私たちはこうして東京から那須への移住を進めた
その日は突然やってきました。2020年のある夏の日。二人目の出産に伴い、男性としては珍しく長い育休をとった夫が、1歳にまだならない娘を背負いながら、コロナ対策で保育園がお休みになったに2歳Xカ月の息子とお散歩に出かけた時のこと。いつも馴染みのパン屋さんで、にんじんジュースを飲んだ帰りに、ふと夫の頭に考えが浮かんだそうです。
ただいまーと元気な声でドタバタと家に飛び込む息子を追って、夫がリビングに入るなりいつもとはちょっと違った表情で切り出しました。
「ふと思いついたんだけど、地方移住しない?」
地方移住。
ちょっと考え詰めたという表情の夫とはうってかわって、私については晴天の霹靂、ということは全くなく、私はふたつ返事で「いいんじゃない?楽しそう!」と。その私のあまりにも軽快な反応に少し拍子抜けしたのか、普段は私ばかりが弾丸トークをし、相槌担当の夫にもかかわらず、珍しく冗長になって、話を続けました。ちょっと前に友人がFacebookで地方移住したという投稿があったのが頭に残っていたということ。子どもたちの保育園もいつまた救援になって大変かわからない。ふとこのアイデアがとても良いように思えたということ。彼自身を納得させるかのごとく、補足をしてくれました。
私にとっては、そのアイデアの出どころがどこであれ、コロナ禍でちょっと息詰まった状況の全ての解決策は地方移住にあり、という勢いで、地方に引っ越すならどんなお家になるのかな、どんな保育園かなと想像を巡らしはじめました。
ちょっとだけ、私たち家族の背景を
こんな感じで、文字通りふって沸いた地方移住のアイデアに導かれるままに、ポンポンと行動にうつしていった結果、移住を検討してからわずか3週間ほどで、実際に移住が実現していきました。そんな我が家ですが、まずは少し私たちの家族の背景をお伝えしたいと思います。
私と夫はもともと、パキスタンで出会いました。と伝えると、まず多くの人が「パキスタン人なのですか?」と夫のことを聞いてきますが、夫も私も日本人です。パキスタンで出会うくらい、夫も私も冒険が大好きで、いつでも糸の切れたタコのように世界中をふわふわと移動してきいました。二人とも、どこにいってもここではないどこかに居場所があるように感じる宇宙人のような意識で生きています。
夫については、高校は進学校に通っていたにもかかわらず、人と同じ道に行きたくないというのとファッションが大好きだということで服飾の専門学校に。しかし、入学してまもなく自分の決断が違ったと確信をし、バックパックを背負って世界旅行を旅しました。当時タリバンが占領していたアフガニスタンをはじめ、外務省の人たちが真っ青になりそうなルートで、25か国を旅した経験があります。皮肉のことにその数年後に、彼は外務省に入省したりするのですが・・・
私は、夫ほどは行動範囲は広くないかもですが、17際の時に日本がいやだ、目の前の現実がいやだ、と全力を振り絞って奨学金がある高校留学の機会をいただき、ウェールズにある全寮制高校に留学しました。その後もできるだけ日本に戻らないようにとカナダの大学に進学したり。バックパックといえば、私もインドにバックパックを背負って旅行をしたりした時は、あまりにもインドの砂漠地域(ジャイサルメール)の人たちと文化が好きすぎてそこに沈没してしまいそうになったというのもあります。
夫と私は結婚する前も、結婚してからも、機会をみつけてスリランカ、ラオス、タイ・・・と東南アジアを中心に海外に飛び回って冒険をするのが楽しく、第一子が2017年に生まれた時は、まだはいはいしかできない息子を連れてインドネシアに家族で旅行に行ったり。その後、第二子の妊娠・出産としばらく海外はお預けだねと冒険心を一旦箱に入れていた矢先、コロナ禍に突入。海外なんかいけない中で、自分達の満たされない冒険心がそろそろ箱におさまりきらないくらい、むくむくと大きくなっていたところでした。
そこにきて、地方移住をするというアイデアは、私たちにとって、海外旅行に行けない代わりに地方に住んでしまおう、という位なテンションの代替オプションとしても魅力的に感じられました。
まず始めは、デスクトップ調査
地方移住をしようとは思い立ったものの、具体的にどこに移住したいというイメージまで、明確に夫も私も持ち合わせていませんでした。それなりに日本各地を旅して回ったものの、「東京都それ以外の場所」というざっくりとしすぎる地方イメージしか持っていない私たちにとって、どこでも東京以外で都会っぽくないところであれば、それなりに面白い体験になるのかなと想像をしていました。強いて言うなら過去に旅行して、夫も私もとてもしっくりときた思い出がある岡山がいいなーと候補地にあがったものの、少し冷静になってみて、いざ東京に出張に行かなければいけない時に岡山という場所は少し大変そう、ということで、唯一持ち合わせていた岡山移住というオプションもすぐに消えてしまいました。
そんな状況を暗中模索といっていいのか、むしろゲームセンターのクレーンゲームで好きなものを素手で掴み取っていいよ、と言われている状況なのか、どちらがより適切なのかはよくわかりませんが、いずれにしても何か自分達なりの方向性を決めていかなければ、どこへでも行けるようで、どこにもいけないのではないかという思いがありました。
そんな時に、コンサルタントという職業で生計をたて、私生活においても徹底したリサーチのプロというような夫を持つのはありがたい限り。私が移住先のインスピレーションが降りてくるのをぼんやりと待っている間に、夫はAmazonで「誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書」という本を注文し、熱心に読み込み始めました。そして次第に、夫の頭にいくつか大切そうな田舎暮らし情報がインストールされていきました。
「情報を集めるなら駐在さんか僧侶」
「ゲートボールには出てはいけない」
「自分のことは5割引きで話そう」
今まで自分達にとって馴染みのない単語やコンセプトがたくさん語られれる田舎生活のバイブルは、これが本というメディアではなく、著者の情報も中途半端であれば、きっと私たちは「ネタだ」と一笑していたと思います。しかし、これは紛れもない、田舎生活が長いプロのイジュラーの方が彼自身の苦い経験などを結晶化されて貴重にも目の前に提示されたもの。段々と読み進めるにつれて、自信を失っていきました。終いには、
「ガソリンスタンドにも縄張りがある」に加え
「何かをもらったら、その日のうちに倍返し」
という田舎暮らし必須情報とされるものに、夫婦ともに、唖然。ひとまずその教科書から学んだことは、地方移住といっても、「本気の田舎」は無理だ、ということ。そして私たちは、極端に田舎すぎないということ、そして東京にある程度新幹線でも通勤できそうなエリアを条件に移住先を絞っていったところ、那須か軽井沢が候補地として残りました。
東京の中の栃木に出会うべく、スカイツリーへ!
地方移住のアイデアが家族会議で議題に上がったその週末。移住先の候補地として、栃木県の那須か長野県の軽井沢かと話す中で、軽井沢については過去に旅行に行ったので、なんとなくイメージがつくということで、まずは全く何も想像できない那須について情報を集めようということになりました。そこで、まずは私たちのバイブルのアドバイスに従い、東京スカイツリーの中にある「とちまるショップ」という栃木のアンテナショップに行きました。
東京の中の栃木であるアンテナショップには、びっくりするくらい色々なパンフレットがありました。地方移住ガイドブックなどに限らず、道の駅のマップ、地方情報誌・・・と、ウェブで手に入る情報よりもとても「栃木感」が出ている数々のパンフレットに興奮しながら、あっちもこっちもと30種類以上のパンフレットをかき集めて、夫婦でリサーチしました。
今でも覚えています。スカイツリーの下にあるカフェで一休みしようと入った時のこと。たくさんあるパンフレット一つ一つを開きながら、自分達が違う世界に踏み入れるドキドキ感に包まれました。
帰宅後は、パンフレットを隅から隅まで読み込むのに加えて、Youtubeで栃木県に移住してイキイキと幸せそうにしている人たちのインタビュー動画を見ながら、自分たちの未来を重ね合わせたり。とはいえ、インタビューに答える人たちは、自分達よりも何歩も何歩も先にいく、すごい煌びやかで輝かしい力強い人という感じで眩しく見えて仕方ありませんでした。
そしてAirbnbでプチ移住!
そうしてある程度、移住生活について自分たちなりに想像できるようになったのち、百聞は一見にしかず!ということで、栃木県の那須エリアにAirbnbで那須の一軒家を借りて数日滞在することにしました。確か、とちまるショップで現地情報をたくさん集めた2週間後、すあわち地方移住のアイデアを考えついてから3週間ほど立った時のことです。
AirBnBの滞在先については、夢に描いた移住生活を、ということで、私が注目したのは「森林浴」とか「ウッドデッキ」といったキーワード。とにかく、この二つが用意されていなければ、移住の価値なし、くらいの気持ちで、理想と思える物件に二泊三日滞在させてもらうこととなりました。
はじめて訪れる栃木県の那須塩原。高速道路を降りてまずびっくりしたのは、とにかく視界を遮るようなものがほとんどなく、広々としているということ。大きな幹線道路沿いこはそこまで味があるとは言い難いものの(いわゆる都会の人が「田舎」と、リスペクトの気持ちはなく形容しそうな雰囲気というのでしょうか)、ちょっと外れたら、緑のトンネルが美しく続く道が続きます。大きな山が雄大に聳え立ち、青空はどこまでも気持ちよく澄み渡っている。東京とつながっているはずの空なのに、目の前の空は別物のように見えました。そうこうしながら、途中、舗装されていない凸凹の道を通りながら、森の中のコテージについに到着!
これから、私たちのこれからの移住生活の疑似体験をするのだ、ということにとにかくワクワクとしました。
ワイルドな自然に早速ギブアップ
そうして、お試し移住ライフをスタートする中で、早速夫と私は、地方の洗礼のようなものを受けます。それまで東京のど真ん中で夜の9:00くらいまで徒歩圏内に美味しいお店がとよりどりみどりで開いているのが当たり前、どこにいくにもスマホひとつで行きたい場所も簡単に見つかる便利さの中で生きてきた一方、目の前の森の中のコテージライフは全てのそういった便利さから隔絶されたようでした。どこか近くに何かないかなとスマホを開くものの、何も目ぼしいものが見当たらず、困り果ててAirBnBのオーナーに電話をしたところ、夕飯は自分達で自炊する方が良いと勧められます。
なんとかかんとか、Airbnb先の調味料を物色しながら夕飯を作り、これが地方生活かなーと話しながら食べたりして、さあ寝ようとなった時に、人生で何十年ぶりかに雨戸というのを閉めなければいけないと知ります。雨戸を閉めないと、虫が入ってきたり、色々と危険とのこと。コテージのあらゆる窓の雨戸をしめにいくと、外には都会では経験したことがない漆黒の闇が広がります。ふとこの暗闇から熊ががおーと出てきてもおかしくないかも、と思うと、ひいっ!と慌てて雨戸を不器用にもなんとか閉めていきます。全部の雨戸がしまった時、東京では感じたことのない静けさと、夜の森の闇に包まれる寂しさが全身を襲ってきました。もし、今晩何かあっても、きっと誰も気づいてくれないし、誰の助けも来ないかもしれない・・・
せっかくの素敵でのどかになるはずの田園生活体験の一日目は、少しかび臭いコテージの匂いにむせそうになりながら、私の頭の中にはとにかくいろいろな不安が目まぐるしくかけめぐり、穏やかな気持ちでは過ごせないまま眠りにつき、翌朝を迎えました。
田舎生活に音を上げそうなのは、私だけではありません。ふと横をみると、部屋中を妙チキりんな格好と必死な形相で駆け回っている夫がいます。どうやら室内に入った蚊と戦っているとのこと。私がウッドデッキにつながる窓を開放的にあけて、美味しく朝食を食べようよ、という提案を聞くなり「虫が入ってくるから絶対ダメ!!」と、私以上に森のコテージとの相性が悪い夫がいました。
そんな私と夫を横目に、息子はさすがの子どもらしい適応能力。トミカ大好きで都会っ子を地で行く感じだった息子は、ウッドデッキで発見したナナフシという昆虫をいきなり素手で捕まえたりして。家族の誰よりも田舎暮らしが向いていると証明していました。一方、娘については、なんだか全てをわかったような達観した様子で、ニコニコ笑顔で平常運転でした。
大切なのは解釈力と波に乗ること?
世界各国の人たちを対象に、あなたは幸せですか?というアンケートをしたところ、大体2人に1人は、幸せだと答えて、残りの人は不幸だ、もしくは幸せでも不幸でもないと答えたそうです。世の中の半分の人だけが特別幸せな状況に恵まれているとは考え難い中で、幸せと感じるか否かは、一人一人の解釈力の問題だということがよく示されている調査結果です。コップに水が半分入っている時に「半分も入っている」と捉えるのか「半分しか入っていない」と捉える人たちがいるという話を思い出します。
私と夫は、間違いなく「半分も」派です。森の中のコテージ生活は、心身ともに疲労感があったものの、その体験を私たちは「地方移住する住居先としては、森の中はダメということを学んだね」と前向きに解釈し、地方移住計画が一歩前に進んだねと喜び合いました。そんな私たちの気持ちを後押しするように、2日目には私たちが夢描いていたような保育園を見学することに。なんとなく東京の子育てに悶々としていた中で、こんな保育園が本当にあるのか、と目を疑うくらい、大自然の中でゆったりと子どもたちが過ごしている保育園の様子に、私も夫も移住以外のオプションはありえないという思いをさらに強くしました。子どもたちはというと、相変わらず平常運転で新しい環境でも保育園の子どもたちにわーっと囲まれ、あたたかく迎え入れてもらえて幸せそうでした。
そして、そのままの足で、移住促進センターに訪問し、この地域のエリアごとの大体の特徴を説明してもらい、物件探しの参考に、と不動産屋さんリストなるものをもらいました。車の中から不動産屋さんに電話をかけたところ、今からでもお話させてもらえるというところに巡り合いました。鉄は熱いうちに叩けではないですが、じゃあ、行きます!と、その不動産屋さんんに向かうと、広々とがらんととしたお店の中に、ちょこんと営業マンの2人がはたらいていらっしゃり、わたしたちに気づくなりニコニコと栃木弁であたたかく迎えてくださいました。こういう飛び込み移住希望者は結構いるんですよ、という慣れた感じで栃木の文化体験敵にわざと強調して話しているのかなと思うほどの方言でお話ししてくれます。そして私たちの希望を一通り聞くなり、「ちょうど実は良い物件が空いているんですよ」とのこと。しかも今からすぐに内見が可能とのこと。
あまりのとんとん拍子にびっくりしながらも、早速その物件を見に行くと、東京の家賃の半分以下で今までよりも大きなスペース、そして何より窓からは雄大な山々が毎日見えるという素晴らしい環境に、「ここにしよう!」と思わず私は歓喜の声をあげてしまいました。普段は冷静でリサーチを慎重に行う夫さえ、私の勢いに流されるというわけではなく、彼もここならいいかも、という思いを持ち始めて色々と細かく確認しはじめました。「すぐには契約が入らないかもしれませんが、ある程度訪問する人は多いので、ぜひ興味があったら早めにご連絡くださいね」という良い感じの距離感の不動産屋さんの営業マンの方の言葉を反芻しながら、とりあえず私たちは一旦ランチをとりにいくことにしました。
ランチの場所を調べる手間が面倒で、東京暮らしの惰性から、幹線道路沿いのマクドナルドに向かいます。そして、今度はマクドナルドで家族会議。私は今あの物件を契約して保育園にも入園申し込みをしたほうが、入園できる可能性が高いということを、できるだけ興奮を抑えて、ロジカルなトーンを心がけて夫にプレゼンをします。こんな時に、起業家としてたくさんの人に向かってピッチを繰り返してきた経験をありがたく思ったりします。そんな私のピッチに、じゃあ、一億円を投資をとしたくなるベンチャーキャピタルさながら(そんな人は実際にいませんでしたが)、夫はついにそうかもしれない。うん、そうかも、と珍しく私のペースに飲み込まれていきます。そして、よし決めたという表情でマクドナルドの外に出るなり、夫が会社に電話をかけて、リモートワークだから栃木県に移住しても大丈夫かと人事の人に確認をしはじめました。お店の中から私はどきどきと夫の表情をみていたところ、電話を切るなり夫がグーサインを見せてきます。夫と私と子どもたちとハイファイブをしたのかしなかったのか記憶は定かではありませんが、いずれにしてもウキウキと、あの栃木弁が雰囲気を出している不動産屋さんにとんぼがえりしました。
びっくりする営業マンの方を私たちが納得させるように、私たちの決意をお伝えして、契約手続きをはじめました。
これでいいのだ。
多分。
そうして、私たちの地方移住ライフは幕をあけたのです。
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