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断捨離の魔法

私の個人的な趣味であり習慣であり、
頑張る起爆剤、それが断捨離

断捨離とは、不要な事や物を
断ち・捨て・離れることにより、
人生を改善する考え方のこと。

意味を調べてみると、
ヨガの思想から来ているそうな。

“不要な物を減らす”

これが、現代の情報と物があふれる社会において
どれほど重要かは、
断捨離を重ねることで実感している。

まず、自分が物に対して思う価値は、
常に変化していると思う。

例えば、昔購入した高価な服や物も、
時間の経過とともに色あせたり錆びたり、
自分自身が既に存在すら思い出さない物になっていたりするものだ。

それで何かのタイミングで
クローゼットを開けた時に、
久しぶりにその物を目にしたとする。
すると、その一瞬は「高価だったな」と
金銭的価値を思い出すと思うのだが、
果たしてそこからその物を
もう一度出して使おうと思う人たちは、
どれくらいいるだろう?

ほとんどの人が“サッと見ただけ”で、
予定していた続きの作業に戻るのでは?
と思うのだ。

その時点で、その“昔、高価だった物”の価値は
いかほどにまで下がっているか?
残念ながら、

“サッと流す物”レベルだ。

サッと目を流してしまうくらいのレベルということは、まとめるとこんな感じだろう。

・今はそれを見てもワクワクしない
・使おうとも思わない
・いつか使うかもしれないから取っておくが、
その“いつか”がいつ訪れるのかは想像がつかない

まぁ、こんなもんだ。

他人がもらってくれる物ならまだありがたいが、
中には傷みやキズ、流行遅れのため、

“もらってもいただけない”レベル

になってしまっている物もある。

さぁ、どうすればいい?
捨ててみればいいのだ!!

私はよくリサイクルショップへ売りに行くこともあるが、買い取ってもらうことも
叶わない物であれば、

思い切って捨てるべき!

だと私は思う。

じゃあ、捨てた先に一体何があるのか?
ハッキリ言って、そういった類の物は

ほとんど思い出す事もない過去の記憶

となるだろう。

意外と忘れてしまうものだ。
いくら高価だったとしても。

もしかしたら買った時の素敵な思い出が
つまっているかもしれない。
でも、その思い出は、
今も素敵と思えることなのか?
いつまでもその想いを
引きずっているだけではないのか?

その物があることで、

心の前進の
足かせにさえなってしまっていないか?


もしあなたの身の回りに
そういう物があったならば、
少しずつ捨ててみることをオススメする。

すると見えてくるのだ。

本当に必要な物が!


究極の話をするが、
もし大災害が急に来たとして、
要らない物だらけの部屋の奥に
非常用持ち出し袋があったとする。

その非常袋を探すために
どれだけ貴重な時間を失ってしまうだろう。
“これは要らない物だった”と
その時に気づいても遅い。

あくまでもこれは例えだが、
無い話では無い。

“本当に必要な物がすぐに手に届く”

自分の身の回りがそんな空間であれば、
時間も、労力も、すべて効率的に行くと
思わないか?

さぁ、今すぐ
家のクローゼットや押入れを
開けてみよう!


“これは今要らない”と思える物が
たくさんあるはずだ。

そして、断捨離を重ねていくと分かるのは、

要らない物は
もっともっと出てくるものなのだ!

だから、断捨離は終わらない。
生きている限り、断捨離し続けることになる。

でもそれは苦痛ではなく、
余計な物が少しずつ省かれて身が軽くなり、

“無駄の無い生活を送る”

ことに近づいていくはずだ。

“無駄が無い”ということは、
自分が本当に必要としている物事が見えてきて
そのためにどうすればよいか?が
すぐに考えられるようになること。

断捨離をして、シンプルな思考に。
必要な物・事が、すぐに手に入るように。

これが、断捨離を続けることによって
誰もが実感できるであろう

断捨離の魔法だ。


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