前や彼女の大切な時はどちらからともなく静かにお互いの部屋で過ごしてそっとしておいたりと、とても過ごしやすい同居人でした。

(今は彼女が長年付き合った彼氏と念願の2人暮らしをはじめたので、私たちはめでたく解散して別々にくらしています♬)

もともと友人なのもあり、つっこんだ話や色々な出来事を通してお互いの考えを話すこともありましたが、多分私たちが特徴的かもしれないなと思ったのが、家にいる時はほとんどいつも話していたのにもかかわらず

「どう思う?」という会話がすごく少なかったということ。

私たちはそれぞれ、その瞬間瞬間の目的がとてもはっきりしていて「何をしたいかわからない」「どうしたらいいかわからない」が滅多にない種類の人間だからというのもある(というか2人ともその状態に1秒も耐えられない性分なので、わからない瞬間から見つかるまで血眼で検索したり1人でつきつめたりする。笑)けれど、それよりも何よりも2人して「別々のバックグラウンドと価値観があるためそれぞれに合う答えがあり、それは本人がどうしたいかによる」という気持ちが強いからなのだと思います。

お互いの考えていること発表会(これもまた、聞かれないとお互い話し始めない。でもあれだけ話していたのは、お互いが聞いていたからなんだなぁ。)をする時には、物の例えで「なるほど、自分がもしその立場ならこうするかもしれない」とサラッと言う・言われることはあったけれど、そんな時に彼女が必ずいっていたのがタイトルの言葉。

まぁでも、人生って義務の積み重ねじゃなくて、選択の積み重ねだよね。

自分で選ぶことも、自分で選んでいるとわかっていることも大切なことだと思う。

初めてこれを聞いた時、なんだかずっと言語化できていなかったけれどずっと大切に思っていたことと一致した気がして、すごく晴れやかな気持ちになったのを覚えています。

新しい生活に向けて、いろんなことを選択する必要がある今、この言葉が幾度となく浮かびます。

イタリアで生活してはっきりした「わたしにとって最も大切なこと」の1つ。

"だから、上機嫌でできることを選ぶし、やると決めたら最後まで機嫌よくやる。"

逆に「他者の選択をジャッジしない」ことも

当たり前だけれど気持ちよく生きるのに大切にしていきたいこと。

100パーセントこれだけで進めるほど単純ではないかもしれないけれど、シンプルに考えて楽しい人生を歩んでいけたらいいなと思います。








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