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1番おいしいごはん

ほんとうは、こんなこと書いてる場合じゃないのだが、わたしの心の平穏のためにここに文章を残しておく。

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あの日、わたしたち家族は父の同僚に車を出してもらい、伊丹空港へ向かっていた。
向かう先は、札幌。父の実家だ。

いつもは関空から札幌へひとっ飛びなのだが、今回は羽田空港を経由する。

理由は、簡単。
関空が使えないからだ。

この話は、阪神淡路大震災から4日後の話。

水もガスも物流も途絶えた冬の街で、7歳と2歳を抱えた病弱な母が、ワンオペ育児を乗り切れるはずがなかった。
この札幌行きは、いわば平成の疎開だった。

地震発生から4日、今にして思えば懸命な判断だったと思う。
結局札幌には、ガスが復旧する春になるまで居ることになるのだから。

伊丹空港へ向かう車内は、異様な雰囲気だった。

楽しみなような、これからどうなるんだろうという不安のような。
でも、お風呂にも入っていない、温かいものを食べていないわたしたちは、早く日常を感じたかった。

あたたかいごはんを、テーブルの上で食べたい。

伊丹空港から羽田までは1時間
たしか、羽田で4時間近くトランジットがあったのを覚えているが、何をしていたかは覚えていない。
とにかく、みんな疲れきっていた。
早く、家につきたい。
暖房と光がある、暖かい家に。

羽田空港から千歳へ向かう。

詳しくはわからないが、CAの人たちには、わたしたちがどこから来たのかわかっていたのかもしれない。
具体的なエピソードはまったく覚えていないが、とにかくとにかく優しくしてくれたことだけは覚えている。

お昼の伊丹便でやってきたお風呂に入れていないだろう家族連れが、夕方のこの時間に千歳へ向かおうとしている。
それだけで、大人なら何があったかわかるのだろう。

千歳につく。
外は吹雪。
でも空港は、電気がついてるしトイレも普通に使える。

JRで札幌駅まででて、そこからタクシーで父の実家に向かう。

夜の11時。
出迎えてくれた祖父母は、まぁまぁと出迎えてくれた。

食卓に、湯気が見える。
テーブルに近づくと

カレイの煮付け
お味噌汁
白いごはん
漬物

荷解きも早々に、家族みんなで貪るように食べたのを記憶している。

携帯電話のない時代に、どうやって到着時間に合わせて祖母はあたたかい食事を用意していたのか、いまだにわからない。

あれほど、心からおいしいと思えるごはんに、わたしはいまだ出会えていない。

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