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人間の機微が恋しい

このご時世、職場の人や家族の人以外、誰にも会っていない。
家とOKストアと職場、図書館だけで生活圏が完結してしまう。

だからなのか

対面のコミニケーションが恋しくてたまらない。

もちろん、人と会って話をしていないわけではないけれども、仕事のそれはあくまで仕事のコミニケーションであって、関係性には何らかの勾配が生じている。

そうではなくて

揺らぎがある中で、それでも対等に努めようとする対話に
相手の機微を拾い集めて、全力で投げ返すようなコミニケーションに飢えている。

それは、たとえば

まつげの震えだったり
手を置く位置だったり
指のくみ方だったり
視線の行き先だったり
声のトーンだったり
発声のときの喉仏の動きだったり

こういうものは、テキストでは受け取ることができない。

そのとき、その人の前にいないと、味わうことができないのだ。

くわえて

こう言うと、人肌恋しいかわいそうなアラサーに見えてしまうだろうけれど、人にふれるふれられる機会も激減していてQOLになんらかの影響を与えているんだろうなと想像してしまう。

もともと人にふれる職種ではあるけれど、どちらかといえばさわる行為に近い。わたしの意思を伝えるだけ。

そうではなくてお互いにお互いをわかりあうような姿勢に溢れたふれる、ふれていく、ひいてはふれあうこと、というのが圧倒的に足りない。

ふたりのあいだに、言葉をこえた思考や文化をちりばめておくことができていない。


テキストだけじゃ、もう限界なの。
人に会いたい。
会ってはなしたい。


なんてことをこの本を読んだら考えてしまった。


はやく、みんなに会える日がきたらいいな。

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