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世界は変わっていく

 仕事帰りに、友達と会って夕飯を食べた。「まさか自分が生きてる間にこんな世界になるとは思わなかった」とか、そんな話をした。死体が動き回り、世界が終わるなか、生きていく人間の話を書いた。十年前だ。それから何度も世界中でいろいろなことが起こったけど、ここまで誰もが当事者になった実感を得られる事態は、なかなか珍しい。

「ぼくに何かあったら、連絡してくれるか」

 友達はそう言って、ぼくに実家の連絡先を教えてくれた。「それをぼくに言ったのは君で三人目だ」と、ぼくは笑った。友達はふと考えて「君は死にそうにない感じがするんだろうな」と笑った。

 図太いってことか、殺しても死ななそうな感じか、とぼくも笑ったが、これからも生きていくことを期待されて、まあ、悪い気はしない。

「それにしても、このまま上演できるかどうかもわからない作品を書いていたら、モチベーションが枯渇してしまうね」と友達はためいきをついた。これもまた、ぼくには思いつかない発想だった。そりゃあ感想はほしい、ほめられたい。誰かの人生にめちゃめちゃ影響を与える作品を作れたら気分がいい。かといって、そういう結果がほしいことと「書く」ことの間に、あまり相関関係がない。

 まずは稽古場で読んで楽しんでもらえたらそれでいい。もっと言えば、書けたときにぶらっとお茶でも飲んで、さっと読んで感想をくれる友達(たとえば今日会ったような)がいれば、まあ、書くことは楽しい。自分でも面白いと思う話を書けたときは勝手に読んで勝手に幸せになっている。

 そんな話をすると、友人は「じゃあ、とりあえず君に読ませるために書くか」と言った。そうだね、それで面白かったら、もう少し多くの人に見てもらおう。どうしても見たい人だけに向けて書いていこう。さいわいにもぼくたちには、そう感じてくれる人が少なからず存在する。

 生き延びて、またくだらない話をして笑おう。そう約束すると、友達は片足をかるく引きずりながら駅へ向かった。

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