名前の由来

             (1994)

 
 「外郎」、ちょっと読みにくい。そうです、ういろう。
名古屋名物のあの甘いお菓子の事だ。
読み方も変わっているし、「ういろう」という音も珍しい。
 
 調べてみると、外郎というのは、もともと官職の名前で十四世紀の頃、元の人「陳宗敬」が博多で「透頂香(とうちんこう)」という漢方薬を作ったそうだ。
その「陳宗敬」が礼部員外郎という役職に有ったので、「透頂香」を外郎と呼んだらしい。ちなみに「外」を「うい」と読むのは唐宋音だそうだ。
 
 でもあの甘いお菓子「ういろう」とどう関係するのだろう。
「透頂香」は咳や痰に大変よく効くそうだ。
二代目市川團十郎は喉の不調に悩んで「透頂香」を飲んだところ、大変よく効いたので「外郎売り」という歌舞伎の演目を作ったそうだ。
しかし、とても苦くて飲みにくく、「透頂香」を飲んだ後の口直しに食べたのがお菓子の「ういろう」ということらしい。
 一説には「ういろう」の色や形が「透頂香」に似ているともいわれるけれど、あんな太棹の「ういろう」のような漢方薬があったとも思えない。

 役職名から、薬の名になり、お菓子の名前へと、名前が一人歩き。
帰化人「陳宗敬」が「外郎」であり、外郎陳宗敬が作った薬「透頂香」が「外郎」であり、「外郎透頂香」と一緒に食べたお菓子が「外郎」ということになる。
 
 お菓子の「ういろう」を主語にすると、一緒に呑んだ薬が「ういろう」で、薬のういろうをを作った人が「ういろう」で、ういろうを作った人の役職名が「ういろう」ということだ。何ともややこしい。
 
 「もの」とその「名前」の関係は始めから終わりまで確かなものと思っていたが、そうでもないようだ。
日本語におけるものの名前というのはこんなにもしなやかに流れていくものかと今更ながらに驚かされる。

 日光東照宮の男体山も、はじめは「補陀落山」だったそうだ。サンスクリット語の「ポータラカ」のことで、インドの南の海の中にある観音菩薩の浄土のことだ。
その「ふだらく」が「ふたらく」になり、「ふたらく」が「二荒」になり、「二荒」を「にこう」と読み、「にこう」に「日光」の字を当てたそうだ。この場合は「読み」と「漢字」の二刀流というわけか。

 歌舞伎俳優や落語家もしょっちゅう名前が変わる。
そういえば私も「あさみちゃん」に始まり「あみねえちゃん」「あさみさん」「おくさん」「おかあさん」「おばさん」「おい、ちょっと」と目まぐるしく変わった。
 
 平かなで書く「あさみ」は、それほど変わっているというわけではないのに、同じ名前に出会ったことがない。音もア音が続いて明るく、かなり気に入っている。
特に「あさみちゃん」と呼んでくれる人は同郷の人、私にとっては気の許せる特別な人だ。
短歌をしていた父が「あさみどり」という枕詞からとったと聞いていた。
 
あさみどり 澄みわたりたる 大空の 
      広きをおのが 心ともがな

という明治天皇の御製があることを知ると、なんだか格調高く響き、数学教師だった父はなかなかの文士だったのかなと、株が少し上がる。

 「あさみどり」を古語辞典で調べてみると、「春に芽吹いた若葉のような、うすい緑色」「浅葱色」の事で、「浅緑色の」の意から「糸」「野辺」にかかる枕詞とある。
そういえば春のはじめの山を彩る木々の芽吹く色は本当に美しい。
「糸」も「野辺」も私には切っても切れない「えにし(縁)」を感じる言葉だ。
 
 ところが一説によると、生まれた時の産婆さんが「あさこさん」という人で、その人の名前をいただいたのだという。
そう聞くと何だか泥縄式に慌てて、いとも簡単につけられたような気がしてくる。

 誕生日に電話をくれた母にそのことを尋ねた。
「そう、とってもいい人だったわよ。明け方でとてもいいお産だった。満ち足りたいい気分だったことを今でもはっきり覚えているわ。満州の二月は寒いけれど、くっきり晴れて「あさみどり 澄み渡りたる大空の」の歌のとおりだったよ」
 そう聞くと別に文句はない。

 満州には生まれて一歳半までいただけで何の記憶もないのに
「大陸的ですね」とか「おおらかだなあ」といわれるのは何故だろう。
 気配りが足りなくて失敗をするたびに、「案外ねえ」、「ぬけてるぞ」と言われ、このおおらかな歌と一緒に何か大切なものを大空の彼方に忘れてきたのだろうか。
 
 何はともあれ、父がつけてくれたこの大切な名前、両親の思いがこもったこの名前と死ぬまで付き合っていこう。


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