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「知らんがな」と言う勇気

よく「被害者に寄り添って」という話を聞きます。生きていれば色々な辛い目に遭うこともあって、それがその人の人格形成に大きく影響する。ですから、セラピ−やカウンセリングという言葉も聞かれるようになってずいぶん経ちます。

凄まじい経験というのは、いろんな人が体験していると思いますが、そればデスノ−トのようにその人の頭上の履歴として掲示されているわけではありません。今現在の、その人の人と成りに全てが表れていると言っていいでしょう。見るからにこの人なにか背負っていそう...って人は、実はあんまりいなくて、凄惨な経験をしていても、社会的立場で普通に暮らす人がほとんどです。

でも、何かの時に「実は私...」という話になることもあります。「大地震を経験している」「性被害にあったことがある」「いじめにあっていた」「友人に裏切られた」。「凄惨な経験」というのは、人によってかなりレベルに差があるので、その人が「これはひどい経験だった」と言えば「チワワに噛みつかれた」ことも大事件になるし、「え?それってそんなにひどい?そうかなぁ。まあ私も若くてアホだったわ」と、本人が言えば性被害も大した話ではありません。

そんな中「被害を経験した自分」を吐露することによって、特別な感情や特別な扱いを期待されることがあります。「こんな経験をしているから人は私の話を聞くべきだ」あるいは「人は私の経験を鑑みて話題を選ぶべきだ」、または「こんな経験をしている私自身が特別な存在だ」と言うわけです。

若い頃、私もこの手をよく使いました。簡単に言うと、自分を悲劇のヒロインにするんですね。そうすると相手が明らかに(その時は)私を丁寧に扱ってくれます。今思えば、どう扱っていいか分からなくて、単に腫れ物に触るような感じだったのだと思いますが。

それで、結婚して、夫であるタケPくんにもそれを使ったんですが、その時の彼の反応は

「そんなん知らんがな」

え?丁寧に扱ってくれないの?私も大変だったんだよ。と、内心で思ったけど、この「知らんがな」に対抗する術がない。だって、本当にその通りなんだもの。過去の出来事だし、それを彼がどうこうできるわけがない。だから「俺に言われても知らんがな」って。まあ、正直ですよね。

あ、この手が使えないんだ。ってなったら、もうそれ以来、そういうことやんなくなりました。だって、これは私をヒロインにしてくれる人に使う手であって「アンタ別に特別な人やないで」って言う人には使えないです。しかもこの「知らんがな」の洗礼を受けた途端、今までのヒロインぶってた自分がめっちゃ恥ずかしくなった。まあ、芝居がかってたしね。

この「知らんがな」は、冷たい人のように思えるけど、実際のところかなり自立の助けになりました。人を自分の思惑で動かそうとする意識が、それまではどこかであったんですが、この「知らんがな」で、一刀両断されましたね。この「人を自分の思惑で動かす」っていうのは、我が家に連綿と流れてきた忌まわしき血だったのですが、ここでズバッと切れることになって、あ−よかった。と思いました。人なんて自分の思うようにならないわけで、結果、思うようになる(と、自分で思い込んでいる)人とだけ付き合うことになって、それが更なる不幸を呼び込む循環になってしまう。

この「知らんがな」って、なかなか威力のある言葉だと思っています。使いましょう。

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