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ちきりんさんと話して、議論と雑談の違いを考えた話

たまたまロッカーで着替えてるときに始まるような、何気ない会話が途絶えたコロナ禍

それを埋めるように、ネット上では雑談に関するコンテンツが増えたように思います。

わたしのSNS周りでいうと

みずPのこたつラジオ

サクちゃんの雑談サービス

あたりかな。

ただ、雑談ばかりやっていると

・目的のある議論
・暫定解を導き出さないといけない会議
・ネクストステップを決めるためのカンファレンス

こういうことが成立しなくなってしまうような気もしています。
雑談には「問い」も「解」も「決め」も要らないから。

反対に

仕事で同僚と議論するとき
クライアントと会議するとき

上記のいずれかは、必須ではないでしょうか。

人間と人間の関わりという点では同じなのに
それぞれモードやプロセスがまるで違うの

なんでだろう?


こんなことを考えたのは、先日ブロガーのちきりんさんと議論するという機会を得たから。

以下、ちきりんさんはじめ、メンバーのみなさんとの議論をCDPと記します。

ちきりんさんが募ったメンバー他2名、計4名で2時間みっちり議論しました。

これまでに2回実施、次は別のスタイルでやることが決まっています。

皆さんご想像の通り、それはそれは雑談とは反対のやり取りでした。
普段、高齢者の皆さんとゲートボールしていたのに、いきなりローマのコロッセオに放り込まれたような気分。

めちゃくちゃ頭を使うけれど、同時にめちゃくちゃ楽しくて学びのある時間だったので、わたしの中で「議論と雑談」「議論に必要な4つのコト」をまとめておきます。

余談ですが、CDP1回目が終わったあと低血糖っぽくなったので大学いもを食べたあと、足りなくておはぎも一気食い&全身汗だくでした。そんな中、撮った音声も残しておきます。

頭の中スカスカ感をお楽しみください……


雑談=目的のない会話って、ほんと?

議論と雑談

ふたつを考えるとき、雑談は目的のない会話だとする人も多いと思うんだけど、わたしは違う意見です。

どちらも目的があって、そのゴール属性が違うんじゃないかと考えています。

議論の目的=コトへ向かう

たとえば
・数値化できること
・ネクストステップ
・意見を出す
・アイデアを出す

という感じ。
たぶん、日本で一番議論がコトへ向かっている(はず)なのは、国会中継ではないでしょうか。

対して、雑談は

雑談の目的=人へ向かう

・相手を知る
・関係性をより深く、強固なものにする
・ラポール(相手との親密性)形成の一助

みたいなイメージがあります。
Youに向かうのよ、ベクトルが。

先にも紹介しましたが、友人のみずPが雑談をうまく自身の事業に活かしているように感じています。

上記のサービスも、知り合いとの雑談や相談を誠実に拡張していった結果なのではないでしょうか。

ほぼ毎朝のスペース配信(すごい)に加えて、Voicyという音声プラットフォームでも発信されています。

こちらは放送作家さんが入っているせいか、厳密に言えば雑談よりもコンテンツという感じ。
台本がある=目的や狙いがある証拠ですからね。

みずPの音声を聴いていると、ラポール形成に必要な

・尊重と肯定
・行動の類似性と同調
・ペーシングとリーディング

これらを感じることができます。
コーチングとかカウンセリングを学んでいる人は、参考にするといいんじゃないかな。
もうね、スキルのさりげなさがほんと怖い。

僭越ながら、わたしも看護の仕事では狙ってこういうスキルを用いることがあります。
患者と信頼関係を築くことは、最低限やらなければならない業務だから。

ただし
これは、議論の場には必須ではないんですよね。

試しに、国会中継で
A議員:◯◯が必要だと思うんですよね〜
B議員:めっちゃわかる〜

というやり取りがあったら、おん?この国、大丈夫そ?ってなりませんか。

議論の場においては、同調や共感があまり求められていないような気がします。
それよりも、目的の達成のほうが大事。
法案を可決するのか否決するのか、決めないといけませんからね。

なんとなく議論と雑談のニュアンスが伝わったところで、議論に必要なコトを考えてみます。


議論に必要な4つのコト

1.コミュニケーションはコストであるという認識

意外に思われるかもしれませんが、人との関わり&情報共有ってコストなんです。
時間と元気と手間がかかる。
楽しいだけじゃないんですね。

会議の議事録作成とか
診療情報提供書の作成とか
契約書の作成とか

ね?めんどくさいんですよ。

でも、「目的」のために必要だから、やる。渋々やる。

わたしの身近にあるコミュニケーションコストは、患者の情報把握と共有。
新たに得た情報、共有すべき情報は、関わるスタッフが把握できるようテキストにして残さないといけません。

これが、チーム医療ではなく72時間ぶっ続けナースあさみ担当シフトだったら、わざわざ記録に残す必要のないことも出てきます。

だって、わたしが知っていればいいことだから。支障なく業務が回るから。
まぁ、わたしの健康と情緒が引き換えになりますが。

ちきりんさんも、ご本人は事前の共有ドキュメントに意見や情報を一切書き込んでおられませんでした。
ご自身が与える影響を考慮してのことだとは思いますが、コミュニケーションコストの面もあったのではないかと考えています。

CDPの募集要項もそうです。
いくつか設問に解答する項目がありました。

議論仲間を募集するので、ある程度テキスト情報は必要だと思うのですが

・文字数の指定があったこと
・それよりも短いもののほうが望ましいこと

これらが先に提示されていて、コミュニケーションコストをカットしたいんだな〜と募集の段階から感じていました。

何通応募がきたか知りませんが、仮に100通を超えてくると読むだけで疲れちゃいますよね。

長ったらしい文章をうんうん読むこと、生産性の向上が大好きなちきりんさんにとっては我慢ならないことだと思うので、こういう条件を指定することである程度スクリーニングする狙いもあったかと思います。

わたしはカルテを書くクセでたくさんテキスト情報を書いておこう!というマインドになりがちなんですが、ここではコミュニケーションコスト削減を意識し、割と端的な解答を提出した記憶があります。


2.前提条件と情報の整理

事前のドキュメントでテーマ、それに関連する資料の共有があったんですが、オンライン上でこれまで関係がない人たちと、前提条件を揃えておくってこんなに難しんだ!と痛感しました。

もちろん、どのテーマに関してもちきりんさんは守備範囲が広く&深く、その守備範囲にたまげたんですが、わたしを含め他のメンバーはそうではありません。

わたしの場合、まがいなりにも臨床に近い立場にいるのでそこら辺は強いんですが、法律や税金周りの話は弱くてですね。
そのあたりの議論をしているとき、心の中で白目むいてました。

一方で、他のメンバーはそのあたりは強いけど、医療関係者が近くにおらず、メディアの情報だけという人もいて。

こういう背景を持つ者同士が同じテーマで議論する。
すると、どうしても情報の非対称性が生じます。

これを埋める必要があるのか、ないのか
そもそも、情報の非対称性は誰とでも生じることなので、埋める必要はないんじゃないか?
この非対称性が、おもしろいんじゃないか!

これに関して、自分の中でいろんな意見が生まれたのもおもしろかったです。

というのも、わたしは普段、臨床のカンファレンスという、情報の非対称性が比較的少ない議論の場にいるんです。
そのため、今回の体験がより際立って感じられたんですよね。

カンファレンスでは、既往から最新まで患者の情報を出席しているメンバーが全員把握していることが、必須の前提条件です。

「え?この人、生活保護受給者なの?」からやってたら、話が前に進みません。
病棟看護師にそんな時間はないのです。

そして、話すゴールが決まっているので5分〜10分で終わります。
ネクストステップを共有して終了。端的の極み。

こういう背景があるせいか、ちきりんさんたちとの議論は、情報の非対称性と情報分布のまだらさを感じる時間でもありました。

これ、結構おもしろかったので、自分でも何か企画してみようかと考えています。


3.意見に「間違い」はない

ちきりんさんも繰り返しおっしゃっていますが、意見に正解や間違いはありません。
すべての意見に優劣はないんです。

妥当性や根拠を示す場面が必要なことはありますが。

この、どんなことでも意見を言ってもいいという感覚
ちょっと文脈は違いますが、哲学対話のルールと似ている部分があるかと思いました。

哲学対話の8つのルール

  • 何を言ってもいい。

  • 人の言うことに対して否定的な態度をとらない。

  • 発言せず、ただ聞いているだけでもいい。

  • お互いに問いかけるようにする。

  • 知識ではなく、自分の経験にそくして話す。

  • 話がまとまらなくてもいい。

  • 意見が変わってもいい。

  • 分からなくなってもいい。

https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/diversityresearch05.html より引用

CDPはここまで叙情的ではありませんでしたが、議論における「マインド」としては有効な部分もあるのでは?と感じました。


4.相手のことをケアする必要はない

議論のゴールは、コトへ向かいます。
コトの質やレベルを上げること、コトを前に進めることが優先されるはずなんです。

ということは

こういう意見を言ったら相手が傷つくかもしれない

とか

こういう意見を持ってるけど、相手の背景を考えて忖度しよう

とか

相手をケアする態度は、とらなくていいと感じました。

そもそも、意見と意見を発している人格は、別です。
それに、議論に参加できるような人ですもの。
己のケアは、ご自身にてしていただきましょう。

意見を棄却されたり、覆されたりすること、みなさん普段からあると思うんですが、それで自分のメンタルが傷つくかどうかは別じゃありません?

意外と、話を聞いている態度がなってなかったとか、そういう言語的情報以外の情報を勝手に自分で解釈している場面もあると思うんです。
実は、相手はおしりが筋肉痛で長時間座っているのがつらかった、かもしれないのに。

ケアが生業のわたしには、ここが一番難しかったです。
すーぐ手を差し伸べようとする。

2の前提条件と情報の整理ともつながりますが、事前のドキュメントに加筆しようとしたり、もっと資料やコメントを残そうとしたり。
これは、相手から見たらコミュニケーションコストを増やすことでもありますよね。

そのため、すごくすごくがんばってこういう振る舞いを控えました。今でもソワソワしてます。

少なくともCDPに参加された方は、ちゃんとした大人です。
セルフケアはもちろん、事前学習や資料の確認は、自身の生活と仕事との兼ね合いを考えながら、それぞれ本人がやればいいこと。

わたしの及ぶところではない、ということを実感できたのがよかったです。


おわりに

以上、雑談と議論について考えた話でした。

これ、議論終わりにちきりんさんが
「わたし、雑談が苦手なんです」とおっしゃってたのが気になって考えた話でした。

雑談は心地よいものなんですけどね、コトを前に進めたいときには不向き。
状況と役割によって、どちらのモードも使いわけられる人になりたいものです。

臨床とは違った議論の場を増やしてみたいなという気持ちも湧いているので、不定期でなにか開催するかもです。

おしまい


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