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信頼してた人から裏切られた場合の心の持ちよう

先週は光の速さで過ぎて行った。(週1投稿できなかった…)

今日は、信頼してた人から裏切られた場合、自分がどう心を保ってきたかの話をする。わたしは離婚もしているし、それなりに人生の年数を重ねているし、人の話を聞くのも好きだからか相談件数も割りとあり、なかには「それは本当に辛いですね…」とこちらが心から思う話もある。

たぶん私が誰にでも何でも話すオープンマインド過剰女なので、相手も「そんなことまで話してくれて…じゃあ私も…」とギブアンドテイクの精神で話してくれるのだろう。

つらいつらい出来事、人の数だけ乗り越え方があると思うけど、自分の場合は以下の3つを気にかけている。

  1. 課題の分離

  2. 脳の上書き

  3. 自分を幸せにできるのは自分だけ

深く考えるともっとある気もするけど、ひとまずこの3つがあれば辛いことがあっても生きていけるだろうと思う。詳細を下記に記してゆく。あくまで私の場合なので他の人に適しているかはわからないけど、傷つくことがあるたびにいろんな書物で学んだ結果なので、ある程度はいろんな人に適応すると思う。

課題の分離

人からの裏切りというのは、だいたい受けるほうからしたら「突然」である。裏切る方は「なんとなく」「前からそうしていたのがバレただけ」みたいな感じであろう。

受けた方は突然なことなので、だいたいは混乱する。「そうくると思ったよ」という場合は、裏切りという単語よりも「予想が当たった」という表現が適している。

裏切りの場合、混乱と驚き、そして悲しみが押し寄せる。悲しみが来たとき、私は常に自分を責めてしまう。「自分がこうだったから、相手はこうした行動をとったのだ」というふうに。

しかし、40年以上生きてわかったのだ。「裏切るやつは、どんな相手でも裏切る」ということを。40にして惑わずという孔子の言葉があるが、まさにこれ(孔子が言いたいことは、きっとこういうことではないけどね)。裏切るやつは、相手がどうであっても裏切るので、絶対に自分のせいにしてはいけない

相手が裏切ったのは相手の性分のせいであり、自分のせいではない。

アドラー的に言うと、課題の分離。裏切りとまでいかなくても、本当にこれは大事で、いわゆるHSPさんや繊細さんはちょっとしたことにおいても課題の分離を訓練するのがよいと思う。一瞬自分のせいにしちゃいそうになるけど「いやいや、これは相手の課題であり私の課題ではない」と言い聞かせるべし。

脳の上書き

人生で最もショックな出来事が起きたとき、私は「記憶を消す方法」をググりまくった。脳関連の本を読んで、自ら記憶を消す方法はないかと探しまくった。衝撃を与える方法は死ぬ可能性があるのでそれ以外を探した。当時は毎日死にたい気持ちはあったが子どもがいたので死ねなかったし、そもそも他人のために死ぬのはさすがに馬鹿らしいと思っていた。しかし、しんどすぎて早く記憶を消したいという気持ちは本気だった。

結論、記憶を消す方法は見つからなかったが、いろんなものを調べて「脳の記憶は意図的に上書きできる」という認識を得た(超個人的解釈ではあるが)。

要は、悲しいときに悲しみにどっぷり浸かっていると、いつまでも悲しみの原因を忘れられないが、行動したり心が動くものを見聞きすれば、それらが少しずつ脳を上書きしていき、悲しみの原因を思い出す時間が減るというもの。

決してなくなるわけではないが、思い出す時間が減るということは体感的には「だんだんなくなっていく」に近い。

悲しみは心で感じるが、心へは脳が指示しているはず。だから脳の仕組みを利用して悲しみを減らすことはできる。人に会って話したり、映画を観て心を動かされたり、お笑いをみて笑ったりする。それらの行動をしていくと少しずつ冷静になる。1ヶ月後には、少なくとも悲しみは当時の70%くらいになっているだろう。そして2ヶ月後には50%、3ヶ月後には30%になっている。

良いことも悪いことも人間には忘れる機能がついている。未来を信じるというのは、いいことが起こるはずというニュアンスではなく「今のその苦しみは未来には必ず減っている」というニュアンスで私は受け取っている。

自分を幸せにできるのは自分だけ

当然と言えば当然なのだが、結局は人は一人という個体であり、自分を幸せにできるのは自分だけなのだ。

パートナーがいるときに忘れがちで「相手がこういう行動をとってくれたから幸せ」「希望のことをしてくれなかったから不幸せ」という認識をしてしまうことが多い。(よね?)

まぁ、恋愛は脳のバグなので、バグを楽しんでるな〜ぐらいに思いながらやるのはいいと思うけど、どっぷり浸かってしまうのは危険。

相手のことはコントロールできないし、コントロールできないものはこわいと、人間は感じる生き物。相手ありきの幸せは、ずっと「どうなるかわからない」「どこに向かっているのかわからない」というこわさがつきまとう。

コントロールできる唯一の個体である「自分」が、自分の心を満たしてあげるのが幸せにつながる唯一の道。それを寂しいと感じることもあったけど、それって「いつか死ぬ」と同じもので、寂しいけれど仕方のないことだな〜と感じる。

負の感情ですら楽しむ

さいごに余談。最近は更に、負の感情も生きてるからこそ感じられるのかという気づきがある。前は「負の感情は絶対に嫌だ」と思っていたけれど、いろんな出来事で死を意識するようになると、悲しみを感じられるのも生きているからであり、それすら楽しめばいいと感じるようになった。

「そう思わなければならない」ではなく、スーッと「そう感じる」という感覚。あーこの感覚がほしかったやつ。みたいな感覚。

負の感情を抱くのが嫌で泣いていた20代の私に伝えたい。おとなになるにつれて生きやすくなるし、人生は自分の捉え方でどんどんおもしろくなるよ、と。


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