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雑談の価値

最近、雑談が楽しい。

いや、もともと雑談は楽しいものだけれど、こうも目的ありきのコミュニケーションばかりしていると、相対的にその価値が際立ってるように感じる、というやつ。

なにも生まない
なんのためにもならない

そういう時間を、どれだけ意味あるものにするか
わたしたち人間の人間たる部分を試されているような

そんな感覚におちいる。

雑談というと誰でにもできることだと思われるかもしれないけれど、個人的には、最もコミュニケーションスキルが求められるプロセスだと思っている。

・傾聴力
・相手への興味関心
・時事問題に関する情報
・教養
・ウィット
・時間的、精神的余裕

こうやって解剖してみると、なおさら。

今日もいい天気ですね
そうですね

こういう会話を楽しめと言われても限界がある。

寂しさや孤独を埋めるための会話は、相手の上っ面を撫でてるだけ。
人とわかり合うというのは、高度でめんどくさくて、でもこの上なくしあわせになれる日々の喜び。


わたしの雑談相手は、友達や職場の人以外にもうひとつある。
それは、Discordというアプリを使ったグループ。

もともと、ゲーマーのコミュニケーションツールとして活用されていただけあって、テキストから音声への移行がスムーズ。Slackよりも砕けた感じというのかな。

雑談は、この音声チャンネルでやってる。集団電話。
自分のビジュアルを気にしなくていいせいかZoomほど堅苦しくなくて、ほんとうにいい。

さて、このグループ。
SNSで出会った友人が誘ってくれたもので、完全なる招待制。

その友人に直接きいたわけじゃないけれど
わたしの印象の中でお伝えすると

・ある程度のレイヤーの中で
・心理的安全が保たれていて
・クローズドであって
・言語化されていない文化や価値観を共有していること

こんな条件があるような気がする。

すごく品のない言い方をすると、Twitterのフォロワーが数十人のような人はいない。かと言って、数十万人もいるような人もいない。

バズ至上主義みたいな人はいないけれど、ある程度の拡散を狙っていくことは好きな人が多い(というかそれがお仕事の人もいる)という感じ。

もちろん仕事に関する話もするけれど、それよりも日々のことやオープンな場で書くにはちょっとリスクなことを共有したりしている。


雑談は強制じゃないから
参加したい人ができるタイミングで参加する。

ゆるく繋がりゆるく関わる。
そして、ふわっと去っていく。

これが、本当に居心地が良くて。
新しい視点を得られるし、知らなかった背景を覗ける。

でも、それだけじゃない。

雑談は、偶然を生むことができる
これがきっと、一番の価値。

制限のない生活の中では気づけなかったけれど、偶然は自分の考えや生活の輪郭をぐいっ!と伸ばしてくれる。たとえ、元に戻ったとしても、一度伸ばした輪郭の形状や範囲は忘れない。

誰かが紹介してくれたお店が以前住んでいた家の近くだったり
実は昔からの共通の知り合いがあいだにいたり
はじめましてのつもりがそうじゃなかったり(失礼)

テキストコミュニケーションでは起こりにくいことが、音声における雑談で生じるのがとても趣深い。


この偶然、人間の人間たる部分を象徴するたいせつな要素なんだと思う。

だって、シマウマとキリンがサバンナで出会っても

シマウマ)ねぇねぇ、南のほうのオアシス、干からびてきてない?
キリン)わかる。だから最近は東側の川まで行ってるの、遠いけど
シマウマ)あなたは背が高いから東の川まで見渡せるでしょうけど、あたしらは見えないのよ…

なんて立ち話しないはず。

いつライオンがくるかわからない
食うか食われるか。

外出制限がしかれるまでは、暮らしの中で偶然の恩恵をうけることが多々あったはず。けれど、家の中にいると偶然は生まれない。すべて予定調和。

さらに、テキスト上のコミュニケーションではもっと生まれない。
みんな、Enterキーを押す前に確認するでしょ。
うっかりやたまたまが設計できない。


だから、雑談が求められているんだと思う。
しかも、音声での会話の中での雑談が。

みんな、偶然を欲している。

ひいては、健康で文化的な最低限度の生活とはまた違った、自分たちらしい文化のある暮らしを送っていけるか

これが、いま問われているように思う。


そんな昼下がり。
さて、お昼寝しようっと。

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