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生活できなくなる、ということ

SNSを見渡すと、たくさんの「素敵な暮らし」に出会います。

食器
インテリア
光の入り方
お庭
掃除道具のしまい方

見ていて惚れ惚れしてしまうものもあります。
もうそれ自体がアートのような。

ただ、わたしの仕事はそういう場面とは無縁です。

本を読む
ラジオを聴く
持参してきたお気に入りのタオルケットをかけて眠る
院内洗濯から帰ってきた洗濯物を棚の中に入れる

治療と療養がメインの場であるため、家事はほとんど顔を覗かせません。食事は作ってくれたものをベッドサイドまで運んできてくれるし、掃除は業者の人がやってくれます。

ベッドと消灯台というちいさな空間の中で、患者さんは最低限の生活をおくっているのです。

しかし、この最低限の生活でさえもままならない人がいます。

「独居困難」という病名なのかどうなのかわからない理由で入院してくる高齢者の、まぁ多いこと。

「もうひとりで生活するのは困難だから、いったん入院して社会資源を整えましょう or 施設入所を検討しましょう」

何度このセリフを言ってきたか。

こういう理由もあって日本の医療機関のベッドの多くが、高齢者で埋まっているという現状があります。

ここで、生活するのが困難ってどういうこと?と思われる方のために、ふたりの事例をみてみましょう。

ひとりは70代、ひとり暮らしの女性。

大きなお屋敷に住んでいて、娘さんが毎日顔を見にきてくれます。
ごはんもひとりで食べられるし、身体の動きも問題ありません。
けれども、何度も肺炎を繰り返し入院してきます。

ふしぎに思ったスタッフが自宅を訪ねてみると、衝撃的な光景が広がっていました。
窓際に置かれていたベッド、その横にかかっているカーテンがカビで真っ黒になっていたのです。
ベッドの上に位置するエアコンのフィルターも、これまで掃除したことがない、と。

彼女は、毎日大量のカビを吸い込みながら暮らしていました。
当然、呼吸器系にはよくありません。
その結果の肺炎だったのです。

聞くとその患者さんは、元お嬢様。
子どもの頃はお手伝いさんがいたせいか、家事を自分でやるというマインドがまったくなかったと言います。

結婚を機に料理と掃除機をかけるくらいはなんとか習得したそうですが、結露でカーテンがカビることやエアコンのフィルターがつまること、その年齢になるまでご存知なかったんです。

本人・娘さんとも話をし、このまま自宅でひとり暮らしをしていくのは困難なので、施設に入りましょうという運びになりました。

もうひとり。

腰椎圧迫骨折の70代の男性です。

人工透析が必要で腕にシャント(透析のときに使用する太い人工血管のこと、皮膚を切開し静脈と動脈をつなぐ手術が必要)を作りたかったのですが、血管が細すぎて作れず。鎖骨下に太いチューブを挿入し、そこから透析を行っていました。

腰のリハビリが進み、鎖骨下のチューブを安全に管理できるようになったら退院かなと思いきや……

妻が重度の認知症、よく徘徊し警察のお世話に。
息子は脳梗塞の後遺症のため高次機能障害(記憶や感情にムラがあるような症状)あり。

入院前は、妻と息子の介護を患者本人がおこなっていたそうです。
いま本人を家に帰しても、家事や介護で安静が保てず、腰が再び悪化するのは容易に想像できます。
それに、病気のため激昂した息子に透析のチューブを抜かれでもしたら大変です。
部屋が血の海になってしまいます。

結局、本人が施設に入ることに。
妻と息子も自宅での生活が困難となり、結局、家族みんながバラバラになってしまいました。

どうやら「生活」というものには、元気でいることやお金が必要であること以外にも、必要な要素がありそう……ということ、みなさんも見えてきたのではないでしょうか。

ここから先は、わたしが考える「生活を構成する要素」を示してみたいと思います。


からだのこと

まずは、身の回りのことができる身体がないと、快適な生活は続けていけません。
自分に適したことは、自分でやるのが1番ストレスが少ないですしね。

包丁を握って好みのかたちに食材を切ること
浴槽に浸かれるだけの下半身の運動機能が備わっていること
排泄したあとにトイレットペーパーでキレイにするほどの指先が動くこと

いずれも、健康な人からしたら些細なことかもしれませんが、病気や障害・加齢でこれらの機能が損なわれると、相当生活しにくいと思いませんか。

自炊?いや、コンビニでいいよ〜
風呂?まぁ、明日でいいかな…
となっていく人の気持ちも、わからなくはない。

特に排泄周りの機能は、損なわれると自尊心に大きく響きます。
失禁を繰り返すことで、心や認知機能もどんどん弱っていく方をたくさん見てきました。
赤ちゃんのトイレットトレーニングと逆のプロセスと考えて頂くと、わかりやすいかも。
目標も成果もないことを頑張れる人、そういないのではないでしょうか。


こころのこと

身体よりも難しいのがこころのこと。
できないことや傷ついていることが、本人にも周りの人にも見えません。

わたしが体験した事例だと

ずっと家事を妻に任せきりにしていた夫が、妻の入院で家事をやらなくてはならなくなり、がんばっても誰にも承認してもらえないつらさから精神的に余裕がなくなり、うつや適応障害など精神疾患を患い、患者本人が夫をケアしながらリハビリに通う

なんてこともありました。

あえてこういう言い方をしますが、同居メンバーひとりがダメになったらみんなダメになるというパターンは結構多くて、いかにいままでその人がケア担当だったかが如実にあらわれるな〜と思います。

(日本のお母さんたちに幸あれ!と強く思う)

こころのくくりにいれるには、いささか乱暴すぎるかもしれませんが

・発達障害
・知的障害
・うつ
・適応障害
・不安障害

あたりも厄介な側面があります。
普段はなんともなくても、多重課題時や災害時にそのポテンシャルをいかんなく発揮して、生活の自立性を奪ってくるように思います。

こころがある程度健やかでないと暮らしていけないのは、どの世代も一緒なんです。


アタマ(認知機能)のこと

認知症=ボケる(わざとこの表現を使っています)と思っている人も多いかもしれませんが、そうではありません。
正直、そんなにかわいくありません。

認知機能は、文字通り知っていることを再度認めていくこと。
記憶や知識、現状の認識、思考、人格といったその人となりを構成する要素が崩壊していくものだと、わたしは理解しています。

最近だと、カマたくさんのおばあさま関連のコンテンツがよくわかると思います。

ガスの火をつけていることを忘れる
自宅にいるのに自宅にいることが理解できず外へ出てしまう
家の中で迷子になる
昔のことは話せるけど、今日が何日かわからない
お箸やスプーンを使って食事をすることができない
トイレいきましょうと言われても、トイレがなにを指すのかわからない
自分の排泄物を顔に塗りたくる
発語がなくなる
起き上がる、座るといった体の動きがわからなくなる
自分の名前が言えない

すべて、認知症と診断を受けた患者さんに実際に起こっていることです。

こうしてみると、認知機能って社会生活をおくる上で、人間の必須機能なんですよね。
それが損なわれるということは、社会からはじき出される、もしくはないものにされることを意味するのかもしれません。

学術的なボーダーやカテゴライズはたくさんありますが、わたしが臨床にいて「人の域を超えちゃったな」と思うのは、患者さんの名前を呼んでも反応しなくなったときです。


お金のこと

これは、上記の認知機能とも密接な関係がある項目ですが、みなさん、お金の計算は意外とできるんです。
いま、手元にあるお金をベッド上に並べて数える。
ここまでは、よくお見かけする光景なんですが

その前にもっていた金額を思い出せない&自分が失くした自覚がないので
「お金が盗られた!」
「あんたが盗ったんでしょ?」
みたいな、やり取りが発生してしまうんです。

これ、家族間だと相当キツイものがあるかと思います。
自分の記憶が間違っているという自覚がない&自分が悪いと思っていないので、まぁタチが悪い。

臨床では、お金をはじめ貴重品のやり取りで揉めたくない&そんな時間が惜しいので

・そもそも諭吉以上の現金を持ってこない、1000円札と小銭のみ
・お金を看護師が管理、入手金の記録はダブルチェックで行う
・貴重品ボックスの中にお金を含む貴重品を入れ、ナースステーションで管理 or 家族に鍵を持ち帰ってもらう

みたいなことをしています。

お金が盗られた!と言われても、あたしだって鍵開けられないから知らない!といったような返答ができるんです。
YouではなくTheyになる、というのかな。

あとは、食事とかトイレとかリハビリ、雑誌、テレビなんかに話題をうつしてお金への固執を和らげる、といったことを図ったりもします
(効果がないときのほうが多い)

これは、個人的な解釈ですが、いまの高齢者は定年してお給金をいただけなくなってから年金暮らしの方がほとんど。
定年してから会社を作ろう!稼ごう!自分で何か創造しよう!なんて考えてみたこともない方が多いため、いまある資産である年金や持ち家を守ることに必死になってしまうのではないかと思います。

だから、奪われること、盗られること、ぬげかけされることにとても敏感。

保守的な人=新たに生み出していない人が多いのは年代問わずだと思いますが、この辺りは顕著だなと思っています。


おうちの中のこと

いわゆる、家事周りですね。
どんどん縮小&猥雑化していきます。

緊急入院した知らせを受けて、久々に実家に入ってみたら汚部屋だった、なんて話はもうデフォルト。フルコースでいうところの前菜。

・不要なものが捨てられない
・清潔を維持できない

SNSのキラキラ家事とは違って、この2つが家事の要素の実際だと思っています。
どんなにモノが溢れていても、整理整頓された清潔な部屋は、いても不快な感じがしないんですよね。
(いわゆる、オタクとかコレクターの方は心当たりがあるんじゃないでしょうか…)

それから、生活の範囲も狭まります。

戸建てで生活エリアとベッドが別の階にある人、なんかはその変化がわかりやすいと思います。
おばあちゃん、最近なかなか下の階に降りてこないねと話していたら、降りてこられないほど下肢の筋力が低下していたパターンとか。

退院後の生活を再構築していく際にも、ベッド・トイレ・お風呂が同じフロアにあるのは必須条件です。
大人が大人を抱えて階段を上がり下がりするなんて、現実的ではありませんからね。

トイレは最悪、ポータブルトイレといって椅子にすわるタイプのトイレがあるので、ひとりでなんとか立ち上がることができれば、ベッドの横に立って脇に置いてあるポータブルトイレに座る、ということができます。

わずか2畳ほどの空間になりますが、自分で自分のお世話ができるという肯定感をなんとか保つことのできる大事な空間なのです。


おうちの外のこと

生活は、中だけでは完結しません。
かならず、外界との関わりを必要とします。

そのため、家の中の家事ができても生活が破綻してしまうことがあります。

・買い物
・水道電気ガスの支払い
・郵便物や宅配の受け取り
・ガス点検や水道メーターの確認
・回覧板
・近所付き合い

ね、できなくなると生活のインフラが止まってしまうものばかりなんです。
特に、買い物。
水と食料がないと、生活以前の問題で生物としてピンチに陥ってしまいます。

高齢者は、ネットスーパーを使ってクレジット決済なんて購買のやり方、しません。
自転車か徒歩でスーパーに行って、現金で決済する。

これ、これまで述べてきたからだやお金のことをクリアしていないと、できない行動なんですよね。
うまく買い物ができない、なんて話を祖父母や両親から聞いたら、おっと…!と思ったほうがいいでしょう。

それから、人付き合い。
そんな、友達と毎日おしゃべりなんてしなくていいんです。

週に数回いくコンビニの店員さんとの挨拶
宅配のお兄ちゃんとの会話
ゴミ出しのときにばったり会ったお向かいさんとの雑談

こういう脆弱な関係性が、その人の実際の生活を支えているものだったりします。

たとえば先日、都内ではじめて最高気温が37℃を超えた日
90歳超えのおじいさんが、熱中症&コロナで運ばれてきました。

それは、隣に住むご婦人が
こんな暑い日に朝から室外機(=エアコン)が動いていないのはおかしい!
と、窓から部屋をのぞいたらおじいさんが倒れてるのを発見し救急搬送、という流れでした。

もうね、いざというときは他県に住む子どもより、近くの他人なんです、ほんとうに。


生活とは、自分を満たすことだから

生活するということ。
こうしてみると、人間が社会の中で生きていくために必要なことを網羅しているんですよね。

特別養護老人ホームにいる要介護5の寝たきり高齢者は、そういう意味では生活していないのかもしれません。
自分で自分の欲求を満たすことができませんから。

生活を考えるのは難しいかもしれませんが、生活ができなくなることを考えてみると自分のなかで「なにを」「どれくらい」満たすことが適切なのか、見えてくるのかもしれません。

それが、そのまま、自分自身の「しあわせ」に繋がっているような気がしてならないのです。

生活は、自分のしあわせを考える上での、練習の場
そう捉えてみると、毎日の料理や掃除やゴミ出しが、ちょっとだけ愛おしくなりませんか。

しあわせは、人と比べて生じるものではなく
自分の中で生まれて消える泡のようなものなの。
すぐにはじけてしまうけれど、そこに確かにあったものなのです。


人はみな、必ず死んでいきます。
できていたことが、できなくなっていきます。
どんどん動く範囲も可動域も制限され、自由が奪われていきます。
国会議員も会社役員も、看護師も保育士も、清掃員も生活保護受給者もみな、老いて死んでいくのです。

あなたもわたしも、みんなです。

このnoteを読んだ人は、できることをできるうちに楽しむ喜び、そしてそれが自分のしあわせに繋がっていることを知ったはずです。
あなたの生活をあなたの手で楽しませる喜びを味わいながら、どうか毎日を過ごしていってください。

できなくなる、その日まで。


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