芸大卒ということ
関西のとある芸術系大学を卒業した。
大概芸大卒であると知ると「すごいね」とか「かっこいい」とか言われる。
そう言われるたび、私は「へへっ」と曖昧に笑って言葉を濁す。
「すごいこともかっこいいことも、全然してない毎日なんです」
心の中で、奥の方で、いつでも私はちょっと泣きたくて、恥ずかしくて、自分で自分が嫌いに…たぶん、少しずつ、嫌いになってしまうのだ。
…
造形学科の洋画専攻。
高校時代、美術の先生が油絵を専門とする先生で、美術の授業でも油絵をするくらい。
なので美術部ではバリバリの油絵押し。
先生の影響で始めたものの、描き出せば油絵の具は楽しいもので、芸大を目指している上手な先輩もいて、自然と私も大学は芸大がいいと思うようになった。
特に勉強を極めたいジャンルも、なりたい職業もはっきりしていなかったので、あと4年間学ぶならば好きなことがいい、というシンプルな願いで芸大受験に臨んだ。
田舎なので芸大入試対策のアトリエなんてない。
全部美術部の活動の中で、顧問の先生にデッサンや色彩構成をを見てもらうくらい。
ここで運が良いのか悪いのか、AO入試で志望校のうちひとつの大学に、夏休み中早々に合格した。
第1志望は別だ。
でもそこに合格できる自身は正直無かった。
ならば、これも縁だろうと。
それに、あなたには才能がある、と認められた気持ちになった。
嬉しかった。
…
大学に入ってみると、やっぱり、うまい人はたくさんいる。
そして、うまいだけじゃなく、思想を持った人もちゃんといる。
ただ描きたい、だけなら大学に来て描くことはない、あなたたちは「学び」に来たんだから。
教授の言葉が重かった。
ここでは描けるのが当たり前で、描けるだけでは誰も誉めてくれない。
当たり前だ。
描ける人が学びに来ているだから。
何のために私は描くのか。
理由を探すのが苦しかった。
伝えたいことを言葉にするのも、いつも、苦し紛れの言い訳みたいだった。
ただただ、私が綺麗なものを綺麗でしょ!って見せるだけでもよかったのにな。
苦しいなら、教授ともっともっと話してみればよかった。
描く、と言うことについて。
でも、私は、逃げるように、卒業制作を描き上げ、そして描くことから離れた。
描けば描くほど、自分にない物を、ないことを突きつけられる世界から離れたくてたまらなかった。
…
なんで急にこんなことを考え出したのだろうと思うと、昨日みた「僕らは奇跡でできている」の先週話に影響されたのかもしれない。
一輝が祖父に言われたこと。
理科クラブが、まわりにすごいと言われて嬉しくて、見返す道具になってしまった。
やりたかったらやればいい。
やらなくちゃならやめればいい。
そう言われて、やっと夜眠れるようになった一輝。
私は、離れようと決めて離れたのに、まだ、しこりが残ったままだ。
私がやりたかったのは本当はなんだったんだろう。
やめていても苦しい。
私は、芸大に進みたいと思って、芸大に進み、卒業した私を嫌いになりたくない。
辛い想いもしたんだけど、あれだけ自由に時間とお金をかけて絵と向き合えたのは、とても幸せなことだった。
だから、私が苦しくなるのは、私が思っている「芸大卒なのに、それを活かせなかった自分は恥ずかしくて情けない」という思い込みのせいだ。
「もっと違う、やりたいことを選択していたら、その経験を活かした今があったかもしれないのに」という後悔だ。
…
高校生の私には、1番やりたかったのは油絵で、それ以外思いつかなくて、そして今の自分を窮屈にしているのは、自分の思い込みで。
わかっている。
あと、ちょっとだ。
…
私の住むアパートには、1番好きな油絵の具がない。
息子が小さなうちは、きっと始められないだろう。
匂いもきついし、絵の具は口にすると危ない。
好奇心の強い息子は、きっと描きかけの絵や絵の具を見つけると、じっとしてはいられないだろう。
彼もお絵かきは、なかなか好きなようだし。
次に好きなアクリル絵の具なら、もしかしたら始められるかな?
乾くのも早いし、モデリングペーストを使えばちょっと油絵の具のようになる。
金や銀の絵の具もお気に入りだった。
安いキャンバスなら、手に入りやすい。
私が好きなのは、人物画と、テーマをもたず色と形で遊ぶ絵。
あと少し先、もう1度筆を手にしたとき、芸大卒という経歴を、自然に受け止められるだろうか。
そうであってほしいな、と思う。
願う。
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