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正しい情報発信なんてクソくらえ

ナースあさみという名前だけあって、医療や健康に関する情報や知識に関して正しさを求められることが多い。

けれども、この際、はっきり言っておく。

万人に正しい情報・知識はない。
絶対、ない。


だれかにとって正しいことは、誰かにとって間違っていることだ。

万能といわれる痛み止めのロキソニンだって、アレルギーの人がいるくらい。それくらい、人によって合う、合わないがある。医療の場合は、それがとても顕著。故に、個人差があるという表現が多用される。

だから、ドクターたちの治療説明においても自分が納得した選択をしていきましょうという薄っぺらい返答しかできなくなる。自己啓発みたいに聞こえるかもしれないけど、これが臨床の現実だ。

そして、患者さんや家族は意思決定という迷宮にはまったまま抜け出せなくなり、ほとんどの人が、自分の人生における正解がわからないまま亡くなっていく。


ではどうして、多くの人が外の世界に正しさを求めるのか。

それは、自分の中に正解を見つけることが難しく、自分のことを自分で決める練習をしてきていないからだ。

何かを決断するって、ものすごいエネルギーを消費する。断捨離をするとすっきりすると同時にものすごく疲弊するのは、決めの場面が多いから。

赤信号みんなで渡れば怖くないじゃないけど、日本人の多くが正しさと多数であることを混同してしまうことが多い。これも決めることに自分のエネルギーを割けないから。

多数決という言葉があるけれど、日本でこの言葉を使う時、多数決の答えは正しいという文脈で語られることが多い。多数であることは正義なのだ。


では、病気や健康はどうだろうか。
治療方針や療養先も、関係者の多数決で決めていくんだろうか。


違うよね。


これらはとても個人的な経験であり、解釈のベクトルだってたくさんあるもの。だからこそ、患者本人の意思が最優先されることがベターだと私は思う。患者さんの人生だもの。自分が納得した、最適だと思える選択をしてほしい。


誰かの正しい選択は、誰かを不幸にするかもしれない。けれども、不幸にする人を最小限にすることはできる。

選択の基準を正しさからその人らしさにトランスすることで、その選択が多くの人を納得させる構図じゃなく、不幸な人をなるべく生まないようにという温度のある構図になることを願っているし


そういう未来にするための、一助になりたいと思っている。


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