余計なことを足して、人は生きている
朝の四時にふと目が覚めて、Twitterに流れてきた漫画を読んだ。
紹介にある通り、【船場センタービルの漫画】突然のうつ病発症から回復までの様子と、船場センタービルで過ごした数日間の出来事を綴った漫画だ。静かな筆致で、淡々と描かれた出来事たちは、最後に一つの言葉によって筆者の中でつながりを持つ。
私はこれを朝の四時に読むことができて幸福だったから、そのことを誰かに伝えたくなった。それに、他の誰かがどのような気持ちになるのかを知りたくもなったのだ。だから、すぐにリンクをツイートした。
そんなに慌ててツイートしたのには、もうひとつ理由がある。
漫画の終わりに”本作を原作とした短編アニメーション「忘れたフリをして」が船場センタービル50周年記念特設サイトにて公開中!”と書いてあり、リンクを踏むとそこには漫画の絵をそのまま動かしたようなアニメーションが掲示されている(もちろんそれは、そう見えるよう作られているのだ)。
これが、また秀逸な作品だった。元々の漫画が持つ静けさと、シンプルな輪郭線はそのままに「ああ正しい」と思わされる動きが足されていた。
漫画には「吹き出しの外の注釈」がたくさん書かれていて、それが独特の読み味をもたらしている。もしも同じ文面をナレーションにしてしまえば、それだけ長く尺を使うことになる。驚くべきことに私たちは吹き出しの外に書かれた文字を吹き出しの中の文字よりも速く読むことができるため、出来上がった映像は間延びした仕上がりになるのだ。
解決法は、見るのと同じ速さで読ませるか、省略するか、画にするかの三択となる。
上記引用画像の場面で示される動きは、三つ目の解決法を雄弁に語る画だ。
タメと勢い
アニメーションを作るときに、タメと勢いを出す工夫として「動きの途中」を足す技法がある。
まるで首を骨折しているようにも見える一枚の絵が、なぜアニメーションの中で重要なのかを、たったの1分で説明した動画だ。その画像だけ抜き出せば余計な付け足しにも見える動きが、どれだけの説得力を動画に含ませているのかが、分かりやすい例えと共に解説されている。
タメがあるから、勢いがある。“余計な”一コマが、動きを生んでいる。
夜が明けたら
私たちは、ただ生きるのが難しい。おいしいものを食べたり、ジャンクフードを貪ったり、コーヒーを飲みお菓子を食べながら漫画を読んだり、アニメを見たり、Twitterのタイムラインを眺めては色々なことを考えたり、政治のニュースを見たり、誰かと話したりする。今はちょっと難しいけれど。ときにはライブハウスで大きな音を聞いたり、鳴らしたり、舞台で演じたり、客席で見たりもする。
全ては余計なことだ。ただ生きるのには必要ない、つけ足しだ。
人生は、そういう余計なつけ足しで作られている。
これからどれだけ待てば、自由に遠くへ行けるようになるかはわからない。でも、もしも行けるようになったら、船場センタービルに行って、漫画に描かれた景色を見たい。そして、漫画の作者である町田洋さんが、どんなことをつけ足してあの景色を作り出したのかを確かめてみたい。
この、長い夜が明けたら。
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