ようこそ「抑制」のある世界へ

まずは、こちらをご覧ください。



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なんだか、ものものしいですね。


実はこれらのアイテム、患者さんの行動を抑えるための道具。

こういう道具を使って患者さんの行動を抑制すること、身体抑制または身体拘束と言います。

意外に思われる人もいるかもしれませんが、わたし、仕事のたびにこのような道具を使って患者さんたちを縛っています────




なんて言うと、ナースあさみへのイメージがかなり変わるんじゃないかしら。

わたしだけじゃありません。
多くの病棟看護師が、1回は経験しているはず。

残念なことに、多くの医療機関や高齢者施設で当たり前のように行われています。

医療保険が適応となる病棟の90%以上で身体抑制が行われている、という調査もあるほど(身体拘束ゼロの実践に伴う課題に関する調査研究事業 p.4より)


患者さんを縛るなんて、虐待ではと考える人もいるでしょう。
はたから見たら、人間の尊厳を奪っている行為そのものです。

しかしながら

どうして医療従事者が患者さんを抑制するに至ったのか、みなさんご存知でしょうか?


殴られたり蹴られたり
ベッドの上で暴れたり
髪の毛を引っ張られたり
白衣の胸ぐらを掴まれたり
胸や二の腕、おしりを触られたり
唾を吐きかけられたり

こういう人たちに無作為に出会ってしまうことって、仕方がないことなのでしょうか?

こういう目に遭うことも
仕事の一部なんでしょうか?

相手は病気や障害を抱えている存在


すべて許さなくてはいけないのでしょうか?


ちなみに、看護の母ナイチンゲールは

犠牲なき奉仕こそ真の奉仕

という言葉を残しています。


病院という社会から閉ざされた空間で行われることです。あまり知られていない上に、ワクチンや延命治療と同様、抑制は医療従事者と患者さんの解釈に途方もない乖離があるものです。

わたしたちは、わたしたちなりの意図と目的があって実施しているんですが、患者家族からはわたしたちの意図と目的は見えません。


大切な人がベッドに縛りつけられている
これがすべてです。



微力であることは承知ですが、わたしの力で少しでもこの乖離を小さくできないかと思い、noteを書くことにしました。


くれぐれもご理解いただきたいのは、身体抑制を肯定するというスタンスではないということ。

やらずに済むなら、しないほうがいいに決まっています。少なくとも、わたしの周りでは、喜んで患者さんを抑制している医療従事者はいません。

けれども、わたしたちにはせざるを得ない理由があるんです。


もう一点

患者さんを抑制する側である
わたしたちのジレンマをわかってほしい…!

という内容でもありません。

医療現場では患者さんを中心に、いろんな人たちが関わります。

したがって、その時その状況によって正義は山の天気のようにコロコロ変わります。その正義は儚いもの、のちのち他者に共有するのがたいへん難しいものです。

ジレンマを抱えながらも、あのときはああするしかなかった…というのが本音かもしれません。


いろんな人からみえるであろう正義を、ちりばめたつもりです。

どうか、どこかの医療現場で起こっている遠い問題ではなく、あなたの大切な人に、あなたに起こりうる問題として感じてもらえたら

そして、抑制は100%悪いものなのかを自分自身に問いかけながら、読み進めてもらえると嬉しいです。



身体抑制とは

ちょっとかたいですが、定義から参りましょう。

身体拘束とは、「衣類又は帯等を使用して、一時的に該当患者の身体を拘束し、その運動を抑制する行動の制限をいう」

だそうです。
ポイントは、衣類又は帯ってところ。

皮膚や粘膜を傷つけやすい理由もあって、抑制に使われるアイテムのほとんどが布。他の素材が使われていたとしても、くっつけるところがマジックテープやスナップボタンという程度です。

なぜなら、金属やプラスチックだと、懲罰の意味合いが含まれてしまいます。手錠的なイメージ。


この抑制、患者さんを物理的に縛ることだけを意味するものではありません。

鎮静剤や睡眠薬、筋弛緩剤を用いて患者さんの意識や行動をコントロールすることも、広義の意味では抑制に入ると言われています。

ものものしい言い方になってしまいますが、鎮静下で人工呼吸器をつけている患者さん、みなこれに該当することになります。

例の感染症で人工呼吸器やECMOをつけてる人もそうです。

鎮静が必要な1番の理由は、治療の効果を最大限に発揮させたいから。要は、それが患者のためだから。

ですが、その中には苦しくて患者自らが人工呼吸器を外してしまう恐れもあるから、という理由も並ぶでしょう。

強制的に呼吸を管理されているわけですから、苦しくて当たり前。
顔の周りや首についているチューブなんて邪魔でしょうがありません。

寝ているあいだでなくても、外そうとするのが人間です。

けれども、人工呼吸器がついているということは、それがないと生きていけない、あるいはつけてるほうがベターだからついています。

外すと著しく具合が悪くなったり、場合によっては呼吸が止まってしまう人もいるでしょう。

それでは本末転倒
だから、鎮静という方法が取られるのです。

意識があるなかで無理矢理に換気されるよりも、眠ったような状態で人工呼吸器と同調したほうが有効な換気ができますからね。


ただこれは、ICUなど1:1に近い状態で看護できる場合に限ります。


医師はもちろん看護師だって、24時間つきっきりでひとりの患者さんのそばに居られるわけではありません。

医療機関、勤務体制、勤務帯によってはひとりで何十人という患者さんを受け持たなければならないときもあります。

そんな中

チューブを噛みちぎろうとする患者さんがいたら
いまにも転びそうな歩行をしている患者さんがいたら
こっそり病院を抜け出そうとしている患者さんがいたら

あなたは、どうしますか?
これらが同時に起こったら?


患者の手首をベッドに縛りつけておけば
患者に睡眠薬を勧めておけば
患者の行動を把握するセンサーをつけておけば

これらの多重課題、うまく分散させることができるかもしれません。


こういう背景もあり、臨床ではなかなか抑制をゼロにすることができないのです。

(後述しますが、ゼロにしている医療機関もあります)

看護師がもっとたくさん居たらいいのでしょうが、ご存知のように世は看護師不足。

圧倒的に供給が足りません。
現に、いま働いてる病棟でも必要な看護師の人数を確保出来ないまま日々の業務が進んでいる状態です。

わたし自身、身体抑制はなるべくしないほうがいいと思いつつも、治療の効果を最大限に発揮させるためには仕方がないもの

そして何より、看護師を含む医療従事者の安全を守るためには、抑制ゼロはあまりにも難しいという認識でいます。

医療従事者の安全を優先する?と思われるかもしれませんが、災害が起こったときなんか、そうですよね。

最初に現地入りするのは、消防や警察の方たち。救護や救命を実践できる場が保証されたら、やっと災害派遣医療チームが現地入りするフローとなっています。

そこで、なぜもっと早く駆けつけて被災者を助けなかったんだ?と医療従事者が責められることは、ほぼないですよね。

医療現場も、まずは医療従事者側の安全が優先されて然りだと思うのですよ、わたしは。

感染症を持っている患者と関わるときは、それ相応の物品を身につけていないと関わることができません。

日本では起こりえないかもしれませんが、そういう物品をが底をついた場合、わたしたちは感染症の患者に近づけません。助けるという選択肢を持てなくなるかもしれないのです。

非常に利己的な考えだと感じる方もいるかもしれませんが、誰かを助けるためには、まず助ける側の健康と安全あってこそ、と考えています。


経緯や歴史

上記にうまくまとまっています。あわせて、抑制によって引き起こされた事故や事件についても言及されています。

読んだ人は、その凄惨さにびっくりされるでしょうね。

当然といえば当然ですが、昨今では抑制をなくそうという機運が高まっています。患者さんの自尊心や人権を、大きく損ねる行為ですから。

金沢大学附属病院が抑制ゼロの看護を実践したというニュースを聞いたとき、わたしは正直びっくりしました。

周手術期の患者さんや認知症の患者さんのケアがあるなか、どうやって実現したんだろうって。

点滴類の自己抜去、転倒のインシデント報告数は増えてなかったんだろうかって。
そんなこと、ほんとに可能なの?って。

書籍や論文にまとまっていますので、興味のある方はぜひ。



法律関連

抑制って、人権を損ねる行為じゃない?
国に認められているの?

と思う方へ。
残念ながら、認められています。

精神保健福祉法という法律の中に、定められているんです。そう、もとは精神疾患をもつ患者さんから派生したものです。

上記より一部を引用すると

第四 身体的拘束について

一 基本的な考え方

(一) 身体的拘束は、制限の程度が強く、また、二次的な身体的障害を生ぜしめる可能性もあるため、代替方法が見出されるまでの間のやむを得ない処置として行われる行動の制限であり、できる限り早期に他の方法に切り替えるよう努めなければならないものとする。

(二) 身体的拘束は、当該患者の生命を保護すること及び重大な身体損傷を防ぐことに重点を置いた行動の制限であり、制裁や懲罰あるいは見せしめのために行われるようなことは厳にあつてはならないものとする。

(三) 身体的拘束を行う場合は、身体的拘束を行う目的のために特別に配慮して作られた衣類又は綿入り帯等を使用するものとし、手錠等の刑具類や他の目的に使用される紐、縄その他の物は使用してはならないものとする。

二 対象となる患者に関する事項
身体的拘束の対象となる患者は、主として次のような場合に該当すると認められる患者であり、身体的拘束以外によい代替方法がない場合において行われるものとする。

ア 自殺企図又は自傷行為が著しく切迫している場合
イ 多動又は不穏が顕著である場合
ウ ア又はイのほか精神障害のために、そのまま放置すれば患者の生命にまで危険が及ぶおそれがある場合

三 遵守事項

(一) 身体的拘束に当たつては、当該患者に対して身体的拘束を行う理由を知らせるよう努めるとともに、身体的拘束を行つた旨及びその理由並びに身体的拘束を開始した日時及び解除した日時を診療録に記載するものとする。

(二) 身体的拘束を行つている間においては、原則として常時の臨床的観察を行い、適切な医療及び保護を確保しなければならないものとする。

(三) 身体的拘束が漫然と行われることがないように、医師は頻回に診察を行うものとする。

こんな感じ。

難しい言葉が並んでいますが、なんとなく

・抑制はずっとし続けるものじゃないこと
・絶対に見せしめや懲罰として行ってはならないこと
・代わりになるようなケアを常に検討し、実践するよう努めること

これらを感じとってもらえるのではないかと思います。

身体拘束禁止の対象となる行為も載せておきましょう。

身体拘束禁止の対象となる具体的な行為

①徘徊しないように、車いすやいす、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る
②転倒しないように、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る
③自分で降りられないように、ベッドを柵(サイドレール)を囲む
④点滴・経管栄養等チューブを抜かないように、四肢をひも等でしばる
⑤点滴・経管栄養等のチューブを抜かないように、または皮膚をかきむしらないように、手指の機能を制限するミトン型の手袋等をつける
⑥車いすやいすからずり落ちたり、立ち上がったりしないように、Y字型拘束帯や腰ベルト、車いすテーブルをつける
⑦立ち上がる能力のある人の立ち上がりを妨げるようないすを使用する
⑧脱衣やおむつはずしを制限するために、介護衣(つなぎ服)を着せる
⑨他人への迷惑行為を防ぐために、ベッドなどに体幹や四肢をひも等で縛る
⑩行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる
⑪自分の意思で開けることのできない居室等に隔離する

身体拘束ゼロの手引き–高齢者ケアに関わるすべての人に  p.9より引用

補足になりますが、抑制をしている患者さんのカルテには、必ず本人もしくは家族などの代理意思決定者の同意を得られているか、書き残さなくてはなりません。

同意のない抑制は、あってはならないからです。

緊急時には口頭で確認、もしくは医師の指示にて開始することもありますが、いずれもその後必ず記録に残します。

ただ、精神科の場合はかなり特殊。

本人の同意がなくても入院が可能となる医療保護入院(精神保健指定医の判断と家族の同意)、重大な犯罪を犯した人や自傷他害の恐れ、自死の可能性が極めて高い場合などに適応される措置入院(精神保健指定医2名以上の診察にて、都道府県知事がその権限と責任のもと入院させる)という入院形態があります。

これらの場合に抑制を行う際は、本人の同意を得ずに行われることがほとんどです。そもそも、入院そのものに本人の同意を得ていませんしね。

そのため、どんな抑制を、どれくらい行ったかという記録を都度カルテに残します。最低でも各勤務帯(日勤、準夜、深夜)に1回は必ず。

当たり前ですが、自分が縛られる側だったとしてこんな不当なことはありません。

どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ?

をのちのち確認するために、医療従事者側としても抑制の事実があったことを証明するために、記録が必要となるのです。


抑制のアイテムたち

ここからは、具体的にどんなアイテムがあるのか紹介していきます。
実際、わたしがすべて患者さんに使ったことのあるものです。

ミトン

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いいのか悪いのかわかりませんが、Amazonにも商品として掲載されています。

これは、手のひらや指を用いてできることを妨げるために使います。
臨床では

・点滴や尿道カテーテル、CV、ドレーンなどの自己抜去防止
・創部や褥瘡のかきむしり防止
・人工呼吸器を含むマスク類を外そうとする行動を抑えるため

あたりが使用するシーンでしょうか。

手のひらの自由を奪うと、ナースコールが押せなくなってしまうので、患者さんの手の中にナースコールを握らせて装着することもあります。

これ、手首のところがマジックテープになっているだけのように見えますが、その下の部分にあるボタン部分がミソ。

気になる人は、Amazonのリンクに飛んでみてください。使い方が載っています。

特殊なスナップボタンになっていて、爪を立ててゴム部分をグッと押さないとボタンが外れないようになっています。

つまり、本人の力だけじゃ絶対に外せないようになっている、というわけ。
わたしでも装着されたら外せません。

患者さんの中には、手の自由が奪われたと必死になって抵抗してくる人もいます。手をブンブン振ってみたり、手袋部分を口で噛んで外そうとしてみたり、歯でボタンを噛みちぎろうとしたり。

当然、涙や汗、よだれが付着しますが、洗濯して繰り返し使用している医療機関がほとんど。

感染症が流行しているご時世下で、それはどうなんだという意見も聞こえてきそうですが、患者さん一人ひとりに5000円もする介護用品を買ってもらうわけにはいきません。

しかも、患者さんを抑制するためのアイテムに快くお金を払ってくれる家族なんているでしょうか?

そのため、病院のものを繰り返し使っていく、というのがデフォルトとなっています。

当然、傷みや破損も激しく、マジックテープがよわよわ、布が一部汚れている、一部破れている、柄やプリントがハゲている…などはよくお見かけします。


タッチガード(胴抑制)

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イラストは上肢抑制も描かれていますが、腰のベルトにあたる部分が胴抑制となります。

上半身のクロスしているところも抑制ですね。
これがあると、起き上がることができません。

胴抑制は、激しい体動や現状認識困難でベッドから落っこちそうな人、腰やお腹部分の安静が必要なのにそれを守れない人、あたりに使用されることが多い印象です。

ただ、細身のおばあさんなんかはうまくすり抜けて廊下に出てくることも……

幽霊と遭遇するより、胴抑制をしているはずの患者さんと廊下で出会うほうが100倍怖い、と個人的には感じています。


つなぎ服(身体抑制服)

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いよいよ、人権が薄れてきてる感がありますね。

ボタンは、ミトンと同じく特殊なスナップボタン。チャックの部分は、特殊な器具を使わないと開閉できないようになっているものもあります。チャックの持ち手がない、といえば伝わるでしょうか。

つなぎ服は、体幹〜陰部に触ってほしくないものがある人に適応されることが多いもの。

・PEG(胃瘻)が入っているのに痒くて抜去しそうな人
・創部の清潔を保ちたいのにかゆくてかきむしってしまう人
・ストマ(人工肛門)があるのに認知症のため理解できず貼付しているパウチをはがしてしまう人
・おしりにある褥瘡をさわってしまう人
・放尿や放便をする人

おむつ外しをするくらいなら全然かわいいのですが、排泄物まみれになったおむつを同室にいる他患者に投げたり、隣の患者のゴミ箱に排泄したり、外したおむつを食べようとしたり

そんな患者さんもいるのが病院という場。

認知力の低下って、人格を奪うから悲惨なんですよね。

これ、あなたが隣にいる患者さんの家族だったらどういう気持ちになるでしょうか。

そんな患者、ベッドに縛り付けておいてくれよ…とか、個室に隔離してくれないの…と思いませんか?

排泄物ゆえに、汚いだけでは済みません。

感染症を持っている場合には、他患者に感染する可能性があります。くわえて、おむつを食べると中のポリマーが気管内で膨張し窒息を引き起こす可能性もあります。

不潔だからという理由だけではなく、本人と周りの患者さんの安全も優先されるべきよね

ってことは、申し訳ないけどこの患者さんにはつなぎ服を着てもらったほうがいいのでは…という結論に至ることがあるのです。


センサーベッド

https://www.carecom.jp/products/care/sensor/sensor01/01-2/

これ、患者さんの体勢を把握できるようになっており、設定したアラームに応じてナースコールが鳴るようになっているベッドなんです。

いまいちよくわかりませんね。

たとえば、ベッドに腰掛けるような体勢を端座位(たんざい)と言います。

アラームの設定を端座位にしておくと、患者さんが端座位をとった時にナースコールが鳴るんですね。

こういう類のベッドがあるのは、患者さんの行動を把握したいから。

ベッド上で絶対安静の指示がある患者さんのベッドからこの端座位のアラームが鳴ったら、指示を守れずベッドに腰掛けている、それがナースコールで把握できるようになっている、というわけ。

時間や患者さんの体重を入力して、よりパーソナライズされたアラームを設定できるものもあります。

人権的な視点を顧みずにお伝えするならば、こういう人を管理する技術の進歩ってすごいですよね。


ナースコールマット

店頭転落防止アイテムNo.1なのがこちら。
大変メジャーなアイテムとなっております。

以前勤めていた病院では、45床のベッドに対して9個ありました。

転倒転落の要因はさまざまありますが、1番多いのはトイレに行こうとして…という場面。

・トイレに行くときはナースコールを押して看護師を呼んでくださいと伝えても、申し訳なく感じてしまい押さない
・認知症がありナースコールを押すことそのものへの理解が乏しい
・ちょっとフラフラするけど家では転んだことないし大丈夫!という過信
・病室という環境への適応具合
・加齢による足腰の弱さ

こういうものがあいまって転んでしまうんですね。

元気になるために入院しているのに、転倒によって骨折、出血、急性硬膜下血腫などがおこったらさぁ大変。

だから、わたしたちはナースコールマットをベッドの下にひいて、行動を把握しようと努めるんです。

安全な移動と歩行をサポートするため。

だって、患者さんの家族からしたら

患者の健康を守るはずの病院で
どうして本人が危険な目に遭うの…?

と、感じる人もいると思うんですよね。
そういう管理やケアのプロじゃないの?って。

特に、ベッドサイドでの転倒は、ベッド柵や点滴棒、床頭台の角などぶつけると大きなケガに繋がる物品が多く、受傷のリスクが高いんです。

繰り返しになりますが、わたしたちはすべての患者さんのベッドサイドに四六時中居られるわけではありません。同時に何人も受け持ちしているのがデフォルト。

言い訳に聞こえるかもしれませんが、患者さんの協力も得られないと、安全安心な療養を保証できないというのが本音です。

協力が得られない場合には、それを補填するための道具を使うという選択肢、つまり抑制が出てくるということです。


ベッド柵

これも抑制の概念に入ります。
ベッド柵をすべて設置すると、患者さんをベッドの中に閉じ込めているという見方ができるからです。

産まれたての赤ちゃんのベビーベッドを想像してもらうとわかると思うのですが、あれって周りをすべて覆われていますよね。

赤ちゃんの安全を守るためですが、自我のある赤ちゃんがいたとしたら、こんなところに閉じ込められて…とベッド柵を掴んで揺らし始めるかもしれません(!)

わたしたちとしては、患者さんがベッドから落ちないように周りをすべて柵で覆うという対策を取るわけですが、患者さんから見える景色は制限されており、監禁されているように見える人もいるわけです。


車椅子ベルト

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これは、胴抑制の車椅子版

座ってる体勢はとれるけど、立ち上がろうとすると転んでしまう人や、座ってる体勢もやや危うい人の安全を守るためにクッションなども使って固定して使います。

座ってる体勢を保てない人って、どんどん猫背になっていき、おしりがズレ落ちていき、車椅子から落ちてしまうんですね。

病気や障害、加齢によって起こる筋力低下は、わたしたちの想像をはるかに超えてきます。自分の腕が重くて上がらないと言う患者さんもいるほど。

そのため、股にあたる部分にしっかりと布があたるつくりになっています。ベビーカーの赤ちゃん部分の固定もそうなっていますよね。

ずり落ちを防ぐ要素のひとつなのです。


かんごとかんりのあいだで

看護と管理

一文字しか違わないのに、その文脈は大きく異なります。
たまに、わたしは看護師ではなく管理師なのでは?と思ってしまうことも。

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たとえば、こちらのイラスト。

手抑制かミトンをされていたんでしょう。
手首のところが擦過傷のようになってしまっています。布と皮膚がこすれにこすれた結果、とも言えるでしょう。

念のために伝えておくならば、手首にあとがつくほどきつく縛ることは反則です。手首の関節の動きをすべて封じ込めるほどきつく抑制帯を使うことは、「抑制」の範囲を超えています。

点滴に触れないように
手術の跡にさわれないように
酸素チューブに手が届かないように

あくまでも、行動を抑えるために手首を抑制するんです。手首そのものを縛ることが、抑制ではありません。

手首がある程度動く範囲で固定する、というのが抑制のあるべき姿です。


擦過傷のように、患者にとって不利益となる事象が起こってまでも、わたしたちが守りたかったものってなんなんでしょうか。

安全な医療の提供?
医療従事者の安全?
スムーズな業務の遂行?
確実な点滴投与?
定時で業務を終えること?
インシデントレポートを書くのが嫌だとか?

数えたらキリがありませんね。
患者に寄り添うとか言っておきながら、こちらのエゴが剥き出しの理由ばかりです。


滅多にない機会なので、わたしのエゴにもう少しお付き合い頂きましょう。

あまりイメージができないかもしれませんが、臨床では治療に協力的ではない患者さんもいます。
だいたい、病院なんて遊園地や映画館のように行きたくて行くような場所じゃありません。

家族に引きずられるようにして来院する人も少なくありません。

ですから、こちらの言うことを守ってくれない、または守れない患者さんもいます。

認知症や術後せん妄、不穏行動、脳血管疾患による後遺症、精神疾患、入院という環境変化によるストレス、病識の低下や欠如、加齢による感覚器の低下など……

これらの要因がときに複雑に絡み合い、こちらからの指示を守れないということが起こってきます。

(※これらの疾患や症状をもつ人すべてが、指示を守れなくなるわけではありません)

・点滴の針を抜いてしまう
・尿道カテーテルを引っ張ってしまう
・ドレーンを噛みちぎる
・安静を守れない
・お見舞いの花束を食べてしまう
・陽性者なのに徘徊して隣のベッドの患者さんにマスクなしで話しかけてしまう
・病院からエスケープ

こちらとしては、必要があって投与している薬剤を、留置されている管を抜かれるということは、治療計画通りに治療を進めているとは言い難い状況なんです。

お花を食べてしまった患者さんも、陽性者の患者さんも、本人の自由を尊重していたんだといえば聞こえはいいでしょうが、家族や同室者の立場だったらどう感じるでしょうか。


点滴の針は、また再挿入すればいいという感覚の人もいますが、尿道カテーテルは文字通り膀胱内で風船が膨らんでるような構造になっています。

そのまま引き抜いたらどうなるか。

尿道を約3cm大に膨らんだ球体が通るわけです。著しく損傷することは、言うまでもありません。

男性は心して聞いていただきたいのですが、昔、尿道カテーテルを無理矢理自分で引き抜いた患者さんがいました。

術後せん妄で、こちらの言っていることがまったく耳に入らない状態。

膨らんだままのバルーンがそのまま尿道を通過したことにより、陰茎が真っ二つに裂けて大出血、そのまま形成外科の緊急手術へ向かった事例にでくわしたことがあります。

当然、予定していた治療計画から大きく逸脱し、入院期間が伸びます。体力や認知機能は低下しますし、当然お金もかかります。

この患者さんはこのハプニングが影響し、尿道カテーテルを抜去できない身体になってしまいました。

本人の尊厳を守るためにミトンなどは使用していませんでしたが、もしミトンやその他の抑制帯を使って手の自由を制限していたら、こういうことは起きずに済んだかもしれません。


まぁ、たらればの話になってしまうんですが。


さぁ、そろそろあなたも抑制=悪だと言い切れなくなってきたのではないでしょうか。

患者に不利益を与えてまでも
優先したいことがある

こういうことが、日常的に起こっているのが臨床という場なのです。


文脈は大きく異なりますが、個人的に似ているシーンだなと感じています。

それは、子育て中のお宅。

同世代には、ちょうど結婚・出産・育児の真っ只中にいる友人が多くいます。

たまに、おうちへ遊びに行ったりすると
(感染症が流行る前のことです)

・柵のあるベビーベッド
・台所に入ってこれないようにするための仕切りの設置
・戸棚を開けられないようするロック
・はさみやライターは子どもの手の届かないところへ

こういうのをみると、わたしは臨床での抑制の場面を思い出してしまいます。

どれもこれも子どもの安全を思っての対策ですよね。危険に晒さないための、親の愛を具現化したもののひとつ。

子どもの安全が最優先。
自由や成長、知的好奇心は、二の次。

ただ、これを看護師-患者間でやるとどうなるでしょうか。

愛という一言では片付かなくなってしまいます。途端に人権と尊厳、倫理の話になる。

わたしには同じに見えるんですが、どうやらわたしのほうがおかしいようです。


もうひとつ、管理という側面にも言及しておきましょう。

大きな病院であればあるほど、その医療安全対策は万全です。どんな小さなインシデントでも報告し対応している…はずです。

ただ、このインシデント。
起こした側としては、あまり気持ちのいいものではありません。

もちろん、アクシデントはもってのほか。患者を危険に晒してしまったという自責の念が押し寄せる事例もあるのですが、実際に頻発しているインシデントは

・点滴自己抜去
・転倒
・ベットからの転落

あたり。

これ、ある程度経験の積んだ看護師なら、いろんな対策をした上で起こってしまったインシデントになります。

言い換えると、看護師が予測できる範囲での対応をすべてしていたにも関わらず、患者の協力や理解が得られずに、起こってしまったインシデント、というわけです。

インシデントを起こすと上司や師長に報告、そのあと担当医に報告、必要な処置や治療があればそれらを実施、患者本人に経緯と対策を説明、患者家族にもインシデントの内容を説明し謝罪、インシデントをチームへ共有するためにカンファレンステンプレートへ記載、インシデントレポートを記載し医療安全対策チームへ報告…

肌感ですが、約1~2時間分の業務が増えることになります。

ただでさえ、こっちが先にいってしまうんじゃないかと思うほど忙しい臨床です。余計な仕事を増やしくたくない…!というのが正直な気持ち。

医療機関にもよりますが

・インシデントは悪いもの
・インシデントを起こす看護師は仕事ができない
・インシデント=失敗感がすごい

このような文化が、いまだに残っているところもあります。

こういう環境があったとして、あなたなら積極的にインシデントを報告しようと思うでしょうか?

そもそもインシデントを起こしたくないから、とりあえず抑制しておこうか、という心理がはたらいてもおかしくありません。


ずっと臨床にいると麻痺してしまうのですが、真の意味で、わたしが看護を提供している時間って、実はとても短いんじゃないか…

そんなことを考えてしまいます。


正解の集合体が正義なわけじゃない

抑制についての研修を受けるとき、必ず医療倫理の話になります。

この倫理ってのが、大変厄介
皆さん、倫理とはなにかを説明できますか?




きっと、できるのは古代ギリシア人くらいではないでしょうか。
医療倫理に興味があって研修を受けてるわたしでも、一言では説明できません。


ですが、これくらいはわかってきました。

倫理には、正解らしきものに1歩ずつ歩みよっていかなきゃいけない覚悟、そして、ショートカットできないめんどくささが含まれている、と。

倫理的な問題ほど自分で正解らしきものを考え、毎日のように意思決定し続けないといけません。

めんどくさいですよね……
誰かに正解!ってマルしてもらえるほうが、よっぽど楽チン。

その上、自分だけの意思決定は存在しません。

なぜなら、大切な人の考えや気持ち、物理的な環境、これまでの人間関係、しがらみなど外部要因から必ず影響を受けるからです。

さらにいえば、臨床では様々な職種がチームで働いています。いろんな人の導き出した「正解らしきもの」が入り乱れるわけです。

そういう状況の中で、たとえ刹那的であったとしても、そのときそのチームでの正解らしきもの、そのときの正義を導きださないといけない。

治療を前に進めるために
患者を助けるために

抑制は、そういうプロセスのあいだにある刹那的な事象だと思うんです。

だから、のちのち検証した結果が正しくなかったとしても、それを責めることが難しい。


いきなり話がメルヘンに飛びますが、昔の人は夜空に浮かぶ星を眺めながら、それを点と点で結んで線にし、あの動物やあの英雄に似てるよね!と話しながら星座というものを考えました。

それは、時間とともにゆっくりと位置を変え、季節が変わると消えていきます。

天候に左右されることだってあります。
雲に隠れてうまく見えない日もあるでしょう。

そして、昼間はまったく見えません。
恵みであるはずの、太陽のせいで。



いろんな正解があって
いろんなくくりがあって
強い正義には簡単に霞んでしまい
見ようとする人にしか見えなくて、刹那的。

なんとなく、星空と抑制って似てる気がしています。



さあ、このnoteもそろそろおしまい。
最後に、ここまで読んでくれたあなたに質問です。


抑制は、本当に悪いものでしょうか?
それは、誰から見た悪なのでしょうか?




看護師として働き続ける限り、抑制のない世界を見据えながら、抑制のある臨床と向き合い続けなくてはならない、こう感じています。

こういうプロセスが、誰かの「正解」になることを信じて。



参考・引用した文献やサイト

身体拘束ゼロ作戦推進会議
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/zaishien/gyakutai/torikumi/doc/zero_tebiki.pdf

身体拘束ゼロの実践に伴う課題に関する調査研究事業
https://www.ajha.or.jp/voice/pdf/other/160408_2.pdf

身体拘束予防ガイドライン
http://jnea.net/pdf/guideline_shintai_2015.pdf




貴重な時間を使い、最後まで記事を読んでくださりどうもありがとうございます。頂いたサポートは書籍の購入や食材など勉強代として使わせていただきます。もっとnoteを楽しんでいきます!!